テラーノベル
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ゆうき あきや
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#心理描写重視
第2話:庭に行き倒れの「もふもふ」
チュン、チュン、という鳥の長閑な囀りで目を覚ます。
「……朝、か」
固い畳の上に敷いた寝袋の中で、ゆっくりと身を起こした。
いつもなら、スマートフォンの無機質で暴力的なアラーム音に叩き起こされ、吐き気を堪えながら満員電車に揺られている時間だ。しかし、今の俺を包んでいるのは、障子越しに差し込む柔らかな木漏れ日と、耳鳴りがするほどの心地よい静寂だけ。
大きく伸びをすると、固まっていた背中の筋がポキポキと小気味良い音を立てた。
「あぁ……本当に、辞めたんだな」
誰もいない六畳間で、思わず独り言が漏れる。改めて『自由』という名の果実を噛み締めた。誰からも急かされず、何かに追われることもない朝が、これほどまでに贅沢で、涙が出そうになるほど尊いものだったとは。
とりあえず顔を洗おうと、縁側の引き戸を開けて外へと出た。
昨日到着した時はすでに夕暮れ時でよく見えなかったが、明るい日差しの下で改めて見る我が家の庭は、想像以上の「大自然」だった。
大人の腰の高さまである名も知らぬ雑草が生い茂り、完全に荒れ果てている。家庭菜園で自家製野菜を、なんてスローライフのテンプレを夢見ていたが、まずはこのジャングルを丸裸の開拓地に戻すところから始めないといけないらしい。
「まあ、時間は腐るほどあるしな。ゆっくりやろう」
焦る必要はどこにもない。ここは誰にも文句を言われない、俺だけの城なのだから。
そう思って、伸び切った草を掻き分けながら庭の奥へと足を踏み入れた、その時だった。
「……ん?」
鬱蒼と茂る緑の中で、そこだけが異様に浮いていた。
ポツンと、真っ白な雪の塊が落ちているような、決定的な違和感。今の季節に雪など残っているはずがない。
不思議に思ってさらに草を掻き分け、近づいてみる。
「うわっ……!?」
思わず、情けない声が漏れた。
そこに倒れていたのは、一匹の『猫』だった。
いや、本当に猫だろうか? 一般的な野良猫よりも二回りほど大きく、中型犬ほどの立派なサイズがある。
何より俺の目を釘付けにしたのは、その常軌を逸した毛並みだ。泥だらけの雑草の中に横たわっているというのに、汚れ一つない純白。さらに言えば、朝の光を乱反射して、ほんのりと真珠のような輝き――まるで、神聖なオーラのようなものを放っているように見えるのだ。
「おい、大丈夫か……!?」
警戒しながらも恐る恐る手を伸ばし、その白い背中に触れてみる。
――ふわっ。
指先が沈み込んだ瞬間、脳内に強烈な電流が走った。
なんだこの手触り!? 最高級のシルク? いや、高級な羽毛布団をさらに極限まで滑らかにしたような……雲を直接撫でたらこんな感覚なのかもしれない。とにかく、とんでもない『もふもふ』だ。
しかし、その極上の手触りに感動している場合ではない。もふもふの体はぐったりとしており、微弱な呼吸を繰り返すばかりでピクリとも動かない。
車に轢かれたのか、それとも野生動物に襲われたのかと慌てて体をくまなく調べたが、目立った外傷はない。
ただ、お腹のあたりがぺったりと背中にくっつきそうなほど凹んでいる。
『きゅるるるぅぅぅ……』
静かな庭に、とても可愛らしい、けれど命に関わる切実な音が響き渡った。
「……なんだ、腹ペコで行き倒れてるのか」
俺はホッと、心底安堵の胸を撫で下ろした。
過労死寸前で会社から逃げ出してきた自分と、空腹で行き倒れているこの白い毛玉。なんだか他人とは思えない、妙な親近感が湧いてくる。
「ちょっと待ってろ。今、何か食えそうなものを作ってやるから」
俺は急いで立ち上がり、台所へと駆け戻った。
とはいえ、引っ越してきたばかりの古民家に気の利いた食材やキャットフードなどあるはずもない。
昨日、道中の小さな商店で買い込んでレジ袋に詰め込んでいた、自分用の非常食を無我夢中で漁る。
出てきたのは、レトルトのご飯、ツナ缶、そして顆粒の和風出汁。
「よし、これなら猫でも食べられるか……? いや、人間の食べるツナ缶は塩分や油分が多いから、しっかりお湯で洗わないとダメだったか?」
