コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
雲は低く垂れ込め
世界はただ、焔の匂いに支配されていた。
かつて緑深く豊饒であった森も
今は灰に沈み
枝々は煤を纏って静かに崩れ落ちる。
中央に立つその者の背には
灼熱の紅蓮──不死鳥の翼。
そしてその瞳に
もはや〝光〟と呼べるものは
残っていなかった。
アリア・ミッシェリーナ。
五百年の時を生き
魔女の王として君臨し続けた女皇帝。
今、その指先には血が滲み
口元は言葉を紡ぐことさえ忘れたように
沈黙しきっていた。
「──アリア様っ!」
その名を呼ぶ声が
焔に掻き消されぬよう、強く響いた。
「どうして⋯⋯どうしてなのですかっ!」
その声の主──ティアナ。
白銀の長髪を靡かせ
蒼の瞳を潤ませたまま
アリアの前に立っていた。
守護結界の一族の長。
侍女長として
そして唯一
アリアに〝友〟と呼ばれた存在。
「私のこと⋯⋯友のように思っていると
仰ってくださったではありませんか!」
言葉は震え、涙に濡れていた。
それでも彼女は
膝を折ることなく
まっすぐに、女王を見上げていた。
「お答えください!アリア様っ!!」
叫ぶように、訴えるように──
それは断罪ではなかった。
ただ、ただ
その心を繋ぎとめるための叫びだった。
「私の結界は⋯⋯全てを拒絶するもの⋯⋯
けれど⋯⋯貴女様だけは⋯⋯
私は拒絶などしたくないっっ!!」
泣き叫びながら、ティアナの手が伸びる。
白く細い指が
躊躇なくアリアへと差し伸べられる。
もし、あの時──
その手を取ることができていたなら⋯⋯
どれほど救われていただろう。
光のない深紅の瞳が
視界の端に
自分の指がわずかに動くのを映した。
伸ばされようとする己の手──
その動きに、ティアナが僅かに微笑む。
希望の色が、その頬に灯ったその瞬間。
──上空が閃いた。
不死鳥が、翼を震わせる。
空を裂いたその一振りで
無数の紅蓮の羽根が刃と化し
空から、光の雨のように降り注いだ。
「───⋯っ!」
ティアナの目が紅蓮の脅威を捉え
結界を展開させようとしたが
アリアの指先から数寸──
そこで、ティアナの身体は
音もなく切り裂かれた。
紅蓮の羽根は、鋭く、執拗に
まるで一点を狙いすましたように
ティアナの身体を的確に貫いていく。
刃が肌を裂き、骨を断ち
そして、燃え尽きる──
慈悲の一欠片もなく。
アリアが伸ばしかけていた手の
ほんのわずか先で。
その手は、届かぬまま
虚空を掴むことも叶わず。
ティアナの断ち切られた腕が
ふ、と落ちた。
まるで
永遠に触れ合うことを拒まれた
罪人のように。
ゴトリ──ッ
その音が、全てを終わらせた。
降り立った不死鳥は
炎の羽根を再びたたみ
断たれたその腕に、嘴をゆっくりと寄せた。
喰む。
嚙み砕く。
滑らかに、わざと音を立てながら──
それが
誰に見せつけるための行為であるのかなど
明白だった。
アリアの目の前で。
ティアナは
嬲られるように失われていった。
彼女は侍女長であり
忠臣であり、そして何よりも──
〝友〟だった。
誰よりも近くに在り続け
誰よりも厳しくも温かく言葉を投げ
誰よりも、アリアの孤独に寄り添ってくれた唯一無二の存在だった。
女皇としての孤高の道を
常に隣で支えてくれていた者。
その手を、アリアは──
取れなかった。
指先が震える。
だが、その震えは、恐れではない。
悔いとも違う。
それは、失ってなお
感情が追いつかぬまま
燃え尽きた何かを
まだ心のどこかで求めていた証だった。
アリアの中にあった記憶が
ひとつ、またひとつと消えていく。
ティアナの声が。
微笑が。
いつか語られた夜の話が。
叱られた朝が。
背に羽織られた布の温もりが。
焔の中で、次々と色を失い、崩れていった。
──また一つ。
アリアの心に、亀裂が入った。
それは
音もなく、静かに、けれど確かに。
かつて神と称えられた魂に
破滅の兆しが走った刹那だった。