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ゴーストハンター、朝宮露子の朝は早い。
早朝に起床した露子が真っ先に行うのは、トレーニングの一貫であるランニングだ。
年齢的にも体格的にも他のゴーストハンターに劣る露子は、トレーニングを絶対に欠かさない。昼間は学校に行かなければならない以上、トレーニングや仕事は早朝や放課後になる。朝宮露子の朝は、基本的にランニングから始まるのだ。
飾り気のない黒いジャージを着込み、いつもは流すかツーサイドアップにしている金髪をポニーテールにまとめて、露子は朝焼け空を横目にしつつ走っていく。
特に最近は凶暴な悪霊が増えており、片時も油断出来ない。鍛錬は一日足りとも怠るわけにはいかないのだ。
毎日走っていると、必然的に早朝見かける顔は覚えてしまう。
毎朝犬の散歩に来ている老人や、露子同様ランニングをしている男性等、大抵の顔や後ろ姿は覚えている。
しかし今日は、普段は見慣れない後ろ姿を見かけた。
「……ん?」
その後姿は、ゆるくウェーブした茶髪のポニーテールを揺らしながら必死に走っている。
薄いピンクのあまりにもかわいらしいそのジャージ姿は、露子のよく知る人物の普段着の配色と被る。というか同一人物だろう。
少しペースを早めて追いついて、並んで横顔を覗き込むと、その人物――早坂和葉は驚いて目を丸くした。
「つ、つゆちゃん!?」
「驚きたいのはこっちよおとぼけ。何でアンタがランニングなんかしてるワケ?」
浸ならまだしも、和葉がランニングというのは露子にはイメージし辛い。
「……私、強くなりたいんです」
「なんでまた急に」
「浸さんを助けたい……。浸さんと一緒に、戦いたいんです!」
荒い呼吸と一緒に、和葉は決意を吐き出す。
「私が強くなって、浸さんを助けるんです!」
何を息巻いているのか、露子には事情がわからない。しかし、和葉が本気で言っていることだけはわかる。それを察した露子は、小さく笑みをこぼした。
「何があったのかはわかんないけど、良いじゃないそれ。そーゆーの好きよあたし」
「ありがとうございます!」
「何でも聞きなさいよね! トレーニングの方法でもなんでも! アンタがほんとに強くなりたいって言うなら、あたしは協力を惜しまない」
「え、ほんとですか!?」
「さっきも言ったでしょ、そーゆーの好きなんだってば。それに、強くなりたいのはあたしも同じだし」
何かに真剣に打ち込もうとする人間が、露子は好きだった。もし和葉が真剣に鍛錬に打ち込むのであれば、言葉通りどんな協力も惜しまない。
「……だったら、お願い出来ますか? 私を、弟子にしてほしいんです!」
「……え?」
思いがけない和葉の言葉に、露子は驚いて聞き返す。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。アンタ、浸の助手でしょ? なんであたしの弟子になるのよ」
「……ちょっと、長い話になるんですけど」
そう切り出して、和葉はひきこさんの一件について語り始めた。
***
和葉と露子は、露子のランニングコースを走り終えてから、自販機で飲み物を買って神社の石段に座り込む。露子には余裕があったが、和葉はもう息も絶え絶えだ。途中で露子が和葉のペースに合わせなければ、途中でダウンしていた可能性もあるくらいである。
「ごめん、もうちょいペースゆるめた方が良かったわね」
「……いえ、良いんです……むしろ、つゆちゃんにペース落とさせちゃって……ごめんなさい」
「それは良いわよ別に。それよりさっきの弟子入りの話だけど、あたしは別に構わないわ。聞いた感じだと、浸はそれどころじゃないだろうし」
「ほんとですか!?」
顔を上げ、表情を明るくさせる和葉だったが、露子は難しい顔で嘆息する。
「でもそれ、逆に浸を追い詰めるかも知れないわよ。あいつにとってアンタは守るべき相手。そいつが逆に助けたい、守りたいだなんてこのタイミングで言い出したら、自分の力不足を痛感するだけなんじゃないかしら」
「……それは……」
