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────リュウシンとの決着もつき、それから数日間を掛けて休む暇もないまま、ヒルデガルドは神の涙を集めた。おそらくこれで全てだろうとヤマヒメに言われるまで探しまわって、ハジロ山の頂上に彼女は一人で立った。
淡い輝きを放つ神の涙からは、いくつもの命の波動を感じる。触れた魔物たちから力を吸い取ってきたのだろう。ヒルデガルドは杖を手に、そっと触れた。
「……現れてくれ、エール」
期待を込めて呟く。強い輝きが空にまっすぐのぼっていく。雲を突き破って、やがて細くなって消えると、彼女の前にはひとりの女が姿を現した。
「また会えたな、ヒルデガルド・イェンネマン」
「ああ。あなたと話すのを楽しみに待ってた」
灰青の長い髪。真っ白のローブ。同じ竜翡翠の杖を手にする神を名乗る者、エール。ヒルデガルドとうり二つの姿で現れた彼女は優しく微笑む。
「果てより見ていたよ。対話の道を選んだ君の決意を」
「それはどうも。ところで、聞きたいことがあるんだが」
「……せっかくだから答えてあげよう」
ヒルデガルドは何を尋ねたものかと顎をさすりながら。
「大いなる災いとはなんだ? あのときは聞きそびれていた」
エールは彼女をまっすぐ指差す。
「君の血が災いを呼び寄せてしまった。彼は気付いたうえで暗闇のように沈黙している。狂気に堕ち、悦楽という名の欺瞞で感情をひた隠す怪物は、大切な者の命を奪うだろう。それは私にもどうしようもない運命のひとつだ、すまない」
エールは首をやんわり横に振って謝った。
「大切な者の命? 誰のことだ、エール?」
「それは言えない。いや、言ったところで変わりはしない」
「なら構わんさ。無理に聞いても答えないんだろう」
「ああ。悪いな、神といっても、こうで不自由なものなんだ」
エールは杖を掲げ、巨大な雷雲で空を曇らせた。
「だが少なくとも犠牲となる命はひとつだけ。その先にある君が守るべき者たちが救えるかは、君の選択次第だ。彼は君を待っている」
「全員を救う道はないのか?」
誰が犠牲になるのかは分からないが、救えるのなら救いたい。その想いで尋ねたが、残酷にもエールは「無理だ」と言い放った。彼女も悔しそうな顔をして。
「私は人間が好きだ、ヒルデガルド。救える命は残らず救いたい。しかし、ヤマヒメのように現人神として顕現するには、この世界は私にはあまりに脆すぎる。だから、私はこんな形でしか力になってやれないんだ。彼女が神の涙と呼ぶモノは、確かに私が僅かにでも人々の助けになるのならと落としたものである」
ごろごろと雷鳴が轟き、風がびゅうびゅうと吹き荒れ始める。
「このように残滓の如き身でしか君たちの力になってやれないことを申し訳なく思う。だが、それと同時に、この与えられる僅かな希望で、君たちが前へ進むための道を創ろう。──受け入れろ、ヒルデガルド」
ヒルデガルドは深く頷いて返す。
「分かった。受け入れるよ、ありのまま」
身を焼き尽くすような雷がヒルデガルドを撃った。膨大な魔力、これまでどれほどの魔物から吸収してきたのかと思うようなエネルギーの波。全身を包みこむ激痛には呼吸さえままならないが、不死身である彼女の身体は見事に耐え抜き、エールの祝福を受けた。すべての力を取り戻すどころか、自分が経験した何時よりも大きな力を得たのだった。
その後、エールの姿はもうどこにもなく、集めてきた神の涙は、その役目を終えてばらばらに砕けていた。
「ヒルデガルド~! なんじゃ、済んだのかのう?」
「イルネス、迎えに来てくれたのか」
ハジロ山の頂上で何が起きるか分からないからと麓で待っていたところ、凄まじい雷鳴と魔力の波動を感じて、心配になって登って来たイルネスは、その両腕に大きな弁当箱を抱えていた。僅かに蓋がずれている。
「ヤマヒメが弁当でも持っていけと言ってのう。用が済んだのなら食べようぞ。……あっ、ちょっとつまみ食いしてもうたが、ちゃんと残してあるからの!」
「はいはい。別に君が食べたって怒りはしないよ」
どうせ前科もあるし、とは言わなかった。
「ふふん、気前が良くて実に助かる」
「まったく君という奴は本当に……」
座って、イルネスが弁当箱を開けるのを見て固まった。残している、というわりには、せいぜいすべてのおかずがひと口ずつある程度だ。腹を満たすには程遠い量を見て、もう呆れるしかできなかった。
「ヤマヒメは笑うんだろうな、これ」
「ぬう……。すまぬ、つい美味かったもんで」
「いいさ、別に期待してなかったから」
「はは、埋め合わせはしよう。ところで、じゃが」
ちらと崩れた神の涙に視線をやって尋ねた。
「エールという神に会うたのだろう。見たところ、随分と力を増しているようで何よりじゃが、それでアバドンに勝てる見込みはあるんかのう」
「どうだか。だが少なくとも負ける気はしてない」
仕方なく弁当の残りを平らげて、遠くの景色を見ながら。
「与えられた五年のうち半分の期間で済んだんだ、もう少し修業を積んでもいいかもしれんとは思っているが、大陸に戻ろう。今度は君の力を取り戻す番だ」