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#虐待
ruruha
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これは実際にあった話を元にした、地獄のような話である。
「住所は○○市の…」
お父さんの声が聞こえる。ただの声じゃない。焦っているのがドア1枚を挟んでも感じられるほどのことが起きている。
13歳の私はすぐに察知した。具体的に何が起きているのかはわからない。1月9日の、まだ4時32分のことだった。
「保険証…どこだ保険証!」
保険証を探している音が聞こえてようやくわかった。 お母さんが“また”倒れたのだと。
12月23日にも倒れた。でも、痰が絡んで気道が塞がっただけで、湿気のあるところへ行くとすぐに取れて命を取り留めた。
たぶん、同じようなことが起きているのだ。お母さんは今苦しんでいる。普通なら助けに行くのだろう。でも、私はお母さんが死んで欲しいと思っている。
(死んじゃえばいいんだ)
1分も経たないうちに私はお父さんと一緒に保険証を探していた。こんな弱い私が死にかけている人を放っておくなどできなかった。
全く物音がしなくなり、そのことに気づいたお父さんはお母さんの様子を見に行った。
お母さんは経験を活かし、お湯を沸かして水蒸気で痰を取ろうとしてキッチンにいた。いたはずなのに、私からはその姿は見えなかった。なぜか。
「お母さん?お母さん!息してない…!!」
お父さんの声が聞こえ、慌ててキッチンに行くとお父さんが床にふせたお母さんの脈を確認していた。
私は慌てて外に出て救急車の位置を確認した。スマホでライトを照らし、滲んでいく視界を何回も拭って、救急車を待った。その間に兄も起きたようで、家からお父さんと兄の声が聞こえた。
やっと救急車の赤い光が見えて、私は慌てて近づいた。救急車は家の庭に止まり、私は救急隊の人を案内した。慌てていたためか、私は躓いてしまった。右の掌が痛い。そんなことはどうでもよかった。私は救急隊の人に何度も言った。
「返事しなくて、息してないって…!」
もっとほかに伝えるべきことはあっただろうに、私はそれしか伝えられなかった。救急隊の人たちはそんな私の言葉を聞いて慌てて家の中へ入った。私は外で見守ることしかできなかった。中へ入りたくなかった。
3分ほどしてお母さんを担架に乗せて運ばれてきた。ただ担架に乗せている訳ではなく、心臓マッサージが自動でできる機械が付けられていた。救急隊の人が持っていた脈などを表示する機械も目に入った。0という禍々しい数字はしっかりと目に焼き付いている。
「お母さん…っ、お母さん!!」
「ルルはとにかく家にいて!」
お父さんはそう言って、お母さんと共に救急車へ乗り込んだ。
私は呆然と立ち尽くしていた。近所の人は救急車を見つめ、私に話しかけようとしていた。でも、私がそれを許さなかった。
「ルル、家に戻ろう。必要な物を集めて病院に向かおう」
「うん」
兄は冷静に動いた。まだ18歳だというのに、こんなにも違うのかとどうでもいいことを考えていた。
私には姉もいる。兄と姉は双子で、性格は真反対だが、どちらも頼りになる存在だった。姉を起こして、事態の深刻さを伝えると、すぐにタクシーを手配してくれた。三兄弟の中で1番都会慣れているから、そういうことに関してはやはり頼りになった。
家に戻ってくる時寒いだろうからと上着を荷物に詰めた。もし入院するなら下着も必要だと思いとにかく必要そうなものをバッグへ入れた。家に帰ってくると誰もが思っていた。
病院に着くと、看護師さんに案内された。荷物は預かると言われ、私たちは手ぶらで病院を歩いた。ただただ恐ろしいと思ったのが、重度集中治療室という文字が目に入った時だ。お母さんは大丈夫だろうか。この前みたいにすぐ帰ってくるだろう。もしかしたら…なんて考えたくもない事が頭を埋めつくしていた。
案内された所へ入ると手を洗うように促された。手を洗い、一室へまた案内された。そこにはお父さんとお母さんがいた。機械的な規則正しい音。人工的な呼吸音。痙攣して、生きているように動くお母さん。とにかく全てが気持ち悪かった。吐いてしまいそうだった。
「お母さん!大丈夫…?苦しくない?」
そんな私の問いかけにも反応せず、ずっと痙攣しているお母さんを見て、本当にまずいのだと自覚した。
その日は始業式があったが、1日中病院にいた。医者から説明をうけて、心臓がまた止まった時に心臓マッサージをするかしないかの判断を迫られた。姉はするに決まってると言った。父はそれに対し、お母さんは何を望んでいたんだろうと独り言のようにみんなに問いかけた。
