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舞台から見える懐かしい顔。
あの人を見るのは何百年ぶりか。昔と全く変わらない風貌に胸が高鳴る。
何度か颯懔と目が合った気がした。
今でも私を、私だけを見てくれるだろうか。
颯懔の周りにいる仙女達が鬱陶しい。
今すぐ私もあちらへ行って語らいたいのに。
それを彼は許してくれるのか。
分からない。
颯懔と初めて会ったのは、私が西王母の弟子になってから10年程たった頃。
長らく俗世へ降りていた太上老君が桃源郷へ戻って来るのだと言って、一緒に屋敷へとついて行った時だった。
通された部屋には老人の姿をした太上老君と、歳若い青年が一人。
目が会った瞬間、血が逆流したのかと思った。
王宮で過ごしていた頃も、そして西王母の屋敷で生活するようになってからも、周りにはほとんど女しかいない環境で過ごしてきたせいで、男性とどう接していいか分からない。ましてや一瞬にして心を奪っていった人が相手なら尚更。
こういう時、自分の悪い癖が出た。
皇后である母にも帝である父にも蝶よ花よと可愛がられ、誰も彼もが私の機嫌を伺いながら傅かしずく。
自分はなんでも出来る。何でも知っている。生まれながらに高貴な身で、美しい仙女たちの中にいても引けを取らないだけの美貌を兼ね備えている。
だから私の方が貴方より上。主導権は握らせない。私が貴方を好きになるんじゃなくて、貴方が私を好きになるの。と。
つまり私は、見栄を張ったのだ。
一目惚れしたのは私の方だったにも関わらず、惚れたのはそっちでしょ、と余裕な振りをした。
10年と少しと言うとんでもなく短い時間で遷人となっただけでなく、見た目も完璧な彼ならきっと女慣れしているだろうと思っていたのに。悠々と精気を操り得意気に術を繰り出す姿に反して、女性に対しては驚くほど初うぶで臆病だった。
そんな颯懔だったからこそ、ますます私はのぼせ上がった。
口付けも睦事も、全てが初めてだったくせに知ったかぶりをしたのだ。ほとんど何も知らなかったのに。
そう、ほとんど。
嫁に行く予定すらなかった私に、房事とはどういう物なのか詳しく教えてくれるものなどいなかった。
ただ女官に「初めは殿方に身をまかせれば良いのです」「好きな殿方と肌を重ねるのは気持ちのいい事なのですよ」とだけ聞いていたので、てっきり颯懔が私を気持ちよくさせてくれるものだと思っていた。
恥ずかしさと極度の緊張で強ばる体。ぎこちない動きへの焦り。体の内側を突き破られるような痛み。終いには寝具についた血を見てとうとう気が動転した。
私が悪いんじゃない。颯懔が下手だから悪い。
その時の私は、血が出る事があるなんて知らなかった。
何もかもを颯懔のせいにして怒り呆気に取られている颯懔を置いて、逃げるように出ていった。
その後何度も謝ろうと考えたものの、自尊心が邪魔をして行動には至らなかった。もしかしたら颯懔の方から来てくれるんじゃないかと期待していた部分も否定できない。
他の仙女に取られるんじゃないかと冷や冷やしていたのも最初だけ。その内に颯懔は極度の女嫌いだと言う噂が流れた。内心安堵しつつ、でも自分も足りない陽の気を補わなければならない。
結婚して身を固めれば忘れられる。
私を愛してくれる人と一緒にいればきっと。
などと思って結婚したが、どれも長続きしなかった。
仙人の世界で離縁や再婚は全く珍しくない。あまりにも多いとふしだらと言うイメージが付かなくもないが、それでも私を求める男仙は後を絶たなかった。
それだけ私が魅力的という事なのに、なんで颯懔は未だに来てくれないのか。
こんなに時が経ったんだもの。気まずいなんて思う必要ないのに。
舞が終わり礼をしてから舞台を降りた。そのまま宴席へと向かって行くと、颯懔が立ち上がって出迎えてくれた。
「見事な舞だった」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
にこりと笑んでみせると笑顔が返ってきた。
ほら、やっぱり颯懔は私に少なからず思いを残している。
「弟子の明明が迷惑をかけた上に世話になった。この場を借りてお詫びと礼をさせてくれ」
「いいのよ、気にしなくて。真っ直ぐでいい子ね」
「ああ。そう思う」
「ふふっ、その様子からすると自慢の弟子なのね」
「……そうだな」
