『はっ? えっ……?
な、なに言ってるの!
そんなのどっちも無理に決まってるじゃない!』
『なら迷うことないじゃん。 早くして』
『ほんとにいいってば……!
それに、あとで「見返りは」って言われても困るし……!』
そうは言ったけど、本当はわかっていた。
彼がそんなことを言わないことも、単純に私を心配してくれていることも。
けれど口をついて出たのは、レイの厚意をどう断っていいかわからなかったからだ。
短い沈黙が落ち、レイが重いため息をつく。
『……もう言わないよ。ミオには見返りなんて言わない。
だから、早く』
まっすぐ見つめられ、私の退路は完全に断たれた。
レイに近付くごとに、カランカランと下駄の音が耳につくのはなぜだろう。
おずおずと手を伸ばせば、レイがさっきのため息に似た重さで言った。
『うちの女神は、頑固で世話がやける女神だな』
私が腕をとるのを見届け、彼はゆっくり足を踏み出す。
さっきまで人の気配があった路地に、今はだれの姿もなかった。
それでも祭りのあとの空気が残っていて、その中を無言で進んでいく。
レイは私のことを、どう思ってるんだろう。
そんなことばかりが頭を巡って、足の痛みより心臓の音のほうが大きくなった。
(もう、どうしよう……)
こうなるとわかっていたから、近付きたくなかったのに。
私が彼を気にしてると伝わっているのは、予感を通り越して、すでに確信だった。
混乱と動揺のまま家の前の角を曲がった時、急に大きな声がした。
「澪!!」
その声に、咄嗟にレイの腕を離す。
振り返れば、拓海くんがこちらに駆けてくるところだった。
「拓海くん……!ごめん、私」
慌てて拓海くんへ近付けば、彼は私の目の前で立ち止まった。
「よかった、澪がいて。
しっかし、電話が繋がらなかったら会えないもんだなー」
「ごめんね、ごめん……!
帰りに探したんだけど、見つけられなくて。
もしかしたら家かもしれないって、帰ってきちゃったの」
「あぁ、あんな人ごみじゃ仕方ないよな。
けどなんつーか、澪が無事でよかった。
無事って言ったら、なんか言い方が変だけどさ」
ほっとしたと一目でわかる顔で、拓海くんが手のひらを私の頭に置いた。
その手が優しすぎて、心配させたことを激しく後悔する。
「本当にごめんね。
あそこで……拓海くんをひとりにしちゃった?」
「あぁ、それは大丈夫!
あれから花火が始まって動けなくなってさ。
結局最後までさっきの友達といたし」
「そっか……」
それを聞いて、ほんの少しだけほっとした。
勝手にはぐれた私でさえ、あの人ごみでひとりは、どうしようもない寂寥感が襲って泣きそうだった。
『ミオは花火の間、ずっとタクミに申し訳なさそうにしてたよ』
今まで黙っていたレイは、そこで独り言のように言った。
私と拓海くんは、同時に彼を見る。
私はほんの少し緊張していた。
レイは私が勝手にはぐれて、自分が探し当てたことを言うんだろうか。
そう思いもしたけど、彼の口はそれ以上開かなかった。
しばらくレイをじっと見ていた拓海くんは、一息ついて私に目を移す。
「澪。 今年は残念だったけど、来年またリベンジしようぜ。
来年も絶対帰ってくるから、一緒に見よう」
そう言い、拓海くんは笑いながら私の頭を撫でてくれた。
「うん、本当にごめんね」
私はちょっと泣きそうだった。
いつだって拓海くんは優しいのに、私はなにをやってるんだろう。
「もういいって! じゃあとりあえず帰るか」
その言葉で、私たちは揃って歩き出す。
たぶん拓海くんは、私とレイがずっと一緒だったと思っている。
本当は違うと、訂正はできなかった。
私は横目でとなりを見る。
レイの足どりはとてもゆっくりで、さっきよりも遅いくらいだ。
その理由をわかりすぎるくらいわかっていたけど、レイはもう私に腕を貸さなかったし、もちろん私が手を伸ばすこともなかった。
(はぁ……)
家に戻ってシャワーを浴びた後、私は縁側で麦茶を飲んでいた。
ここでサンダルをぶらぶらさせるのは、昔からの癖だ。
そうしているうちに、今日あったことが頭に浮かんでくる。
無意識に視線を落とせば、サンダルの間にばんそうこうが見えた。
「あぁ、澪。こんなとこにいたんだ」
ぼんやりしていると、六畳間の向こうから声がした。
「部屋に行ったらいなかったから、どこかと思った」
タオルで髪を拭きつつ、拓海くんがとなりに座る。
「今日は本当にごめんね。一緒に花火見れなくて……」
「もう、何度謝るんだよ!
はぐれたのは俺も悪いしさ。気にすんな」
そう言って笑い、拓海くんは視線を前にやった。
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