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#BL
れんこん@語尾にゃん中
15,242
結衣
449
深夜二時を回った頃、ようやく母、真理子の規則正しい寝息が静かな室内に響き始めた。
「……ふぅ、っ……」
柊吾は乱れた息を整えながら、そっと引き戸を閉めた。
暗い六畳間に戻り、その場にぐったりと倒れ込む。コンクリートの冷気が畳を通して体に伝わり、火照った皮膚からじわじわと体温を奪っていった。
(――ふう、やっと寝てくれた……)
緊張で強張っていた肩の力が抜け、どっと押し寄せる疲労感に胸が押し潰されそうになる。
窓の外は雨を含んだ湿った風が吹き荒れ、古いサッシをカタカタと揺らしていた。冷気と湿気が混ざり合った部屋の空気を深く吸い込み、柊吾は肘で両目を覆う。
この時間だけが、一日のうちで唯一訪れる「自分だけの時間」だった。
誰かの「朝倉奏」でもなく、母親を支える「優しい息子」でもなく、ただの無力な一人の人間に戻れる時間。
(……逃げたい)
一度脳裏をよぎった暗い欲動は、底なし沼のように柊吾の思考を侵食していった。
現実の過酷さから逃げ出したい。壊れていく母を見る恐怖も、声が出なくなって舞台を追われた惨めさも、全部消し去ってしまいたい。
(――あの夜のことも)
玄関の扉を閉める直前、父が一瞬だけ振り返った。だがその目は、柊吾の顔を見ていなかった。ただ「悪いな。母さんを頼む」とだけ言い残して、扉を閉めた。隣に立っていた女が、何かを言ったような気がした。内容は覚えていない。覚えていたくなかった。
ドロドロとした憎悪が、胸の奥で澱のように沈んでいる。父親の裏切り以来、柊吾は女性という存在そのものに強い嫌悪感を抱くようになっていた。
そんな自分を救ってくれたのは、中学の頃からこっそり嗜み、高校生の頃にたまたま行き着いたゲイビデオの世界だった。
他人と関わる必要もなく、誰にも正体を知られず、ただ画面の向こうの快楽に逃避できる唯一の避難所。
押し入れの奥から引き出したお菓子の入っていた箱から、男性器を模った黒光りした物を取り出す。
(……本当に、最低だな僕)
皮肉めいた自嘲をこぼしながら、ジャージと下着を膝まで引き下ろした。湿った冷気が剥き出しの肌を撫で、ゾクッと背筋に鳥肌が立つ。
スマートフォンの画面に浮かび上がるのは、動画サイトの暗い画面。検索履歴に残されたお気に入りの動画を再生する。
画面に映し出されるのは、洗練されたしなやかな体躯を持つ男優だ。
切れ長の瞳、無駄な肉のない引き締まった胸板、しなやかな筋肉の躍動。画面越しの男は、男性としての圧倒的な強さと色気を全身から放っていた。
ふと、自分の胸元に視線を落とす。
脱げばそれなりに筋肉のついた引き締まった体躯をしているものの、服を着てしまえばどこか線が細く見えてしまう「着痩せするタイプ」の自分の身体。
目元を覆う長めの前髪の隙間から覗くのは、元トップアイドルとして持て囃された、色素の薄い儚げな顔立ちと物憂げな瞳。
どれだけストイックに身体を絞ろうと、醸し出される雰囲気はどうしてもアンニュイで繊細な美しさに寄ってしまうのだった。
(……僕も、あんな風になりたかったな)
画面の中の男が見せる、無骨で圧倒的な「男らしさ」。それは自分には決して手に入らない、無いものねだりの憧憬だった。
その完璧な男が、容赦なく相手を快楽の深淵へ叩き落としていく残酷なまでの美しさ。憧れとコンプレックスがぐちゃぐちゃに混ざり合い、熱い毒のように柊吾の腹底を焼き焦がしていく。
コンプレックスを刺激されるたび、歪んだ快楽となって興奮が引きずり出されていくのが分かった。
コメント
1件
読み終えました……。柊吾の「逃げたい」っていう願いが、深夜の静けさの中でひたすら重くのしかかってきて、胸がぎゅっとなったよ。とくに、画面の中の男と自分を比べて「あんな風になりたかった」って思うシーン、憧れとコンプレックスが混ざり合った歪んだ感覚が痛いほど伝わってきた。かんなさん、こういう暗い心情の描写が本当に丁寧で、引き込まれます……。続き、静かに待ってるね🌙