この物語は、私の夢です。
フィクションなのか、本当のことなのかは分かりません。
けれど、この夢の中で、私は“ジェーン・グレイ”という名前で呼ばれていました。
その夢の中の私は、冷たい石畳の上に立ち、冬の風に晒されながら、
誰かの名前を呼んでいました。
私の代わりに処刑台へ向かったのは、
私のずっと前に好きだった人――フランス人のエレノオール。
夢が終わった今も、彼女の声と手の温もりだけは、
現実のどんな記憶よりも鮮明に、私の中に残っています。
あの子との出会いはそう___ある日の事でしたね。
私がまだ6歳だった日の事です。
父がフランスから戻った日、屋敷の空気はどこか重たかった。
磨かれた床の上に、泥の跡が続いている。
母は口をつぐみ、使用人たちは皆、視線を伏せていた。
やがて、扉の向こうから父の声が響く。
「——この子は、今日からお前の侍女だ。名は……エレノオールという」
私よりも少し背の高い少女が、静かに前へ進み出る。
そのドレスは薄汚れており、繊細な刺繍がところどころ裂けていた。
金髪に混じる埃の色が、どこか痛々しかった。
「フランスの没落貴族の娘だそうだ。……売られていたのを見つけてな」
“売られていた”という言葉の意味を、六歳の私には理解できなかった。
ただ、少女の瞳の奥にある“何かを諦めた光”だけが、妙に印象に残った。
「はじめまして。お嬢様」
細い声。
それは礼儀正しく、それでいてひどく空虚な音だった。
私は思わず彼女の手を取る。
冷たい。
まるで氷のように冷たいその手に、幼い私は小さな声で言った。
「わたくし、ジェーン。……よろしくね」
エレノオールはわずかに瞬きし、ほんの一瞬だけ微笑んだように見えた。
それが、私の知る“最初の奇跡”だった。
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