「まあでも、アンタが強くなること自体は賛成よ。でも、具体的にはどうなりたいの?」
露子にそう言われて、和葉は自分の中に具体的なビジョンがないことに気がつく。とにかく居ても立ってもいられずがむしゃらに走り出してしまったが、実際にどうなりたいのかまでは考えていなかった。
「……そうだ。丁度良いわ、ちょっと放課後付き合いなさいよ。空いてるなら浸も一緒に呼びなさい」
「多分大丈夫ですけど……何かあるんですか?」
「ま、それはお楽しみってことで。学校終わったらすぐ事務所行くから、待ってなさいよね」
いたずらっぽくそう笑って見せた後、露子はスポーツ飲料を一気に飲み干してみせた。
***
和葉と露子がランニングを終えてから数時間後のことだった。
院須磨駅の近くにある小さなビルの2階、番匠屋心療内科を一人の若い男が訪れる。
薄いグレーのニット帽を被った年若いその男は――度会准だった。
開院すると同時に中に入った准は、受付へまっすぐ進むとすぐに番匠屋先生に会わせてほしいと懇願する。
「番匠屋先生に会わせてほしいッス!」
「予約はされましたか?」
「し、してないッス……」
「先生、10時半の診察からしばらく予定に空きがないので今日は難しいと思います。後日で良ければ、今から予約をお取りしましょうか?」
受付の女性は穏やかな口調でそう問う。
准としてはすぐにでも琉偉に会いたかったのだが、どうもそういうわけにはいかないらしい。
今日は一度諦め、予約だけして帰ろうかと考えていると、診察室から琉偉が現れた。
「あれ、おたくは……前に見たことあるな。雨宮さんとこの見習いじゃない?」
准を見てすぐに琉偉はそう言ったが、准は首を左右に振る。
「一度お世話になったッスけど、今は違うッス」
「そう。それで?」
琉偉は既に、准の顔つきを見て次の言葉を察している。
それでもあえて問うのは意思確認に過ぎない。
言うべきことも自分で言えない人間に、琉偉は興味がないからだ。
「俺を……先生の弟子にしてほしいッス」
「……」
わかり切っていた准の言葉をひとまず受け止めて、琉偉は少し間を置く。
「10分だけやるよ。中に入りな」
琉偉がそう言って診察室を顎でさすと、准は一度深く頭を下げた。
琉偉の診察室は整理整頓されている。カルテや書類も所定の位置に収められており、パソコンも新品のように汚れがない。
「で、なんで俺のとこに?」
単刀直入に琉偉が問うと、准は一瞬口ごもる。
なにか後ろ暗い気持ちがある時の顔のように、琉偉には見えた。
カウンセリングで話を聞いている時、こういう顔をしながら事情を話す患者も少なくない。
「……俺は、強い人の弟子になりたいッス」
「ふうん、なんで?」
准にとって、雨宮浸は役不足だと感じられたのだろう。
実際、琉偉から見ても雨宮浸の実力は、霊能者を導くには足りないと感じられた。
精神的な部分ではない、単純に能力の問題だ。
霊力の少ない者に霊力の扱いを教える術はない。座学だけなら直接師事する意味は薄くなる。
人を導く確かな精神力と、常に弟子に対して示しをつけられる確かな実力。両方を兼ね備えることが出来なければ、師足り得ない。これは上司と部下、教師と生徒のような関係にも言える。上下関係を作る以上は必要なことなのだ。
もっとも、両方を兼ね備えた人間などそうそういない。理想的な師弟関係など、現実においては幻想に等しいのかも知れない。
琉偉も、自分が師に相応しい人間である、と思える程うぬぼれてはいなかった。
「俺は強くなりたいッス。強い人の元で修行して、俺の強さを証明したいッス!」
「誰に? なんのために? 理由なしで強くなれる程、普通人間はイージーに出来てないのよ。俺もさ、見込みのない奴には時間かけたくないわけよ」
琉偉の容赦のない言葉に、准は一度怯む。
「それは……その、世間、とか……」
「ゴーストハンターってのは一応裏の仕事だ。どれだけ活躍したって、世間的に認められることはないよ」
准が力を求めることに、大きな理由はないのだろう。そう察して、琉偉は小さくため息をつく。
こういう手合は、放っておくとどこかで死ぬ。
