テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
✧≡≡ FILE_031: 合わない ≡≡✧
「……ここが、そうですか?」
目の前にあるのは、ウィンチェスターにある教会。
車のエンジンが止まる音だけが、庭に響いた。
「Wammy’s House」と刻まれたプレートが、門の脇に掛かっている。
「ああ。ここから、たくさんの子供たちが世界に羽ばたいていく──その第一号が、君の息子だ」
「……息子」
その言葉が、胸の奥に刺さった。
まだ、実感がない。
“父親”という響きが。どうしても自分のものとして馴染まない。
後部座席。
小さな声がした。
「……ぁ、あ……」
ローライトが目を覚ます。
大きな黒い瞳が、まだ世界を知らないままに揺れている。
彼は、フラッシュの指をぎゅっと握った。
小さな手。あまりにも温かい。そのぬくもりだけで、全てがどうでも良く思える。
「行こうか」
ワイミーさんの声で、我に返る。
車のドアが閉まる音が、妙に大きく響いた。
「ワイミーさん、どうか、この子を……お願いしま──」
その瞬間だった。
ワイミーさんが両腕を伸ばし、ローライトを受け取ろうとしたとき──
「──っ、う、あああああああああ!!」
突如、耳を裂くような泣き声が響いた。
ローライトの足が跳ねる。
小さな足が、ワイミーさんの顔面を見事に蹴った。
「っ!?」
「ローライト!」
フラッシュが慌てて抱きしめる。
ローライトは、泣きながら首を横に振った。
「いやあああああっ!!ぁあああああ!!!」
小さな身体を必死に反らせて、腕にしがみつく。
爪が皮膚に食い込むほど強く。
ワイミーさんが眼鏡をずらしながら苦笑した。
だが、フラッシュは笑えなかった。
なんで……。
なんで……。
なんで、そんな必死に、俺に縋り付くんだ──
「……ろ、ローライト……」
この子……離れたくないのか。
喉の奥が、焼けるように痛かった。
何かを言えば、涙が出そうだった。
ローライトの小さな手が、ぎゅっとフラッシュのシャツを掴む。
その掌の熱は、言葉よりも確かだった。
「……フラッシュ」
「……す、すみません……」
「無理に今、別れを強いる必要はない……一度、考え直そう」
「──い、いいえ」
フラッシュは首を振った。
涙が落ちるのがわかった。
「……俺がこの子を手放せないのは、情なんです。……俺の元にいるより……友達ができるような環境の方が……この子の為なの、分かってますから」
「……」
フラッシュは、泣き叫ぶローライトを胸に抱き、そっと額を寄せた。
「……ごめんな」
声は震え、息が詰まる。
「お前は、俺じゃない誰かに育てられるべきなんだ」
「いやぁああああああ!!!」
そうして俺はワイミーさんにローライトを託す。
そう、託す。
はずだった──
──結局俺はワイミーさんの腕にローライトを預けることができなかった。
小さな手が、あまりにも強くシャツを掴んでいた。
バタバタと暴れ、喉が裂けそうなほど泣き叫んで、息も絶え絶えになるまで泣いて──それでも手を離さなかった。
ワイミーさんは何も言わずに見ていた。
それが「理解」でも「諦め」でもなく、ただ一人の大人としての“判断”だったのだと思う。
俺はもう後悔するような人生は歩みたくなかった。
だから、彼を手放さなかった──
──それから、4年。
フラッシュはまだ、同じ家にいた。
けれど、もう泣き声は聞こえない。
ローライトは5歳になり、恐ろしいほど大人しくなってしまった。
泣かない。
笑わない。
怒りもしない。
その代わり、黙々と床に蹲って指しゃぶりをしている。
小さな唇が、音もなく濡れた指先を包み、空気の中で、くちゅりと柔らかい音が響く。
それがこの家で唯一の“生きている”音だった。
フラッシュは、ただ黙ってその姿を見つめていた。
母の乳を飲んでこなかったこの子にとって、口は寂しいのだろう。
それは、命をつなぐための仕草のはずなのに、ローライトのそれは、どこか違って見えた。
“生きている感触”を、ひとりで探しているような──あるいは物思いにふけているだけか。
「……おいで」
フラッシュは膝を軽く叩いた。
だが、ローライトは顔を上げず、ただ指を口に含んだまま、何かを考えるように遠くを見ている。
その瞳に映るのは、父でも母でもない。
もっと別の何か──光の中で、ひとりぼっちで生まれた記憶そのもののように。
「……ローライト」
名を呼ぶ声は、やさしくもどこか怯えていた。
あの事故以来、初めてできた“家族”を、どう扱えばいいのか、フラッシュ自身も分からなくなっていた。
そして──ローライトは、事故で早く生まれた影響なのか、それとも、もともと備わっていた才能なのか。
──ローライトの“頭”は、異常なほど冴えていた。
まだ5歳。
数字も文字も、誰に教えられるでもなく覚えてしまう。
大人でも頭を抱えるような、複雑なパズル。
色と形が入り乱れた数百ピースの構造体を、わずか数分で組み上げてしまう。
それが、日課になっていた。
フラッシュはリビングの隅でその光景を見ていた。
コーヒーは冷め、手の中の新聞は同じ頁で止まっている。
「……ローライト」
呼びかけても、返事はない。
ただ、カチ、カチ、と組み合わせる音だけが響く。
彼は、世界を作っていた。
自分だけの、小さな世界を。
泣く代わりに、そこに心を閉じ込めているのだと、フラッシュは知っていた。
──泣かない子どもほど、世界を深く見ている。
その裏で、確かに何かが育っていた。
感情ではなく、思考。
涙の代わりに、理性が育ち始めていた。
ふと、ローライトが完成させたパズルの中心に、小さな隙間が残っているのを見つけた。
最後のピースを指に挟んだまま、彼はじっと見つめている。
「どうした?」
フラッシュが近づくと、ローライトがゆっくりと顔を上げた。
「……これ、合わないです」
「合わない?」
「うん……“正しい形”なのに、入らない」
その言葉に、フラッシュは息を呑んだ。
──ああ、俺たちのことだ。
正しい形のはずなのに、どこか噛み合わない。
それでも、無理に繋げようとする。
その不器用さが、きっと親子の証だった。