< pnside >
病院帰りの図書館は、静けさが時間ごと沈んでいくような空気だった。
何もせず家に帰るときっと彼のことが頭から離れないだろうから、結局図書館に来てしまった。
窓際の本棚に寄りかかると、体が思ったより重い。
今日はいつもより集中できなかったせいか、細かい疲れが全部まとめて押し寄せてくる。
閉館作業をしている同僚の声が遠くに聞こえるけど、耳に入ってくるのは自分の呼吸のほうがはっきりだった。
胸の奥がずっとざわざわしてる。
落ち着かない。
昼間の診察からずっと残っている感覚だ。
先生が見せた、あの一瞬の沈黙。
あれが何だったのか考えれば考えるほどわからなくなる。
無関心だったあの人が迷うなんて珍しい。
迷うくらいの気持ちを、俺に対して持ってくれているのか、それとも職業的な判断か。
どっちにも取れて、どっちでもなく思えて、余計に混乱する。
本棚の角に手を置いて深呼吸したけど、まだ頭の中はぐらついたまま。
気を紛らわせるように館内を歩き回るといつものように仲良さげな2人組が図書館から出ていくのが見えた。
腕組んだり手繋いでたりする時もあるし、きっと恋人なのだろう。
俺が求めているのはこれなのだろうか。
三年前、病室で聞いた先生の声を急に思い出す夜があった。
眠れないとき、窓を少し開けて夜風に触れると、あの人の落ち着いた声が浮かんだ。
眠れなかった理由は息苦しさだったのか、不安だったのか、自分でもよくわからない。
でも声だけは安心させてくれた。
今日も、帰り道でまた夜風に触れたくなっている自分がいる。
掃除を終えたほうきの音が近づいてきて、同僚が少し首を傾げた。
「今日なんか疲れてない?」
pn「……まぁ、ちょっと。」
言葉をごまかすように返したけど、原因はわかってる。
先生だ。
あの人の声だけが今日ずっと耳に残っている。
rd『無理しないで』
たったそれだけなのに、心が変にざわついたまま。
あの言い方は、ただの主治医だったらあんな風に言わないと思う。
でも今はもう主治医じゃない。
大人になった俺に、あの人はどう向き合ってるんだろう。
閉館作業が終わって更衣室で着替えると、外はすっかり夜だった。
妙にオシャレな音が鳴る自動ドアを抜けた瞬間、冷たい風が頬をなでる。
あぁ、これだ。
夜風は昔から俺にとって呼吸を取り戻すためのものみたいになっている。
歩道に出て、手すりに少し寄りかかる。
夜の空気は冷たくて、深呼吸すると胸の奥のざわめきがすこしだけ落ち着く。
でも、その分だけ思い出す。
先生の瞳の揺れ。
その瞬間の表情。
あれが何を意味してるのか、まったく読めないのが悔しい。
俺だけが一方的に期待してるみたいで、いやだ。
でも期待しちゃう理由も、三年間どれだけ考えても一つしかない。
結局、あの日の好きは消えていなかった。
成長しても消えるもんじゃないんだと思い知っただけだった。
歩きながら、信号が赤になるのをぼんやり見つめる。
片手でポケットを握りしめた。
先生のことを考えている自分が嫌じゃない。それがまた厄介だった。
青になって歩き出しながら、ふと気づいたことがある。
再診って形じゃないと、もうあの人に会う理由はないんだ。
今日みたいな偶然じゃないと、会えない。
その事実に胸がきゅっとなるのを感じた。
会いたい。
そう思ってしまった。
理由を並べても隠せないくらい素直に。
でも、あの沈黙の意味を知るまで踏み出すのは怖い。
俺はまた期待して、また傷つくかもしれない。
夜風が吹き抜ける。
髪が少し揺れた。
深呼吸して目を閉じると、先生の名前が頭に浮かぶ。
この気持ち、どうなるんだろう。
どうすればいいんだろう。
答えはどこにもないのに、進んでいくしかないのだけはわかっていた。
< rdside >
診察が全部終わってから、デスクに置いた資料の見直しをしていた。
いつもはただ淡々と、日課みたいに終わらせていく作業。
でも今日は、紙の文字が妙に頭に入ってこない。
理由は単純だ。ぺいんとが俺の元に来たから。
三年ぶりに会って、あの子は大人になっていた。
話し方も落ち着いて、昔ほど周りに壁を作らず、ほどよく力が抜けていて。
それでも、無理をしているところは変わらなくて、そこに気づいてしまう自分も変わらなかった。
思い返すたび胸の奥がざわつく。
三年も経ってるのに、こんなに簡単に心が揺れるとは思っていなかった。
机の端に置いたペンを指先で転がしながら、さっきの診察の場面を何度も反芻する。
彼が昔のことに触れかけた瞬間、俺は反射的に迷ってしまった。
職業としての線をどう守るべきか、それとも…と考えて、呼吸が一瞬だけ止まった。
それがあの「間」になった。
気づかれたかもしれない。
気づかれなくても、ぺいんとはあの沈黙を覚えているだろう。
あの子が勘の良い子だということは三年前から知っている。
だから、今日の俺の揺れもどこかで拾われてしまっている気がして落ち着かない。
資料をめくりながら、ふと気づく。
患者ではなくなったはずのぺいんとに、今の俺はどんな距離で向き合ってるんだろう。
頭では「もう患者ではない」と理解している。
でも胸のほうは別の反応をしている。
会いたかった。三年間ずっと。
でも、その言葉を口に出してしまったら、きっともう線は戻せない。
ペンが手から滑り落ち、床に軽い音を立てる。拾い上げながら自嘲した。
こんなことで動揺しているようじゃ、医者として情けない。
でも、感情を完全に切り離して生きられるほど俺は器用じゃない。
名前を呼んだときの彼の顔が頭に浮かぶ。
三年前のあの瞬間と重なった。
あの時と同じように振り返って、同じように目が揺れた。
でも違うところもあった。
大人になった分、昔よりずっとまっすぐだった。
あの子は今日、帰り道で何を考えただろう。
俺の沈黙をどう受け止めただろう。
それが気になって仕方がない。
気になるという事実が、もう答えを示しているような気もする。
窓の外を見ると、夜の空気がゆっくりと動いているのがわかる。
夜風。
ぺいんとはきっと今日も風にあたりながら帰るだろう。
あの子はいつもそうだった。
静かな風の中で、自分の気持ちのほうを見つめてしまう子だった。
もしその途中で、俺の名前を思い出してくれたなら。
そんな願いみたいなことを考えてしまう自分がいた。
期待しないようにするべきなのに、抑えきれない。
資料を閉じる。
もう集中できそうにない。
深呼吸をするが、胸の奥のざわつきは静まらない。
心だけが、三年前から一歩も前に進めていない気がした。
コメント
1件
やっぱ最高すぎる😭👏✨早くらっだぁとぺいんとさん結ばれて欲しい😍