夜7時頃になり、母方の祖父母と叔父が病院に着いた。とりあえず今日は帰ろうということになり、私たちは家に帰った。お風呂に入ったかどうかも覚えてない。疲れて、苦しくて、沈むように布団にくるまったことだけ覚えている。
1月10日の朝1時のことだった。夢と現実の境目にいた時、姉と父の声が聞こえた。
「お母さんが危ないって」
「ルルも連れてく?」
「寝かせてあげよう。疲れてるみたいだから」
その会話を聞いて私はまた眠りについた。そして、起こされた時にはもう、母は帰らぬ人となっていた。
「お母さん死んだって…!」
「…え?」
慌てて病院に向かって、再びあの病室に行った。その時は手を洗うことを促されなかった。
病室へ入ると、死体の匂いがした。腐ったナッツのような、鼻に残る匂いだ。とにかくこれ以上は嗅ぎたくなかった。でも、そんなことよりもベッドに目がいった。機械的な音も人工的な呼吸音もしない。本当に母が死んだのだと分かって、視界が滲んで真っ暗になった。
「ぅっ、ぁ“…あっ…おかぁっさ…んっ…あ“ぁぁっ!うぅっ…」
姉は涙をこらえ、兄は私の背中を摩ってくれた。2人は私と違い、母の死に目に会ったのだ。この2人の方が苦しいはずなのに、やはり私のことを気にかけてくれた。
その後のことはよく覚えていない。母の体を拭く時に、背中がうっ血して赤くなっていたことは覚えている。見たくなくて、感じたくなくて、私はずっと隅に立っていた。叔父の妻が近くに居たが、そんなことどうでもよかった。母はもう、近くにいないのだから。
家に帰ってくると6時を回っていた。父方の叔父家族が到着し、疲れている父の代わりとして朝食などを準備してくれた。ただ菓子パンを買ってきてくれただけだが、父にとってはそれも救いになるのだろう。
みんながご飯を食べていたが、私は食べる気にならなかった。少しでも食べた方がいいと言われ、姉のパンを二口もらった。味はしなかった。何パンを食べたのかもわからない。
その日は武道の習い事があったが、お母さんの携帯を通じて先生に休む連絡を入れた。家庭の事情ということにした。
その日1日、葬儀屋さんがずっといた。どんなプランで、どんな花で、どんな人を。容赦ないその質問攻めにお父さんを守らなければならないと思った。正直いって気持ち悪かった。
その日の夜、近所の人が線香を立てに来た。私と兄と姉は上でご飯を食べていた。それで一日が終了した。
1月11日。学校へ行った。普通にしないと怒られると思った。中学の先生は厳しいから、切り替えを早くしろと言われると思っていた。だが、現実は優しく、先生たちみんなが私を気にかけてくれた。「よく来たね」「なんでも話してね」「つらいよね」そんな生暖かい優しさがどうしたって心に沁みて視界を滲ませた。
1月12日。周りの人へ母のことを知らせないといけないと、父は母が務めていた職場などに連絡をしていた。姉も習い事先にラインを送っていた。私も送らなければならない。武道の先生に、母が亡くなったと。
文字で打つと、本当に母が亡くなったのだと肯定しなければならなかった。否定したかった自分を切りつけるように、私は文字を打った。すぐに既読がついて、電話が鳴った。
「はい…」
『ルル、躰道を休むのは構わないよ。気持ちに整理が着くまでお母さんの傍にいてあげてね』
「っ、…すみませっ」
絶対に泣かないようにしようと決めていたのに、堪えようとすればするほど涙は溢れた。先生は何も言わず、ただただ待ってくれた。小さい頃からお世話になってる先生が、今だけは保護者のように感じられた。
それからの日々は本当に覚えていない。お葬式をやって、火葬して、5日ほど学校を休んでからまた登校するようになったと思う。躰道に行ったのは母が亡くなったことを先生に知らせてから3週間ほど経った時。先生は普通の対応をしてくれて、それが私にとって心地よかった。
この話は、実際にあったできごとである。もちろん誰のいつのできごとかは言えない。けれど、大切にしなくてはならない記憶だ。
ー読了ありがとうございましたー
コメント
1件
読了しました……。まず、こうして言葉にして綴ってくれてありがとうございます。めちゃくちゃ重いし、リアルすぎて胸がぎゅうぎゅうした。特に「死んじゃえばいいんだ」って思ってたのに、気づいたら保険証探してる自分がいる矛盾、わかる気がする。あの「0」の数字が脳裏に焼きつく感覚、想像しただけでゾッとしたよ。フィオレさんが13歳でこんな経験したって思うと、普通に喋れてる今の姿がすごく強く見える。周りの優しさが逆に沁みるっていう描写も、すごくリアルだった。また続きあったら読みたいです。お疲れさま。