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一目惚れをした。
恥ずかしい話だから誰にもしたことがなかったが、唯一信頼できる男二人には話したことがあった。いや、一人に関してはもういないし、もう一人は確認を兼ねて話したのだが、そいつはのらりくらりとかわしながら俺が欲しい答えをくれなかった。
幼いころ、母を亡くして気が沈んでいたところ、母が好きだった庭園で泣いている一人の子供を見た。
「ここで何をしている」
「……え、あ」
その時は、勝手に迷い込んだのだと、出て行けと忠告するつもりで声をかけたのだが、こちらに向けられた大きな海色の瞳に、毛先に愛らしいピンクを主張させたサーモンピンク色の髪を持つ子供に俺は目を奪われてしまった。目にためた涙はぼろぼろとこぼれていて、抱きしめなければ涙になって消えてしまいそうなほどかわいくて、か弱い存在だと胸を打たれる。
なぜ泣いているのか理由はわからなかったが、とにかく泣き止んでほしいいっしんで、母親の形見であるハンカチをその子供に差し出した。
「これで、涙を拭け」
「す、すみましぇ……すみません、あ、あ、う、ぅ」
「……泣くな。俺が泣かせたみたいだろう」
子供はハンカチを差し出せば、さらに泣き出して顔をべちょべちょにぬらした。俺もどうしていいかわからず、子供の相手などしたことがなかったため、とにかく子供の背中を撫でた。
「ずみましぇん……わたし、ハンカチ、こんな……」
「いい。涙をふくためにあるだろう。ハンカチなど」
「でも、これ、洗って返します」
「ああ、そうしてくれ。それは、母の形見だからな」
「ええっ」
ようやく泣き止んだ子供の顔はやはり腫れていたが、泣いているときにはわからなかったかわいさが顔を出す。ハンカチが母の形見だといえば驚いて、あわあわと表情を変えたのもまた愛らしかった。
「それにしても、貴様、なぜここにいる? ここは、皇族しか入れない庭園だが?」
「え、えっと、お父様が……正確には、お母様が、その、皇族の親せきで。お父様の用事で今ここにきていて。ああ、えっと、皇帝陛下の許可は出ていて」
「……そうだったのか。まあ、それなら」
「あの、殿下……えっと、ゼイン・ブルートシュタイン皇太子殿下、であってますよね」
「ああ、そうだが? 貴様は?」
「わ、たし、ですか、私は……」
その時、子供は名前を教えてくれなかった。頑なに、まるで名前を言うなと言われているように。だから俺はあえて聞かなかったし、無理やり聞くのはあれだと思った。ただ、皇族がらみであればいつかはわかるだろうとその時は聞かないことにした。
そうして、どんな流れでそうなったかわからなかったが、この子を泣かせない、俺は立派な皇帝になるんだと宣言した。その時、子供が見せた笑顔が、俺をかっこいいと素直にまっすぐと言ってくれたその顔と言葉が何よりもうれしくて、母の死の悲しみを和らげてくれた子供にさらに俺は心酔した。子供ながらに、いや、その子供を守って俺の妻にすると。男かも女かもわからなかったのに思ったのだ。
「ああ、約束する。俺は皇帝になる。なって、貴様が泣かなくてもいいような国にするからな」
「ふふっ、それはとても楽しみです。でも、もう泣きません」
「……ど、どうせ、また何かあったら泣くだろ。貴様は」
「泣きません。殿下がそう誓ってくれたんですもん。それに、泣いたら殿下に嫌われるんだったら、泣きません」
「……くそっ、貴様は――くそ、かわ、い……俺の覚悟を笑うのか!」
「わ、笑ってませんよ! 殿下が誓ってくれたの、未来の皇帝になるって宣言してくれたのが嬉しくて。私も負けていられないなって思ったんです。絶対ですからね、絶対、皇帝になってくださいね! 応援してます」
「貴様に言われずとも、皇太子の俺が皇帝になる未来は確定だ! 待ってろ、俺が皇帝になるとき貴様には特等席でそれを見せてやろう」
「はい、待ってます」
待っている。その言葉で、俺は何でもできるような気がした。
だが、その後待ち受けていた裏切りにより、俺はその子供との記憶を半ば忘れ、ディレンジの派閥が強くなってきていると父に言われ、皇族と深い関係があるアジェリット公爵家の公女と婚約することになった。
病弱で社交の場に顔を出さない女だと聞いて、そんな女を娶ったところで子供は産めないだろうと呆れていた。だが、皇帝になると、そう誓ったことは、その誓いだけは破れないと俺は会いたくもない女に会うことにした。そのとき、少しだけ期待はあったのだが。
