「まだなのか、アメリカさんは……?」
クーラーの効きにくいリビングで、俺はアメリカさんを待っていた。昨日、あのことに気づいてしまってからは居ても立っても居られなかった。事を急いていたとも思う。日本には秘密で家に彼を呼び、直接聞いてみることにしたのだ。
しかし、そのアメリカさんが全然来ない。12時に来るように言ったのだが、もう30分も過ぎている。日本には何とか隠し通して台湾の家に遊びに行ってもらっているが、それもいつまで持つかわからないのに。
できるだけ早く話したいところを、昼にまで切り詰めた。寝坊したというわけでも無いだろう。だとしたら、此方を軽く見たということだろうか。そんな輩にお相手を大切にすることはできるのだろうか……ー
時間を守れないとなると、日本の相手には、……
「違う違う、今大切なのはこれじゃない。」
話をこういう風に考えてしまう癖を直さなくてはな。職業柄だろうが。
首を振って思いを自制する。服がその振動でぺち、と反りかえり汗が蒸れた。これ以上来ないなら、もう自部屋に戻っておくべきか。そうも考えていた時だった。
ピンポーン、ピンポーン。
チャイムが連続で鳴らされた。振る舞いから自然に彼だとわかった。焦って玄関に足を走らせ、鍵を開ける。不用心だったようにも感じるが、関係ないことだ。
「いらっしゃい、アメリカさん。」
「こんにちは、お義父さん!お邪魔します!」
彼は相変わらず屈託のない表情で俺に笑いかけてくる。15年前ーー、こんな顔はしていなかった。変わったのだろうか、彼は。あの事故から。彼なりに色々考えたのだろうか?…変わっていないのは自分だけ?日本だって、母との訣別にしっかりけじめをつけている。三ヶ月経つ頃には立ち直っていたように見える。自分だけ、変われていない、いや……
「少し、訊きたいことがあってな。ここに座ってくれるか?」
これが、俺のけじめだ。俺はアメリカさんに日本を託すんだ。それで、もう固執しないことを誓おう。ヤケ酒も、もう辞めよう。
彼を食卓に案内して、暑いことを謝る。そして、自分もいつもの席に着いた。
「…え〜っと、それで、訊きたいことってなんですか?」
心を鎮めていると、気怠そうにアメリカさんが口を開く。申し訳なくなり、話を切り出すことを決めた。
「アメリカさん。15年前にあった“日の丸交差点事故”を覚えているか?」
「………、知らないな。俺はあまりニュースは見ないから。」
「隠さなくて良い。別に何かしようというものでもないのだ。」
普段の仏頂面を崩し、できるだけ目を見て微笑んでみる。俺は故意に笑うというのが苦手だ。お陰で昔っから写真写りが悪くて、いつの間にか写真嫌いになって、色々なことに嫌気が刺していた。しかし、妻がそんな俺を変えてくれた。唯一無二の彼女。そんな大切な人を殺した相手。それを、許す。きっと当時の俺なら出来なかっただろう。いや実際に出来ていなかった。けれど、訣別を決意した今の俺なら、きっと出来る。彼を許せる筈だ。
「さ、話してみてくれ。」
少しの間、沈黙が流れた。しばらくして、アメリカさんが視線を向ける。無駄に分厚いジーンズのポケットに手を突っ込んでいる。
「……知ってるさ。なんなら俺がそれの加害者だよ。」
来訪時の笑顔からは想像も出来ないほどに痛い目線を寄越す彼。柔く返しては失礼と感じ、俺も目つきをはっきりとさせた。
「なあ、アメリカさん。気づいてるんだよな、俺たちのこと。」
「…………」
「良いんだ、別に邪魔する気は無いさ。俺もけじめを着けるんだ。ただ、あなたから妻への思いが訊きたい。」
「…………」
「思っているまま、言ってくれ。それがどんな思いでも、俺はーーーーーーーー」
ガタッ!
