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最初の数週間、エレノオールはほとんど口を開かなかった。
呼びかけても、ただ静かに会釈するばかり。
眠るときも起きるときも、まるで“存在を隠そう”とするように静かだった。
けれどある日、私はこらえきれずに尋ねてしまったの。
「ねぇ、あなたはどうして笑わないの?」
私の問いに、彼女は少しだけ驚いた顔をした。
まるで、そんな質問を受けたことがないような表情だった。
「……笑ってはいけないと、思っていました」
「どうして?」
「……売られた身の者が、幸福な顔をしては罰が当たる、と」
その言葉を聞いて、幼い私は胸の奥がちくりと痛んだ。
罰。幸福。そんな言葉を、彼女のような年の子が知っていること自体が、哀しかった。
私は机の上にあったリンゴを手に取り、二つに割る。
それを片方、彼女の手に押しつけるように渡した。
「笑って。リンゴを食べるときは、笑うものですわ」
そう言って無理に笑ってみせると、エレノオールはほんの少し戸惑ったように私を見た。
そして——その唇が、かすかに震え、
まるで初めて光を受けた花のように、ゆっくりと笑ったの。
あの日の彼女の微笑みは、幼い私の胸に焼きついたまま、消えない。
たとえこの先どれほどの闇に沈もうとも、あの瞬間だけは——確かに美しかった。