「そのうちきっと虐げられた美しい令嬢との素敵な出会いもあると思うで! 早々に諦めんと頑張れ!」
「今日! その! 虐げられた令嬢と俺は結婚したばかりだ!」
コテンと首を傾げ、麗は自分で自分を指さした。
「ええ? 私? 出自こそあれやけど、そこそこ幸せに暮らしてきた私が虐げられ令嬢名乗るなんて、虐げられ令嬢界に失礼やない?」
「まず何だ、その虐げられ令嬢界って」
「いや、知らんけど」
知らんのかと、軽くツッコミを入れつつ明彦は言葉を続けた。
「借金の形に好きでもない男、つまり俺に売られたんだから、十分不遇だろ?」
「いやいや、私、アキ兄ちゃんのこと大好きやで?」
好きでもないだなんてそんなわけない。
これまでどれほど明彦に世話になってきたことか。
明彦が麗に聞かせるための深い溜息を吐いた。
「ラブじゃなくてライクだろ?」
「当たり前やん! 私ごときがそんな身の程知らずな恋なんかするわけないわー」
麗は全力で手を横に振った。ないないと笑って否定をすると明彦に睨まれた。
「全力で否定するな、実はちょっと気になってたと頬を染めろ。傷つくだろ?」
「え、ごめん。モテ男のプライドを傷つけて。でも私、アキ兄ちゃんのことはほんまに大好きやで」
明彦はそりゃあモテる。ものすごーーーーくモテる。近くで見てきたのだからそれは確かで、麗一人くらいドキドキしなくても誤差の範囲内だと思うのだが、明彦はそうではないらしい。
「何位だ?」
「何が?」
「お前の中の俺の順位」
「ぇえーーー? 死者は順位に含みますか?」
バナナはおやつに入りますか感覚での質問に、明彦が再びはーーーーっと深い溜め息をついた後、目を眇めた。
「含まない」
「なら世界で二番目かな。ほら、一位は不動で姉さんやろ、私」
そう、麗は明彦のことがかなり好きなのだ。死んだ母と同じくらいに。
麗がついてないといけなかった弱かった人。
正反対の麗なんぞいらないはずの強い明彦。
二人とも、麗は好きだ。姉の次に。
「お前はいつだって、麗音のことしか考えていないな」
「うん!」
麗は元気に頷いた。姉は麗の生きる意味なのだ。
だが、明彦はその返事が気に入らなかったのだろう。ちょっと睨まれた。
「まあいい、欠片も意識されていないのはわかっていたことだ。まずは、そのアキ兄ちゃんって呼び方をやめてもらおうか。俺は麗の兄じゃない。夫だ」
明彦は心底嫌そうな顔をしている。呆れと怒りが表情から読み取れてしまい、麗は明彦に突き放されたような気がした。
「だって、その須藤さん? は……」
兄みたいに思っている。優秀な姉の友人。
麗なんかのことをずっと可愛がってくれていた。
お菓子をくれたり、勉強を見てくれたり、からかわれたり、頭を撫でてくれたり、遊びに連れて行ってもらったり、 気にかけてくれていた。
明彦だって妹みたいに思ってくれていると、思い上がっていた。
心もとなくて、寂しくて、姉が遠くに行ってしまったのに続いて、明彦もいなくなってしまう気がして俯いた。
「その呼び方もやめろ。麗も今日から須藤だろ? そもそも、麗は俺が大切な妻をぞんざいに扱うようなやつだとでも思っていたのか?」
「そんなわけないやん! アキにぃ、明彦さんのことはさっき言った通り世界で二番目に好きやし、だからこそちゃんとお仕えするつもりで、家事とか頑張って……へぶぁっ!」
突如、ドサリとベッドに落とされて麗は変な声が出た。
スイートルームのベッドはスプリングが効いていて体が跳ねたのだ。
「二番目と言われて俺が喜ぶとでも思ったか」
明彦と目があった。凄く近くで。覆いかぶさられているのだ。
(もしかして、アキ兄ちゃんは本当に本気なの?)
先程までは、余裕があった。
明彦も戯れ半分で、冗談のような言葉の応酬で終わるのだと思っていた。
だが、今の明彦の瞳は剣呑そのもので、麗を捕らえて離さない。
「あ……わ、たし……」
回らない頭の代わりに、いつもならよく回るはずの舌がうまく動かない。
「今更後悔しても、もう遅いからな。すでに籍は入っていて、麗は俺のものになってるんだ」
「いや、その、わ、わたしは、えっと、わたしのもの、と、いいますか。……いや、姉さんのものなのかな? いや、私が私の意思で姉さんのものになっているといいますか……」
言葉が上滑りしている。麗は完全に状況に呑まれていた。
初めて明彦を怖いと思った。すっかり怯えきった顔をしている麗が明彦の瞳に映っている。
「麗音のことは忘れろ。それで、その狭すぎる眼中に俺を入れろ」
明彦と目があった。凄く近くで。
(あ、キスしてる。私。アキ兄ちゃんと、キスしてる)
なぜキスをされているのかわからず、麗の頭が混乱して動けない間に、ゆっくりと明彦の顔が離れ、見つめ合う。
「何、すんのよ……」
しどろもどろになりながら明彦を詰る。
だって、これは違う。
式場の中で、キリスト教徒でもないのに、白人の多分偉い片言なおじさんの前で形式的にした口づけとはまるで違う。
しかし、返事がもらえず麗は明彦の目を見た。
「ちょっと、アキ兄…、明彦さん?」
「いいか、麗がどういう認識でいようが、俺はちゃんと夫婦になるつもりだ。否やは聞かん。もう籍は入ってるからこっちのもんだ」
「え、あ、え?」
明彦の大きな手が麗の胸元に触れようとしてきて、ビクリと震え、ぎゅっと目を閉じた。
「はぶっ」
鼻を摘ままれ、麗は目を薄く開いた。
「無理矢理したりはしない。だが、結納の日に俺が言ったことを今一度よく考えるように」
「あ……う」
「麗はもう、麗音のものじゃない。俺のものだ。忘れるな」
返事ができないでいると明彦がため息を吐いた。
「とはいえ今日のところは退いてやるから、ここで寝ろ。俺は向こうで寝る」
明彦にベッドに降ろされ、反駁する暇も与えてもらえず、明彦は続き部屋のソファへと行ってしまった。
「うそやろ…?」
一人では広すぎるキングサイズのベッドの上で、麗はポツンと一人、これからどうなるんだろうかと考えることしかできなかった。
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