「?」
アメリカさんがおもむろに腰を上げた。俯いていて、表情は見えない。俺は不思議に思いながら彼を見つめる。そして彼の足はつかつかと此方に近づいてきた。彼は俺の前で止まった。何かをボソボソと呟いている。
そうか、まあそんな簡単には話せないよな……
俺が顔を覗き込もうと体を下げた瞬間。
「……ぇ”ッ?」
鳩尾の近くでおかしな音がした。それとほぼ同時に、音のした部分が熱くなる。その熱は、腹から胸に、胸から喉へと上ってくる。胃の中が逆流するような気持ち悪さに嘔吐した。吐いたのは、血だった。
「え、ぇ?」
状況が整理できない。膨大な情報を処理するのに頭が回らなくて、ただアメリカさんの方を見た。俯いていた悲しそうな顔は、しゃがみ込む俺を見下すように上にあり、その表情は笑っていた。
「あ、めり、かッ…、さっ…!?」
「はあぁ〜、まさか覚えてたなんてなあ。失敗だったよ。」
「はっ…?」
嘲笑いながらナイフに付着した血を舐めるアメリカさん。余計にわけがわからなくなり、熱さだけが身体を支配した。なんとか傷口をおさえ、彼に問いかける。
「な、なんで…ッ、これ…!」
語彙が全然出て来ずに、おかしな文節になった。目眩がする。あのことに気づいた時よりも、揺さぶっている。
「はあ?なんで逆に知ってて何もされないって思ったの?
俺にとっちゃ、アレは黒歴史なんだ。知ってる奴には、俺の前から…消えてもらわないとな。」
『黒歴史』…?それだけ?俺の大切な人を轢き殺しておいて、それだけ…?まるで数分前とは別の人物のような笑顔を浮かべるアメリカさん。すでにあの無邪気さはなく、ただ歪んだ笑みがそこにあった。
「ゲホッ、う”、」
「あんまり動くなよ…処理大変になるだろ。」
「アメリカッ、お前、俺の妻を殺した…こと、謝れ…、!」
どうかこれ以上そんな姿を見せないでくれ。未練など残したく無い。もう日本は自分なしでも生きていける。そんな息子と添い遂げる君には、悪人であって欲しく無いんだ。少しだけでも良い、『優しいところ』を見せてくれ。頼む…
「…………妻?あぁ、そういえば、俺が轢いちまったのって…女だったっけ。」
ーーーーーーーーッは
「どうとも思わねえよ。俺に黒歴史を作らせやがったんだ、謝って欲しいさ。」
その瞬間、何か細い糸が切れたような感覚になった。自分の人格、全てを否定するような感情が込み上げてくる。煮えたぎるような、焼き切れたような…。腹よりも、頭が熱くなった。走馬灯が脳を駆け巡る。妻がまだ生きていた時のキッチン。妻が亡くなって泣いている日本。酒に浸っている俺。小学校の校門前ではしゃぐ日本、嫌な上司の顔、就職できたことを淡々と伝える日本。全く、自分が死ぬとは思えなかった。ただ、妻が、日本が、好きだと言っていた「優しい」俺は、死んでしまったのではないだろうか。
血がぼたぼたと流れ落ちる。
眼前でナイフをしまうアメリカ。
俺は、誓った。
絶対に、此奴を殺してやる!!!!!
殺人鬼に生まれ変わってでも、何をしてでも、絶対に!!!!!
俺は神なんて信じた事はなかった。けど、今だけは、神にそう願った。
しばらくすると、頭も腹も、熱さを感じることはなくなった。
「アメリカさんっ、アメリカさん!!見てください!」
「ん?どうした、日本。そんなに焦って…」
「ニュース速報ですよッ、うちで父さんが、死んだんです!!」
「…、なんだって!?お義父さんが!?」
「ぅ、ぁあッ…!父さん、父さんッ…、!」
「日本、暫くは俺の家に泊まれ。何も気にしないで良い。」
「アメリカさんッ、…っ、すみません、すみません…、」
ぅ、ぁああ”あ”っっっっっっ!!!
「アメリカさんっ、見てください!この子が、僕たちの…!」
日本が顔を綻ばせ、たくさんの汗をものともせず手をぶんぶん振る。此方にも少しそれが飛んで目に染みる。
「おお…、可愛いな!」
アメリカが、俺の頬をぷに、とつまむ。そして、鼻の筋を伸ばしているところを看護師に注意されていた。
「アメリカさん、この子の名前、僕決めているんです。良いでしょうか…?」
「う、ううん…まあ、渋りたいのが本音だけど、日本がそう思うなら…。」
「私、父さんに全然楽しいことさせてあげられなかったんです。ずっと、働き詰めで…、慰めてあげるぐらいしか出来なくて。だから、この子には、父さんの分まで人生を満喫してほしい!……じゃあ、よろしくね、ーーー」
さて、殺したい奴と大好きな息子の子供になってしまったわけだが、俺はこれからどうすれば良いのだろうか?
コメント
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アメリカが最低野郎と言う事が分かって日帝の代わりにアメリカをボコボコにしたくなりました!