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「おはようございまーす」
「おは、えっ?」
次の朝、麗が所属する営業二課の部屋に入ると、先に席についていた男の同僚の五木が驚いた顔をしていた。
ここでは、麗は一応社長令嬢である。
佐橋児童衣料、通称SAHASHIは着ているだけで皆を笑顔にする服を! というコンセプトの子供服のメーカーだ。
麗は会ったことのない亡き祖母が立ち上げ、全国のデパートに入り、出産祝いには佐橋児童衣料の服を贈れば間違いないと言われるほどに育て上げた。
佐橋児童衣料の商品には、胸に特徴的な猫のマークがついていることが多く、日本人ならば誰もが知っているブランドの一つである。
麗は短大を卒業した年に入社し、今も働いている。
麗は父との関係が悪いので嫌ではあったが、短大時代にそれこそ父のせいで就活ができなくなり、姉が社員枠を確保してくれたのでありがたく就職した。つまり、思いっきりコネ入社だ。
その上、珍しい名字のせいで、自分から社長の娘だと言わなくても、皆気づいていた。
会社の業績を悪化させた諸悪の根源たる父との繋がりは恥だが姉との繋がりは恥ではない。むしろ誇りであるため積極的に隠してはいない。
「あれ? え、佐橋さ……須藤さん? になったんで良かったっけ? 今日お休みじゃないの?」
昨日、結婚式だったんだよね? と言いたげな表情である。
「はい、須藤になりました。今後もよろしくお願いします。今日は、元々出勤の予定でしたから。明日からお休みいただきます。ご迷惑おかけしますがよろしくお願いします」
話している間にも同僚は増えてきて、皆何か言いたげな顔をしているが、麗は気づかないふりをしてお茶を用意しに給湯室へ向かった。
麗が営業二課で一番若いので、これも仕事のうちである。
給湯室の前につくと、中には人の気配があって、事務の女性達が何やら話し込んでいる。
「ねー、昨日でしょ。麗音様の妹の結婚式」
「そうそう、麗音様の婚約者を奪ったって話」
「あの妹、大人しそうな顔してやることえげつないね。相手は須藤デパートの御曹司でしょ? そりゃあなりふり構わないわけよ……」
(早速、私の噂話になってるなー。しかも棚橋さんを奪った話がアキ兄ちゃんを奪った話にすり替わってるし。うわー、今後やりづらくなりそう)
明彦は、正しくは須藤百貨店ではなく親会社の須藤ホールディングスの御曹司である。
あと、麗が奪った婚約者は棚橋だ。明彦を奪った覚えはない。
「御曹司ぃっ! はぁ! 羨ましいっ!」
「御曹司ならなんでもいいわけ? 嫌味ハゲかもしれないじゃん」
(実物は超イケメンなのに、アキ兄ちゃん、嫌味ハゲにされてもうた……)
「嫌味ハゲでも私は金持ちだったらなんでもいーの!」
「馬鹿ねぇ。金を持っているかは大事だけど、もっと大事なのはその金を家族のために使ってくれるかよ?」
(それはほんと、そう)
父からろくに養育費を貰えなかった麗は強く頷いた。
「そういえば、あの妹って愛人の娘らしいね。社長が事件起こしたときにワイドショーで報道されてたじゃん」
「あ! わかった!」
「なになに?」
「親が決めた婚約者同士だった御曹司が妹と浮気して、麗音様は、してもいない妹苛めの罪で婚約破棄されたの! そして失意の麗音様はアメリカへ出奔。最初はあのクズ社長と妹と御曹司は喜んでいたけれど、麗音様がいなくなって会社はどんどん立ち行かなくなっていって……」
(あー、はいはい、今更帰ってこいって言っても、もう遅い! ってやつね)
麗は一人あるあるーと頷いた。
「え、じゃあこの会社やばいじゃん」
「いや、この会社がヤバいのは元々だし。転職しなきゃ」
一人がそうツッコむと、どっと笑い声が聞こえた。
そう、この会社はいよいよヤバいのだ。
なんてったって社長が悪い意味で有名人なのだから。
まだ数年前の話だ。
父が子供服の会社の社長だというのに、年齢が娘と近いくらいの新しい愛人とドライブ中に飲酒運転で捕まったのだ。
そして俺を誰だと思っている! と、警察官に詰め寄っているところをSNSに拡散された結果、マスコミに喜び勇んで報道され、このご時世に家柄のいい正妻を放置して、あちこちに愛人を囲い、麗という庶子まで作っていることまで報道され、若い世代の客がさっぱりいなくなった。
だが、あいつは創業者でもあった母親、つまり麗の祖母から会社の株をたーーーくさん譲ってもらっており、大株主でもあるから、誰もクビにできない。
そのせいで責任を取らせることもできず、会社はどんどん弱って行っているのが現状だった。
ひとまず麗は、この流れの中給湯室に入るのは諦め、廊下に戻ると、副社長が部署の前に来ていた。
「おはようございます。副社長」
「麗君っ。ちょっとええか?」
慌てた様子で手招きされて、廊下の端へと呼び出される。
「何で出勤してきたん? 結婚休暇制度とってたよね?」
「実は、結婚が急に決まったので引き継ぎしきれなくて、明日からお休みいただくことになっていまして」
正直、今日は針の筵だとしても仕事をしていたかった。
兄妹のような関係をやめるという明彦にどんな顔をすればいいのかわからないのだ。
「すまないね、社内でも肩身が狭いやろうに」
「大丈夫です」
初代社長の頃から会社にいてくれている副社長は穏健派で、押しが強くはない。
補佐として有能で部下にも好かれているが、自分から物事を動かすタイプではない。
今も会社に残っているのは亡くなった初代社長への忠誠心に他ならない。
今会社に残っている重役はほとんどが初代社長のシンパだ。
だからこそ、皆、同じカリスマ性を持った姉が社長の座につくことを楽しみにしていた。
「今日は各店舗に回って新商品の売り場を作りに行くだけのつもりですので、直行直帰で帰らせていただきますね」
「なるべく早く帰るんやで」