『―――あさん……』
「?」
どこからか聞こえた声に、隆太は夢のふちから舞い戻った。
『……かあさん……!』
男の声。
呻くような、泣くような―――。
誰の声だ。
花崎か?それとも尾山か?
ーーー花崎かもしれない。
自分の代わりに死んだのは母親だろうと思って、泣いているのかもしれない。
隆太だってそうだ。
自分のために死んでくれる人なんて、結局のところ自分を生んだ母親しか思い浮かばない。
ーーーまあ、うちの母親の場合は、「息子の為に死ぬ勇気があった」のではなく、「死神の申し出に断る勇気がなかった」と言った方が正しいかもしれないが。
『―――お母さん……!』
――――。
悲痛な声に、柄にもなく胸が痛む。
ーーー少し、話をしに行ってみようか。
どうせ寝ても寝なくても疲れたり眠かったりすることなんてない。
隆太はベッドから足を下ろし、ドアを開けた。
「――――!!」
「こんばんは」
目の前に立っていたのは―――アリスだった。
「な……なんだよ……!今日はなんもしてねえだろうが!」
驚きすぎてつい声が高くなる。
アリスは鋭い目で隆太を睨むと、瞬時に唇を縫い付けた。
「んんんっ!!」
「まあまあ、立ち話もなんですから」
彼が言った瞬間、隆太はいつの間にかベッドの上に座らされていた。
「さて明日のことについて、ですが」
アリスは座った隆太の視線に合わせるように少し屈んだ。
「あなたの前には、二つの選択肢が提示されます」
「―――?」
隆太は眉間に皺を寄せてアリスを見つめた。
「二択を迫られ、判断に悩んだら」
アリスは小さく白い人差し指を立てて、隆太の胸をトンと突いた。
「本能に、従ってください」
―――二択?本能?……何を言ってやがる。
「僕は、あなたの味方です」
「……………」
隆太は、とても味方には見えないアリスを睨んだ。
「それでは。おやすみなさい」
「――――!」
瞬きを一度した隙に、アリスは部屋からいなくなっていた。
唇を確認する。
元に戻っている。
彼がいたはずの部屋には、病院のような残り香が漂っていた。
◆◆◆◆
夜が明けた。
結局隆太は、花崎の部屋に行ってみることもできず、惰眠を貪ることもできず、ただただ、今までの人生を思い返していた。
自分はどこをどう間違えたんだろう。
小さいときはーーー。
本当に記憶がギリギリあるくらいの小さなときはーーー。
父も母も優しかった気がする。
あれだ。
おかしくなったのは弟が生まれてからだ。
弟の健介は父の狐目を受け継ぎ、母の団子鼻をもらって生まれた。
見た目にはお世辞にも可愛いとは言えなかった。
親戚の集まりやスーパーの人ごみで褒められるのはもっぱら隆太で、コミュニティ雑誌や、ローカルのCMにも出たことがある。
「隆太君はすごいねー。将来は芸能人だね!」
周りがそう言うたびに、母は謙遜して言った。
「隆太は顔が可愛いけど、健介は頭がいいのよ」
そのたびに隆太は、4つ下の弟を妬ましく思った。
ーーーそれって何?俺が馬鹿ってこと?
こんなクソのついたケツを自分で拭けないようなガキより?
妬みはやがて攻撃として現れるようになり、隆太は健介を叩き、蹴った。
健介の大事にしていた玩具をわざと壊し、お気に入りの靴を隠した。
それでも健介は、いつもいつの間にか玩具を修理し、どこに隠しても靴を探し出してきた。
「―――ムカつく」
そのうち飛びぬけて可愛かった隆太の容姿も成長と共に落ち着き、”学年で10位以内に入るイケメン”程度まで落ちぶれたとき、才覚を現したのは健介の方だった。
小学校読書感想文で、総理大臣賞を受賞した。
高学年作曲コンクール、県の交通安全ポスターコンクール、夏休み自由研究コンクールなど、『コンクール』と名のつくものを全て受賞しつくし、異例の快挙に校長先生から奨励賞をもらうと、一気に彼を見る目は変わっていった。
ぐんと伸びた身長にもともと備わっていた気質が相まって、彼は女子にもモテ始めた。
バレンタインデーには抱えきれないチョコを、近所の女子たちに持ってもらって帰ってくる姿を見て、隆太はついにグレた。
髪の毛を脱色し始めても、父親は何も言わなかった。
煙草の吸殻を台所のごみ箱に捨てても、母は何も言わなかった。
「大学は行かないから」
隆太の言葉に2人は息を合わせたように「あら、そう」と頷いただけだった。
クソみたいな性格に、ちょっとだけマシな容姿。
家を追い出されない程度の愛情をもらうかわりに、クリスマスケーキはいつも隆太の分だけなかった。
その程度の人生。
その程度の存在。
その程度の命。
そう思っていたのにーーー。
詩乃というワンチャンがあった。
だが結局、それも生かせず―――。
『もし死にたいなら、生き返ってからもう一度、自分で死ねばいいんじゃね?』
土井尚子に吐いた信じられなく冷酷な言葉が、ブーメランのごとく自分に跳ね返ってくる。
そうか。
そうだよな。
俺は―――。
生き返ろうが死を選ぶ。
―――トントン。
ドアがノックされた。
さあ、ゲーム再開だ。
隆太はベッドから足を下ろした。
扉を開ける。
「―――え」
そこには思いも寄らぬ人物が立っていた。
「仙田君。ちょっといいか」
尾山は辺りを気にしながら後ろ手にドアを閉めた。
「ーーーー」
なんだ、この殺人犯。
俺に何の用だ。
―――ちなみにあれだよな。
ここで殺されてもノーダメージって見解でいいんだよな……?