身の丈に合わない理想は必ず身を滅ぼすだろう。
琉偉からすれば、雨宮浸が良い例だ。身の丈に合わないゴーストハンターという生き方は、彼女の身をいつか滅ぼす。
ひきこさんとの一件で彼女を見た時、琉偉は心底呆れたくらいだ。
分をわきまえず死にに行く者を見るのは気分が悪い。
「お前さ、何考えてんの? なにかしたいってだけなら、動画配信でもしてなよ」
「……それじゃダメなんス……! 俺は、俺は霊能力で何かを成したい……! 俺のたった一つの”才能”なんスよ、霊能力(コレ)はッ!」
ああ、そういうことか。と、琉偉は合点がいく。
恐らく准は、自分が霊能力なしでは何者にもなれないと考えているのだろう。
人は誰だって、自分だけの特別な何かがほしい。
他人とは違う力や才能を発揮して、何事かを成したい。誰しもがそうではないとしても、そう願う者は多いハズだ。
そして准には、霊能力という才能があった。それがそれほど大きなものではなくても、他の人間にはないたった一つの”才能”なのだ。
「……わかったわかった。とりあえず見習いからな。荷物持ち、スケジュール管理。あと、俺を常に称えること。それが守れるならいいよ」
「ま、マジッスか!?」
あしらうような言い方だったが、何も琉偉はその場しのぎで言ったわけではない。
(……ま、この後死なれても寝覚め悪いしな)
度会准は、誰かが手綱を握らなければならないだろう。白羽の矢が立ってしまったと思って、琉偉は諦めてその手綱を取ることにした。
他者に教えることは自己を高めることにも繋がる。
それに、准は未熟だが決して霊力が低いわけではない。少なくとも、ゴーストハンターの平均くらいまでは伸ばせるハズだ。使えるサイドキックは、いないよりはいた方が良い。
「うおおおおお! 称えるッス! 毎日のように先生を称え続けるッスー! やったーーーー!」
「…………」
ただ、変な冗談は控えた方が良さそうだ。
翌日から、琉偉はうんざりする程に准からしつこく称えられることになる。
***
その日の正午、早坂和葉は突然スクワットに励んでいた。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ! ……んっ……!」
しかし当然鍛え慣れていない和葉の身体はすぐに悲鳴を上げ始める。そんな和葉の様子を見ながら、浸は口をポカンと開けたまま呆然としていた。
「……やるな。和葉先輩」
そんな浸を尻目に、絆菜は妙に納得した顔で和葉に歩み寄る。そしてその隣に並び立つと、そのまま同じペースでスクワットを始めてしまう。
浸にとって……というより浸に限らず、和葉のイメージは柔らかくてふわふわしたものだ。柔和で優しい和葉は、ある意味癒やしと言える。
しかしそんな和葉が今、無骨極まりないスクワットに突然励み始めたのだ。普段の和葉と全くイメージとして結びつかないその姿に、浸は驚きを隠せない。
「私……強くなるんです!」
スクワットをやめ、呼吸を荒げながら和葉はそう言って一度深呼吸をする。
「私が強くなって、一緒に戦えたら……そしたら、三人でどんな悪霊だって祓えるかも知れません」
和葉のその言葉に、浸は目を細める。
そんな風に考えてくれるのが嬉しかった反面、情けないという思いもある。和葉を導くのは浸の役目だ。それなのに、和葉にこんな心配のかけ方をしてしまっているのが情けなかった。
「……ありがとうございます。ですが、心配には及びませんよ。私はゴーストハンターをやめるつもりはありませんから」
そう言って立ち上がり、浸は和葉の肩に右手を乗せる。
「ですが、強くなるというのならそれは良いことです。身体を動かすのは気持ちが良いですしね」
「……はい!」
和葉は心のどこかで、もしかしたら浸が月乃に従ってゴーストハンターをやめてしまうのではないかと思ってしまっていた。いくら強情な浸でも、師匠に強く言われてしまえば諦めてしまうかも知れない、と。
しかし浸の言葉を聞く限り、それは杞憂に終わるだろう。そう思い始めると、嬉しくて気分が明るくなる。和葉は、ゴーストハンターである雨宮浸が大好きだった。