「貴様は――」
「はい」
「……つまらないな」
「はい?」
期待は、期待通りといった感じで、顔合わせの時、美しく着飾ったペチカ・アジェリットを見て、あの誓いを思い出した。そして、彼女がもしかしたら俺が誓った、妻にしたいと思った一目惚れの……初恋の相手だったのだろうかと。だが、その確信もそこそこに、何も覚えていない彼女に少し腹も立ち、もしかしたら違うのではないかとすら思い強引に彼女を押し倒してしまった。気が動転していたとのもあったが、ペチカではなく、べテルだったら……そうだったら、俺はいやだと思ってしまったのだ。男とは結婚できない。そんなクソみたいな考えから押し倒すなど最低極まりなかった。だが、彼女は俺が思っているよりも強く、俺の腹を蹴り飛ばして婚約破棄をといったのだ。
「……イグニスの言った通りだな」
「ああ、ペチカが思い出してくれたんだ。よかったじゃん」
「何だ、冷めているな。もっと祝福してくれてもいいんだぞ?」
始まりは、イグニスにあの子供について聞いたことだった。側近であり、俺を裏切らなかった男であるイグニスは、俺が過去の話をすると顔色を変えてそれからバカにするように笑った。イグニスは双子の姉弟ということだけ俺に情報を与え「どっちだと思う?」と挑発的に笑った。
イグニスは答えを知っていたのだろうが、俺はすぐに答えを出すことができなかった。男か、女か……それが大きな問題だった。そうして、俺の前に現れたべテル。俺の婚約者となったペチカ。ペチカに一目ぼれしたわけだが、あの日の子供がペチカだと確証を得られずにいた。
だが、今回ようやくその真相が解明された。
べテルはペチカで、あの日あった子供もペチカだったと。
「そうだね……でも、これからが問題なんだよ。ゼイン」
「何も問題じゃないだろ。俺の護衛は貴様だけで事足りてるぞ?」
「そうじゃない……ペチカが抱えている問題はそんなんじゃないよ。べテルが消えればいいってそういう問題じゃない。ペチカは、べテルである自分のことも大切にしている。でも、それは……」
「イグニス?」
ペチカとの一連の出来事を話した。イグニスはてっきり祝ってくれるものだと思っていたが、浮かない顔をしている。
ペチカは確かに俺をだましていたわけだが、俺は別に一目惚れした初恋の相手の嘘だと思えばつらくもなかった。ただ、暴き方がまた強引だったとは反省している。べテルがペチカだとわかった以上は、べテルとしては生きていけないだろう。きっと彼女は、べテルとして俺の護衛に、と思っていただろうが、一人二役など続けられるはずもない。区切りをつけてもらわなければならない。ただ、ベテル・アジェリットして彼女……彼に接してきた三年が消えるのは、俺としても心苦しさはある。
どちらもペチカで、どちらも大切だった。俺にとっても、きっと彼女にとっても相当。それを、すぐにとは言わない。
もともと、俺だけが気付いていなかったことだったし、父はそれを黙認していた。近衛騎士団のほうにも話をすることになるだろうし、本格的に結婚の話も進めなければならない。ディレンジのこともある。
「貴様は何が不満なんだ。イグニス」
「不満とかじゃなくてね……ゼインが、ペチカのことを思ってくれるのはうれしいし、兄としても任せられるかな? とは思うよ。でもね、もっと触れてあげてほしい。ペチカの心に。彼女が抱えている問題に」
「彼女は何を抱えているというのだ?」
「……話してないか。まあ、そうだよね」
と、イグニスはいいつつ席を立つ。そして、上着を着なおしてどこかへ向かおうと身支度を整える。
そうして、プラチナブロンドの髪をなびかせてこちらを振り返れば、鋭い目で俺を見る。
「ゼインなら、ペチカを任せられる……と思ってるから」
「だから、なんだ」
俺がそう聞くと、イグニスは息を吸ったのち、もう一度すっと顔を上げ、それから深く頭を下げた。いつもつかめないやつだと、いらだつこともあったイグニスが頭を下げるなど初めてで、俺は戸惑いつつも、彼の真剣さは伝わり、それがペチカにかかわることであると瞬時に悟った。
何をペチカは抱えているのか。
それを知るためには、こいつについていくしかないと。
イグニスはそのまま続けて言葉を紡いだ。俺の護衛としてではなく、ペチカの兄として。
「……ゼイン・ブルートシュタイン皇太子殿下。どうか、俺の……妹のペチカを助けてほしい」