ピクリと動いた颯懔の小指。一体何に反応したのか。
隣に座ってしばらく、これまでの時間を埋めるかのように話した。
「失礼します。新しい酒をお持ち致しました」
酒入りの水差しを持って紅花がやって来た。
なんで狐の化け物など配膳係にしたのか。指示を出した西王母の気が知れない。妖が宴会場にいたら、気を悪くする招待客だっているだろうに。屋敷の掃除でもさせて人目につかないようにするのが主催者としての配慮じゃないだろうか。
舌打ちしそうになるのを堪えて「ありがとう」と受け取った。
「その服、お主に似合っておるな」
「不慮の事故で自分の服を汚してしまったので明明に借りました。後で手入れをしてお返しします」
「いや、そのまま貰ってくれ。明明には少し落ち着いた色合い過ぎる」
「……ありがとうございます。有難く頂戴致します」
「二人は知り合いなのかしら?」
「颯懔には俗世でお世話になりました」
颯懔? なぜこの女は呼び捨てにしているのか。
颯懔はそういう事にあまり頓着しない性格ではあるが、それにしても狐の分際で馴れ馴れしい。
「紅花は今、可馨のところにいると聞いた」
「ええ。50年問題を起こさずに過ごせれば、仙籍に入れると西王母様が条件を出されたの。それで私のところで彼女を見ているのよ」
「うむ、まあ西王母様のお考えも分からんではない。仙女になるまであともう少しだ。可馨も紅花をよろしく頼む」
「……もちろん分かってるわ。また後でゆっくりと話しましょう。紅花、着替えの手伝いをしてくれないかしら」
紅花を伴って部屋へと戻り、舞の衣装から宴席用に用意しておいた服に着替え、髪も結い直させる。あまりにも華美すぎるのは良くない。ただでさえこの容姿と生まれで妬まれる。神遷の位にある仙女はいちいち突っかかってこないが、天仙や地仙のやっかみは面倒だ。
早く私も遷人になりたい。
誰かの機嫌を伺うなんてまっぴら。
とは言え私はようやく2年前に天仙に昇格したばかり。天仙と言ってもその中で一番下の階級だけれど。あと幾つ階級を上げれば遷人になれるのか。颯懔はわずか十数年で行き着いた場所なのに、なぜあんなにも遠くに感じるのだろう。
思わずため息を漏らすと、櫛で梳かしている紅花の手が止まった。
「可馨様と颯懔は昔なにかあったのでしょうか? 例えば、恋仲であったとか」
頭に一気に血が上り、パシンっと紅花の持つ櫛を叩いた。
「不躾にも程があるわ。もっとも、狐に気を使うなんて高等な真似を望むのが間違っているのかもしれないわね」
「気を悪くされたのなら謝りましょう。ですが颯懔を昔から知る者として、一つだけ言わせて頂いても宜しいでしょうか」
「なに」
「颯懔はこれまで一度も嫁を取っていないどころか、房中術すらしている様子もない。それは貴女のせいではないですか」
「私のせい?」
「可馨様を忘れられないから他の女を抱けないのだと言っているのです」
「そう思った根拠は」
「颯懔が寝言で女性の名を呼んでいたことを思い出しました。なんと言う名前だったのかは忘れていましたが、可馨様の名を聞いて思い出したのです」
「寝言ですって?」
「勘違い為さらないでください。まだ私が人型を取ることも覚束無いような頃の話です。狐と閨を共にすることなんてある筈ないでしょう?」
くすりと目を細めて櫛を鏡台の上に置いた。いちいち言い方が気に入らない。でも話しを聞くことを止められない。
「忘れられないのは、結婚生活を長く続けられない貴女も同じなのではないですか。互いに足りないものが同じならば、することは一つかと」
口元は笑ってはいるが、この女狐が何を考えているのか分からない。妖しげな微笑みに胡散臭さを感じながらも、颯懔が自分を忘れられないのはきっと嘘ではないだろうとも思う。
女と交わり陰の気を補えば、颯懔はとっくに真人になっているはずなのだから。それをしないのは私をまだ好きでいるから。
「何を企んでいるの」
「企むなんてとんでもございません。私はただ、大恩ある颯懔に真人になって欲しいだけ。颯懔は女に対して慎重なところがあるから、可馨様からその背を押して欲しいと考えたまでです」
紅花が颯懔に恩義を感じているのは、先程のやり取りで見て取れた。
これもきっと嘘じゃない。
「……これ以上、無粋な詮索はしないこと。いいわね」
「承知致しました」
まだ互いに想いあっている。
期待が確信に変わった。