「では、トレーニングには私も付き合いましょう」
「よし、来い浸。私とお前と和葉先輩でスクワット勝負だ」
妙なテンションになった三人がそのままもうしばらくスクワットを続けていると、事務所のドアが開く。
「……何やってんのよアンタら」
中に入ってきたのは露子だった。
「え、スクワットですけど」
「……あたしだったから良かったけど、お客さん驚かせないように気をつけなさいよね」
露子が小さく嘆息していると、すぐに絆菜がスクワットを中断する。
「露子、よく来たな。ジュース飲むか?」
「馴れ馴れしい。いらん」
「そう言うな。今日はどうした?」
「あーもううっさい! 浸、出雲(いずも)さんとこ行くわよ。和葉から聞いてない?」
しつこく絡んでくる絆菜を適当に押しやりつつ露子が問うと、浸はキョトンとした顔を見せた。
「あ、ごめんなさいつゆちゃん! 言うの忘れてました!」
「……まあ良いわ。どう浸、今から」
「そうですね。そろそろ新しい青竜刀がほしかったところですし……」
浸が以前使っていた青竜刀は、般若さんとの戦いの時になくしてから新調していない。立て込んでいる時に後回しにして、そのまま忘れてしまっていたのだ。
「あの……出雲さんのところってどこですか?」
「隣町です。以前話した霊具屋ですよ」
「え、霊具買いに行くんですか!?」
驚いて和葉が目を丸くすると、露子はそうよ、と頷いて見せる。
「アンタにピッタリの霊具、探しに行くわよ!」
「わぁ……! はい!」
今まで和葉は浸の持っていた弓を借りていただけだった。あまり気にしてはいなかったものの、ついに専用武器が手に入ると思うと少しワクワクしてしまう。
そうして和葉が浮足立つ一方で、浸は焦燥感に似たものを胸の片隅で小さく抱えていた。
***
院須磨町の隣町、木霊町(こだまちょう)は、雨宮霊能事務所の最寄りのバス停から一本ですぐに行くことが出来る。
和葉は霊具屋と聞いてなんとなくスポーツ用品店のようなものをイメージしていたが、浸と露子が言うには霊具屋は木霊神社という場所にあるらしいのだ。
「……ていうか、なんでアンタが来るわけ?」
石段を登りつつ、不服そうに露子は絆菜を軽く睨む。
「後学のためだ。ゴーストハンターとして必要な知識は欲しい」
「ああそう。それは真面目な助手さんですこと」
「助手ではない、助手の助手だ」
「どっちでも良いわよ!」
良くない、と絆菜はまだ食い下がっていたが、露子は適当に会話を切り上げる。
そんなやり取りをしている内に石段を登りきり、和葉達は木霊神社の境内へと到着した。
「あら、露子さん。お待ちしておりました。頼まれていたもの、用意出来ておりますよ」
すぐに、巫女が一人駆け寄ってきてそんなことを言う。
「そう。助かるわ。出雲さんいる? 相談したいことがあるんだけど」
「はい、では社務所の方へどうぞ」
巫女に案内され、四人はぞろぞろと社務所の方へと歩いていく。和葉は物珍しそうに周囲を見回し、絆菜は少し居心地が悪そうに顔をしかめていた。
「……赤羽絆菜、ここは結界が張られていて霊は近寄れなくなっています。気分が悪いのだとしたら、それは半霊だからでしょう。すみません、私達だけで行くべきでしたね」
「いや、良い。大したことではない。仲間外れよりは良いさ」
少しおどけてそう答え、絆菜は薄く笑って見せる。
社務所へつくと中へ通され、四人は客間へと案内される。その後巫女が出雲さんを呼びに行ってから数十秒後、ベージュの着物を着た女性が箱を持って入ってくる。
年齢は見た感じ三十過ぎくらいだろうか。長い黒髪を一つに縛って肩から前に垂らしており、どこかやせ細って見える。
(……あれ、この人……)
和葉はすぐに、その女性がどこを見ているのかわからないことに気づく。どこか光のないその瞳は、どこも見ていないように見えた。
案の定、彼女は巫女に支えられながら座布団の上に座る。恐らく、目が見えていないのだろう。
しかし次の瞬間、和葉が彼女に対して抱いた儚いイメージは消し飛んでしまう。
「つゆぽん久しぶりー! 元気だった?」
出雲さんは結構元気だった。