俺の居る部屋は冷たい石畳で藁の布団だ。まともな部屋だとは到底言えないだろう。俺だってそんな事は理解している。でも、もう、そんなのが分からない位には感覚が麻痺してしまっている。
この部屋が少し見える鉄格子の方からの馴染みの声が聞こえた。
「兄さん、私、独華だよ。大丈夫?」
俺の事を心底心配そうに俺の妹の独が声を掛けてきた。
「独か?俺の事は気にするな。お前は元気か?」
咳き込みそうになりつつも、独が元気なのかを尋ねる。
「うん、兄さん、私は元気だよ」
俺の事を心配しているのだろう。独は唇を噛み締めて絞り出すようにそう言った。
「言いつけどうりに山にあるツリーハウスで暮らしてる。人にも会ってないよ」
俺の言いつけをしっかり守っているようで、とても安心した。
俺みたいに、俺と主みたいに、人間に利用されて欲しくない。独は、自由には自由に生きてて欲しいんだ。
「今日は、ゲホッコホッ」
話そうとすると、油断したせいかいつも以上に酷く咳き込んでしまった。
「兄さん!今日はもうお仕舞いにしよ。私は又 明日来るからさ。ね?」
俺の咳き込む姿を見て独はそんな事を言う。
「いや、駄目だ」
昔のように、力強く、威厳を持った声で俺はそう言う。
「独華には必要な知識だから、今のうちに学ばなければ駄目なんだ」
今学ばなければ、俺が死んだ時に独は一人で政治を主の代わりにして、生きていかなければならない。
「・・・・・・そこまで兄さんが言うなら」
渋々、という感じで独は承諾した。
「独、この式はどう答えるか答えてみろ」
そう言った時、独が少し嬉しそうな顔をした。そう言えば、今日、初めて愛称で呼んだ気がする。
「此処は、こう解くんだよな、兄さん」
「正解だ」
そんなふうにしていると、空がもう、オレンジ色に染まっていた。もう時期夜になるみたいだ。
「今日は、ゴホッ終わりだ」
冷え冷えとした声で「帰れ」と俺は独に命令した。
寂しいが、可哀想だが、仕方が無い。此処で、彼奴等人間に独が見つかって利用でもされればたまったもんじゃない。
「分かった。又、明日ね」
寂しくて、悲しそうな声で独はそう言ってトボトボと帰って行った。
その背中からは悲しみがよく伝わった。
そんなふうな日々を俺は過ごしていた。
そんなある日、ドイツ第三帝国が敗戦した。
「兄さん、大丈夫なの?」
石畳の冷え切った部屋に、何処か寂しげな風が入って来た。そんな部屋を覗いて、独がこちらに話しかけて来た。
「独か?」
「俺達は多分、いや、絶対と言っても良いレベルで、ソビエトの所で捕虜になるのだろう」
悲しいとか、寂しいとか、辛いとか、俺はそんな心を必死に殺して、淡々と重い体を藁の布団に預けながらそう言い放った。
「そんな!」
余りの内容に驚いたのだろう。独は大きな声を出した。これも想定内だ。
「独、落ち着いて聞け」
そっと、優しい声で独を俺はなだめた。
「ついさっき、俺の能力で万能薬を十個作った。何かあったら必ず使え」
「しんどいのに、ありがとう」
鉄格子の所に置いでおいた瓶を独は大切そうに抱えてそう言った。
「独、 お前はこれから一人で自分の主を育てるんだ。大変だろうが、頑張ってくれ」
「そこにクソビエト(ソビエト)とクソリカ(アメリカ)が入って来るだろう。自分の主を守れ。どうしたら良いか独だけで分からなくなったら、日本国に居る初めのドールの愛華を探すんだ。大阪か、東京の方に居るはずだ」
「リーダーだからな。信頼できる。頼って頼りまくってしまえ」
俺が今できる最前線の優しさを、持って、俺はそう言った。
もしも、本当にもしもの時の為に、愛華さんには手紙を送っておいている。愛華さんは信用できる。信頼できる。独を助けてくれるはずだから。
「わかったよ」
「それと、これからは、女ではなく、男として生きろ。名前は、津逸とでも名乗ったら良い。これは、一人の兄としてのお願いだ。この御時世、女と言うだけで苦労することが多いだろう。独には何時も笑っていて欲しいからな」
このご時世、女と言うだけで苦労する事が多いと聞く。独にはちょっとでも楽しい暮らしを送って欲しい。
津逸と言う名は、俺と兄さんの名前を合わせて考えた物だ。安直だろうが、おかしな感じはきっとしないさ。
「わた、、、俺は笑って生きるよ。だから、兄貴、安心してくれよな」
「あぁ。さあ、津逸。行け、此処は、もう駄目 になる。早く、行け!」
「又な!」
力強く、優しく、威厳のある声で、独の背中を押すようにして俺はそう言う。独は走りながら少し泣いていた気がした。