いや、別に生き返りたいわけじゃないんだけど。
隆太は尾山を睨んだ。
―――サイコ野郎の殺人犯に殺されるのは嫌だわな……。
「単刀直入に聞く。仙田君は実のところ生き返りたいのか?」
なんでそんな質問をするんだろう。
生き返りたくないなら、自分は生き返りたいから協力しろとでも言うつもりか?
それなら死んでもごめんだ。
お前は生き返ったらきっと逃げのびる。
絶対自殺に追い込んでやる。
埼玉県で、こんな異常者を野放しにするわけには行かない。
―――隣県の茨木には……嫁と娘がいるんだよ……!
隆太は尾山を睨んだ。
「……まあ、俺はどっちでもいいけど。なんでそんなこと聞くの」
言うと彼は苛立たし気に一度深呼吸をした後、こう言った。
「なら話が早い。どちらか好きな方を選ばせてやる」
「選ばせてやるって……あんた、何様なわけ?」
隆太は鼻で笑ったが、尾山は表情を崩さないまま言った。
「だから、協力してほしい」
「協力?」
「あの男を―――」
尾山は鋭い眼光で隆太を突き刺しながら言った。
「花崎を、次のゲームで生き返らせたい」
「―――花崎さんを?なんで?」
隆太は首を捻った。
―――あ、そうか。この人、花崎が刑事だって知ってるのか。
だから自分が自殺で処理されないために、先に花崎を生き返らせてから、自分も生き返りたいと。そういうことか!
だとすれば―――。
―――何が“どちらか好きな方を選ばせてやる”だよ!
俺を自殺させる気満々じゃねえか……!
隆太は尾山を睨んだ。
「嫌だよ。俺は公正公平にゲームを進めたいんでね。悪いけど全力でやらせてもらうよ。その結果あの人が負けるなら、それはそれでいいんじゃねえの?」
隆太はトンと尾山の胸を押した。
「どいてよ、あんまりしつこいとあのガキに言――――」
「あの男はーーー」
脇を通り抜けようとしたところで、見た目からは想像できない力で尾山に二の腕を掴まれた。
「花崎は、小中学生を攫って暴行を加え、殺害し遺棄した、連続殺人犯だ……!」
「――――」
ーーーえ。
まさか、このこと?
あのガキが言ってた”二択”って。
「―――ちょっと待てよ。それならあんたの言ってること、おかしいだろ……」
隆太は馬鹿だ馬鹿だと言われ続けた脳みそを、精いっぱい働かせた。
「だってあいつが殺人犯なら、なんであの男を負けさせたいんだよ。負けたらあいつ生き返っちまうだろうが……!」
「ああ。生き返らせたい」
尾山は迷わず言った。
「生き返らせて、バグなんかの死じゃなくて、法の下でちゃんと裁きを受けさせたい……!」
ーーーーええ……?そっち?
わからない。
どちらが本当のことを言っているのか。
「まさか……あんたも刑事なんて言わねえだろうな」
隆太は口の端を引きつらせていった。
「あんたも……?」
尾山が目を見開く。
「あいつは、自分のことをそう言ったのか……!?」
トントン。
そこでノックの音がした。
今度こそ、そこに立っていたのはアリスだった。
「ゲームが始まりますよ」
尾山は小さく舌打ちをしながら部屋を出て行った。
「―――これが二択かよ」
隆太はアリスにだけ聞こえる声で言った。
「さて。どうでしょう」
アリスは微笑を残しながら、踵を返し部屋を出て行った。
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