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凪は複雑な自分の心境をどう表現したらいいのかわからなかった。 元々眠れないものだと思って生活していた時には寝なくても平気だったし、体も不思議なくらい元気に動いた。
特にその生活が辛いと感じたこともなかった。けれど、一度熟睡できる気持ち良さを知ったら、眠れないことの辛さまで知ってしまった。
快楽にも似た安眠は、性欲と同じくらいその欲求を昂らせる。さすが、3大欲求だと凪は妙に納得する。
快楽を得る為にセックスをしたいのと同じように、また安眠を求めてしまう。
快感に溺れてセックスに耽るよりも余程健全なはずなのに、麻薬のように依存させる作用もあるかのようだった。
なんで千紘なんだろ……。
凪はぼんやりと考えた。風夏は居心地のいい女性だった。今までの女性の中でもかなり気を許すことができたし、自分の中では警戒心を解いたつもりだった。
けれど、一緒に眠ってもこれほど安眠できたことはなかった。
女性の前だからカッコつけて、いい男を演じていたが、千紘は同性だからそうする必要もないからか?
そう考えてみても、凪は誰の前でだって自由に生きてきた。いいものはいいし、嫌なものは嫌だと意思表示もしてきた。
セラピストになる前の凪は、仕事のようにいい男を演じる必要もなかった。だから、男女関係なく自分を飾ることはしない。
だとしたら何が違うのか。
相手が凪のことを好きなのだって元カノと千紘とでは大差ない。仕事に対する意識に尊敬することだって風香と変わらない。
ただ、従順で包容力がありすぎるところは今まで出会った誰とも比べ物にならないと感じた。
最初は凪に嫌われたくなくて、全て凪に合わせていた女性も、一緒にいる時間が長くなれば欲も出たし、ワガママになった。
自分の主張が大きくなって、凪の言葉を聞かなくなった。そんなところに嫌気がさして別れることも多かった。
けれど千紘は、むしろ凪にはワガママを言ってもらいたそうにしたりする。凪のことを否定したりはしないし、凪がどうしたいかを優先してくれる。
それも凪から言う前に、千紘が気にかけてくれるのだ。嫌なら無理強いはしないし、しっかりと距離を取ってくれる。
そんな付かず離れずの距離感が心地いい事に気付いた。
凪は暗闇の中、千紘の方に体を向けた。腕枕をしていない千紘は、子供のように丸まって凪の方を向いて眠っていた。
仰向けの寝顔を見ることの方が多かったから、こうして顔が髪で隠れていることもあまりなかった。
凪は軽く指先でその髪を払った。美しい顔が露になって、長い睫毛に視線がいく。
揺すっても起きない千紘は、こんなふうに髪を触られたくらいじゃ目を覚ますことはないと凪もわかっている。
鼻筋も通っているし、唇も潤っている。ただやっぱり艶やかな肌とは程遠い。
同じように横向きで向き合ったまま、凪は千紘の頬に触れた。以前ならモチモチと手に吸い付いてきた肌が、ざらっと凪の手を刺激した。
触り心地よかったのに……。
そう思いながら軽く撫でる。きっとたっぷり睡眠をとって、栄養のある食事を摂ったら元に戻るだろう。
眠れなかったことも、連絡してこなかったことも、適当に食事を済ませたことも、千紘は深くは言わなかった。
そんなマイナスなことよりも、ただ凪から連絡が来て、会いに来てくれて、時間を共有できることを喜んだ。
あー……そういうことか。
全部前向きだからだ。
凪は不意にストンと何か腑に落ちてしまった。なぜ千紘を突き放せないのか、また会いにきたのか、安心感すら覚えるのか。
それは、千紘が全てに対してポジティブだったからだ。思えば最初から彼はそうだった。凪を無理やり抱いて、脅して犯罪だとわかっていながらも、凪に近付けたことを喜び、抱けたことに幸福を抱いた。
歪んでいるが、何かをしてしまった失敗よりもそれによって得た功績に幸せを感じるのだ。
だから、凪がデメリットだと思ったことも、千紘にとっては少しでもメリットがあったらそれでいいこともある。
凪とはまるで考え方が違うが、凪にはないものを千紘は持っている。
そんな千紘にとって、千草によってもたらされた一言で凪からの信頼を一気に失ったのは相当堪えたはずだった。
たった少しの幸せのためになんだってした男が、二度とこないかもしれない連絡をただ待ち続けたのだ。
凪はそっと体を起こして、数回頬を撫でると身を屈めた。凹凸のあるそこに唇を寄せ、キスをした。
「千紘、ごめんな」
凪はそっと呟き、優しく髪を撫でた。
凪が唇を離すと、千紘の体が小刻みに震えていた。目を閉じてはいるが、凪が触れた所からたしかに振動を感じた。
「お前……起きてるだろ」
凪が上から見下ろすように視線を落とした。沸々と怒りが込み上げる凪は必死でそれを抑える。
「い、今! 本当に今起きた!」
パチッと目を開けて、潤んだ瞳で凪を見上げた。その瞬間、千紘の目からボロボロ涙がこぼれて、凪は「う……」と顔を歪めたまま何も言えなくなってしまった。
「なんだよ、泣くなよ」
仕方ねぇーなーと言いつつ、凪はわしゃわしゃと千紘の髪を乱暴に撫でた。千紘は長い指を使って頬を拭うが、涙はとめどなく溢れた。
「俺、もう嫌われてるかと思って……」
「そしたら絶対連絡しなかったな」
「うん……」
ずびずびと音を立てて鼻を啜る千紘。凪は長い長いため息をつくと、その頭を抱えて自分の胸に誘導してやった。
目を見開いた千紘は、驚きながらもありがたくそれに甘えた。
凪が渋々ながらも触れる許可をくれたのだ。この機会を逃したらもうないかもしれない。これからは、毎回そう思いながら凪からのアクションを大切にしなければならない。
懐かしい凪の香りがダイレクトに伝わった。神経を研ぎ澄ませて、凪の匂いを探ったさっきとは違う。
体温もずっと長いこと求めていたものだった。欲しくて欲しくてたまらない凪の温度だった。堪能するかのように強く顔を押し付けた。
凪の胸板も、脇腹の筋肉も、髪を撫でる手の形も体全体を使って感じることができた。
「……どうやら俺は、やっぱりお前とだとよく眠れるらしい」
凪は、千紘に顔を見せないまま言った。千紘も顔を埋めたまま耳だけその声に傾ける。
「俺も……よく眠れたよ」
「そ……。ちゃんと寝て、飯食えよ。肌ボロボロ。俺、千紘の綺麗な肌好きだったのに」
髪を撫でていた手を少し移動させて、涙に濡れた頬に触れた。体の部位でもどこでもいい。凪が俺を好きだと言ったのは初めてだったかもしれない。と千紘は目を丸くさせる。
嫌いじゃない。は何度か聞いた。それだけでも嬉しかったが、好きは比較にならなかった。
「頑張る……ちゃんと手入れもする」
凪が好きだと言ってくれるなら、肌も髪もいつでも万全な状態でいようと千紘は思った。
「でも……やっぱり、不安だと眠れないよ」
よく寝ろ、に関してはスキンケアのように努力だけでどうにかできる問題じゃない。ちゃんと食えもそうだ。
それだけは自分の意思では改善できないと伝える必要があった。
「俺も色々考えてた……。お前がちゃんと眠れて、ちゃんと飯食うなら一緒にいてもいいかなって」
凪は言うべきか迷ったが、今言わなければタイミングを失いそうでそうポツリとこぼした。