かつて子供の頃に実家で犬を飼っていた時のうろ覚えの知識と、ネットの切れ端の情報を引っ張り出しながら、埃を被ったカセットコンロに火をつける。
小鍋で湯を沸かし、レトルトご飯を投入。ツナ缶はザルにあけて熱湯をかけ、徹底的に油と塩分を洗い流してから鍋に加える。最後にほんの少しだけ出汁を加えて、食欲をそそる香りを立たせる。
あっという間に、特製『ツナ缶雑炊(猫用減塩アレンジ)』の完成だ。
人間が食べても普通に美味しそうな、ホッとする匂いが湯気と共に漂ってくる。
火傷しないように人肌程度までしっかり冷ましてから深めのお皿に盛り、急いで庭へと戻る。
「ほら、食えるか?」
ピクリとも動かない白い毛玉の鼻先に、雑炊を入れた皿をコトンと置いた。
ピクッ、と真っ白な耳が反応した。
ゆっくりとまぶたが持ち上がり、その瞳があらわになった瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
右目が透き通るようなサファイアブルー、左目が黄金色に輝くアンバー。宝石のように美しいオッドアイが、俺と、そして目の前の雑炊を交互に見つめる。
『ニャ、ニャァッ!』
次の瞬間、先ほどまでの瀕死状態が嘘のようにバネ仕掛けで跳ね起きると、猛然と雑炊にがっつき始めた。
「お、おい、ゆっくり食えよ。喉詰まらせるぞ」
ハフハフと熱がりながらも、ものすごい勢いで皿を舐め回していく。よっぽど腹が減っていたのだろう。
その見事な食べっぷりに、俺は思わず頬を緩め、しゃがみ込んでその背中を優しく撫でた。相変わらず、異常なほどの手触りの良さだ。
ものの数分で皿は新品のようにピカピカになり、白い毛玉は満足そうに口周りを前足で念入りに拭っている。
「お粗末様。腹一杯になったか?」
空の皿を片付けようと手を伸ばした時だった。
『ニャァ……』
白い毛玉が、すり、と俺の手の甲にその頬を擦り付けてきたのだ。
「えっ」
『ゴロゴロ、ゴロゴロ……』
まるで小型のエンジンのような低い喉鳴らしの音を響かせながら、足元にぴったりとすり寄ってくる。どうやら一宿一飯の恩義を感じてくれたのか、完全に懐かれてしまったらしい。
そして――その瞬間に『異変』は起きた。
「……なんだ、これ?」
もふもふの体が足に触れた途端、まるで極上の温泉に肩まで浸かった時のような温かい波が、つま先から頭のてっぺんへと一気に駆け抜けていったのだ。
ブラック企業での激務で身体の芯まで蓄積されていた万年肩こりが、氷が溶けるようにスッと消える。
常に重りをぶら下げているようだった腰の鈍痛が、嘘のように消散する。
睡眠不足で鉛のように重かった頭が、信じられないほどクリアに冴え渡り、視界の彩度までが一段階上がったように鮮明になった。
「……疲れが、全部吹っ飛んだ……?」
信じられない思いで自分の両手を見つめ、肩を回してみる。羽が生えたように軽い。
整体に行ったわけでも、怪しい特効薬を飲んだわけでもない。ただ、この猫に擦り寄られただけだ。
足元を見下ろすと、オッドアイの瞳が「どうだ、凄かろう?」と言わんばかりに俺を真っ直ぐに見上げていた。気のせいか、その白い毛並みが、先ほどよりも一層キラキラと神々しい輝きを増しているように見える。
「お前……絶対、普通の猫じゃないよな?」
問いかけても、もちろん言葉は返ってこない。ただ『ミャウ』と可愛らしく短く鳴いて、俺のあぐらをかいた膝の上にぽふりと飛び乗ってきただけだ。
圧倒的なもふもふ感と、全身を満たしていくマイナスイオンの奔流。
これ以上の至福が、この世に存在するだろうか。いや、絶対にない。
「よし、決めた」
俺はその真っ白で神々しい毛玉を、そっと両手で抱き上げた。腕の中に収まるズッシリとした温かい命の重みが、心地いい。
「お前は今日から『シロ』だ。行く宛てがないなら、俺と一緒にここで暮らすか?」
『ニャァ!』
シロは元気よく返事をすると、俺の顎にザラリとした温かい舌を這わせた。
かくして、社会からドロップアウトした38歳の無職と、人知を超えた癒やしパワーを持つ謎の真っ白なもふもふ。
一人と一匹の、常識外れで最高に幸せなスローライフが、ここ北の大地でひっそりと幕を開けたのだった。
コメント
1件
うわっ、シロちゃん可愛すぎる…!触れただけで疲れが吹っ飛ぶとか、これ完全にスキル持ちの癒し系もふもふじゃん!ツナ缶雑炊(猫用減塩アレンジ)のくだり、ちゃんと塩分気にしてて主人公の優しさが出てるなあ。38歳無職×神聖もふもふのコンビ、最高にほっこりする😊