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夜の帳が再び館を包み、霧は昨日よりも濃く漂っていた。
外の世界は見えず、この館だけが孤立したように静まり返っている。
相沢は、ひとり書斎に残り、手帳の暗号とにらめっこしていた。
霧島の金庫から見つかったその暗号文には、不自然な英数字が並んでいる。
だが――ふと気づいた。
その配列は文字ではなく「館の部屋の位置」を示すものだ。
「……この符号、“北の間”を指しているな」
相沢は静かに立ち上がり、館の北側の小さな部屋へ向かった。
そこは普段使われていない、古い客間だった。
扉を開けると、薄暗い中に埃をかぶった棚と古びた日記帳が置かれていた。
相沢はその日記を開いた。――そこには霧島翔の筆跡で、こう記されていた。
「香坂を信じろと言われた。だが、もう誰も信じられない」
「あの事故の真相を、あの人が知っている」
“事故”という言葉に、相沢の目が鋭く光った。
数年前、霧島家の使用人が一人、不可解な転落死を遂げている。
当時の記録では、事故として処理されていた――が、霧島は疑っていたのだ。
その時、背後から静かな足音が聞こえた。
「探偵さん……何を見つけたのですか?」
香坂真理が、闇の中に立っていた。
「香坂さん、あなたは“霧島を最後に見た”と証言しましたね。しかし、日記には違う記述がある。彼はあなたを疑っていた」
香坂の表情が一瞬揺れた。だが、すぐに落ち着いた声で答える。
「彼は疲れていたのです。あの人は、自分の影に怯えていた」
「なるほど。では、彼が死んだ夜――あなたは巡回していたと言いましたが、館の時計の針が止まっていたのをご存じですか?」
相沢は懐中時計を見せた。
「時計の音が止まっていた。つまり、館内の“静寂”はあなたが言うほどではなかった」
香坂は沈黙した。
彼女の指先が震えているのを、相沢は見逃さなかった。
その後、相沢は全員を再び広間に集めた。
「皆さん。霧島翔の死には、数年前の“事故”が深く関わっている。
そして、昨夜消えた証言――“霧島を最後に見た人物”――は、意図的に隠されていた」
永井沙織が声を上げた。
「つまり、誰かが嘘をついていたと?」
「いや、正確には――“誰かが真実を隠すために沈黙した”んです」
霧が窓を打ち、時計の針がゆっくりと進む。
沈黙の中、全員の顔に疑念と恐怖が交錯した。
相沢の視線はひとりの人物で止まる。
「佐伯さん、あなた。霧島翔を“殺す理由”があるのでは?」
佐伯は顔を上げ、目を見開いた。
「……どういう意味だ?」
「あなたの名前、霧島家の古い帳簿にあった。“借金契約者・佐伯蓮”。
あなたは、霧島に金を借りていた。そして、彼が真理を暴けば、あなたの地位は崩れる――」
佐伯の喉が鳴る音が、静寂の中に響いた。
だが相沢はまだ告げない。真実の中心には、もう一つの“鍵”があった。
暗号の最後の数字――“11”。それは“十一月十一日”を示していた。
「その日――今日の夜。何かが起こる」
館の時計が、ゆっくりと十一を刻む音を立て始めた。