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僕は広い庭の中に立っていた。あまり見覚えのない庭で、ここはどこだろうとキョロキョロと首を巡らす。
その時、ふと視線を感じて振り返った。咲き乱れる白い薔薇の横に、母上がいた。
「母上…」
そうか。思い出した。ここは奥庭だ。僕は入ることを許されなかった、王の庭。
でも母上は亡くなったと聞いたのに、どうしてここにいるの?そもそもバイロン国にいた僕が、どうしてここにいるの?
「フィル」
氷よりも冷たい声が、僕の名前を呼ぶ。
「はい…」
恐る恐る母上と目を合わせる。僕と同じ緑の瞳。でも僕よりも濃くて光の加減で黒にも見える。
母上は、怒っているのか悲しんでいるのかわからないガラス玉のような目をしていた。
「おまえは今、どこにいる?」
「母上の…目の前に…」
「違う。おまえは役目を果たさずにイヴァルから逃げた。しかも国外へと。今、どこにいる?」
僕は、震え出した手を握りしめて、目を伏せる。
「バイロン…国に…います」
「トラビスが言っていた通りか。おまえはそこで、役目を果たさずに何をしている」
「一緒に…傍に…いたい人が…います」
「くだらない。そんな感情は捨てよ。おまえは運命から逃れられない。見なさい。おまえの身体には、そんなにもくっきりと呪いの印が刻まれているではないか」
母上の腕がゆっくりと持ち上がり、僕を指さした。
僕は左半身を隠すように、慌てて横を向く。
母上には全てお見通しなんだ。もう逃げることも隠れることもできない。
母上が、腕を下ろして僕に近づいてくる。
「フィル、イヴァル帝国に戻って来なさい。私はもう、この国を守ることができない。次にこの国を守るべきフェリが、再び病に倒れてしまった。なぜかわかるか?おまえがまだ、生きているからだ。フェリはおまえの、たった一人の家族だ。そしてこの先、イヴァル帝国を守るべき王だ。フェリを助けるには、おまえの血が必要だ。おまえが死んで、その血をフェリの体内に入れるのだ。でなければ、フェリは死に国が滅びてしまう。おまえは自分の生まれたイヴァル帝国を見捨てるのか。イヴァルの民を見捨てるのか。自分さえ幸せになれば、それでよいのか。フィル、一刻も早く国に戻って来なさい」
僕の目の前で止まった母上が、両腕を伸ばした。
僕はビクンと肩を揺らして、身体を固くする。
母上の手が僕の背中に回り、ゆっくりと僕を抱きしめた。
「…ははう…え…?」
僕は首を絞められるのかと思った。頬を叩かれるのかと思った。なのに、生まれて初めて母上に抱きしめられた。
僕の頬に涙が流れる。次々と流れて嗚咽が止まらない。震える腕を持ち上げて、母上の背中に回そうとした瞬間、母上の姿がぼやけて消えた。
ヒソヒソと話す声が聞こえて、僕は目を覚ました。しばらく状況がわからなくてぼんやりとする。だんだんと意識がはっきりとしてきて、ようやく僕はベッドに寝かされていることに気づいた。
横を向くと、扉の前でリアムとゼノが顔を寄せて真剣な様子で話している。反対側の窓の外を見ると、太陽が高い位置にあり、今は昼頃なのだとわかる。
午後からリアムの父上の、バイロン国王に会う予定だったけど…どうなったのかな。
そのことをリアムに聞くために起き上がろう頭を上げて、僕は動きを止めた。リアムの口から、驚く言葉を聞いたから。
「ゼノ、まずい状況だ。詳しく話を聞こうと、先ほどイヴァルの使者に会いに行ったのだが…」
「は…どうかされましたか?」
「あいつ…一番偉そうにしてた奴。フィーを殺そうと刺した奴だ。俺の顔を見られている」
「それは…。では、フィル様がここにいることが知られたのですか?」
「たぶんな。あいつが俺とフィーが一緒にいると思っているなら。まあ何か聞かれたら、フィーとはすぐに別れたと話すつもりだ」
「そうですね。フィル様の安全のために、しばらくはフィル様のことは伏せておいた方がよろしいかと。では王へのご面会はどうされますか?」
「そうだな。イヴァルの使者が帰るまで延ばそうと思う」
「かしこまりました」
僕はリアムから背中を向けてシーツを握りしめた。
うそ…トラビスが来てる?高官のトラビスがわざわざ?きっとリアムの正体に気づいてたんだ。だから自ら使者として王城に来た。そしてリアムと会ったということは、僕がここにいることも確信している。そうなればもう、僕の成すべきことは決まっている。僕は僕の運命を受け入れる。ただ…その前に、叶えたい願いがある。
「フィー、起きたのか?」
頭の上から聞こえた声に、僕は顔を動かした。
いつの間にかゼノがいなくなっており、リアムが僕の顔を覗き込んでいる。
僕は頷くと、何とか口角を上げた。
「うん…もう大丈夫。ごめんね…心配かけて。王様に会う時間、過ぎちゃった?」
「それだが、しばらくは延期だ。おまえの体調が心配だからな。今はゆっくりと休んでろ」
「でも…」
「焦らなくても時間はたっぷりとあるんだ。フィー、何か食べたい物はあるか?して欲しいことはあるか?なんでも聞いてやるぞ」
リアムが僕の髪を撫でて、優しく笑う。
僕は少しの間、無言で紫の瞳を見つめると、「リアム」と両手を広げた。
「ん?どうした?」
「僕を抱きしめて」
「なんだ、急に甘えたになって」
「だめ?」
「ダメじゃない」
リアムがブーツを脱いで僕の隣で横になる。そして僕を抱き寄せて額にキスをする。
「それで?次は?」
「本当に…なんでも聞いてくれる?」
「ああ」
僕はリアムの胸に顔を伏せたまま、くぐもった声で話し続ける。
「僕、リアムの父上に早く挨拶をしたかった。僕を認めてもらって、早くリアムの妻になりたかった。でも僕の体調を考えて、延ばしてくれたってわかってる。だけど…僕は早く…リアムのものになりたい。もう待てないよ。だからね…リアム、僕を抱いて。今、ここで。お願い…」
「でもおまえ、体調が…」
「大丈夫だよ。たくさん寝たし、薬も飲んだし。母上のことも悲しいけど、ちゃんと受け入れてる。だから大丈夫…」
まずい。声が震える。
僕は唇を噛んで、零れそうになる涙をこらえた。
リアムの唇が僕の耳朶に触れる。そして掠れた声で「わかった」と囁いた。