テラーノベル
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花守の村を離れて三日。
旅は続いていた。
山を越え。
谷を越え。
街道を外れ。
誰も通らぬ獣道を進む。
空は曇っていた。
月は見えない。
だが。
皆が知っている。
見えなくても。
あれはそこにいる。
月の向こう。
巨大な瞳。
世界を探す何か。
旅僧は焚き火へ薪をくべた。
ぱちり。
火の粉が舞う。
向かいでは佐衛門が刀を研いでいる。
いつも通り。
何も変わらない。
だが。
変わったこともあった。
時折。
ぼんやりする。
ほんの僅かに。
昔を見ているような顔をする。
本人も気付いていない。
だから誰も言わない。
その時だった。
鐘撞きが顔を上げる。
「聞こえるか」
静寂。
旅僧は耳を澄ます。
風。
木々の揺れる音。
鳥の鳴き声。
それだけ。
「何がです」
鐘撞きは立ち上がった。
「水だ」
風が吹く。
「川の音がする」
墓守も頷く。
「ああ」
表情が険しい。
お師さんも舌打ちした。
「嫌な場所だな」
旅僧には分からない。
だが。
嫌な予感だけは共有出来た。
そして。
一行は歩き出す。
音を追って。
水の音を。
やがて。
森が途切れる。
その先にあったものを見て。
旅僧は息を呑んだ。
川だった。
巨大な川。
見渡す限り続く。
向こう岸すら見えない。
まるで海。
だが。
波がない。
静かすぎる。
不自然なほど。
静かだった。
「渡し船もありませんな」
旅僧が呟く。
普通なら船着き場がある。
人がいる。
生活がある。
だが。
何もない。
誰もいない。
静寂だけ。
その時。
佐衛門が川を見て言った。
「いるな」
旅僧が固まる。
「何がです」
「向こうだ」
静かな声。
全員が視線を向ける。
川の中央。
遠い。
だが。
確かに。
一艘の舟が浮かんでいた。
黒い舟。
誰も漕いでいない。
それなのに。
ゆっくりと。
こちらへ近付いてくる。
水音もなく。
静かに。
まるで。
呼ばれたかのように。
舟が岸へ着く。
そして。
そこに立っていた。
一人の女。
白い着物。
長い黒髪。
年齢は分からない。
若くも見える。
老いても見える。
だが。
瞳だけは異様だった。
深い。
川の底のように。
深かった。
女は一行を見る。
順番に。
旅僧。
お師さん。
鐘撞き。
墓守。
そして。
佐衛門。
そこで。
止まった。
長い沈黙。
風が吹く。
川面が揺れる。
そして女は。
初めて感情を見せた。
驚き。
戸惑い。
そして。
僅かな安堵。
「そう」
静かな声。
「まだこちらではないのね」
その言葉。
まるで。
死者へ向けるような。
そんな響きだった。
女は舟から降りる。
裸足。
なのに。
泥一つ付かない。
そして。
旅僧の札が燃えるように熱を持つ。
慌てて取り出す。
文字が浮かぶ。
ゆっくりと。
水に滲む墨のように。
『第七封印』
静寂。
全員が息を呑む。
文字は続く。
『渡守』
風が止んだ。
女は微笑む。
悲しそうに。
どこか懐かしそうに。
そして。
佐衛門だけを見て言った。
「久しぶりね」
静寂。
旅僧は思わず佐衛門を見る。
佐衛門は。
何も答えない。
女は苦笑する。
その反応だけで理解したらしい。
「そう」
小さな声。
「まだ思い出していないのね」
川が揺れる。
風が吹く。
そして。
女は舟へ手を添えながら言った。
「急いだ方がいい」
静寂。
「向こうも」
月のない空を見上げる。
「もう待ってくれないから」
その瞬間。
川の底から。
何かが浮かび上がった。
一つ。
二つ。
白い指が水面を掴む。
続いて。
黒い手。
老人の手。
子供の手。
次々と。
水面から伸びてくる。
何百。
何千。
数え切れない。
旅僧の顔から血の気が引いた。
佐衛門が刀の柄へ手を置く。
川面の下で。
無数の何かが。
こちらを見上げていた。
コメント
1件
うわ、めっちゃ好きな雰囲気……。川の静けさとか、女の渡守の“まだこちらではないのね”ってセリフがゾッとしたけど哀しくて。佐衛門さんが何か隠してる感じ、すごく気になる。続き読みたい……!
MOMO🩲
ひな
104
けだま15号🍓🐾໊
6,356
夕鳴
128