沙羅は今はアルファベットの「O」の字に大きく口を開けて、信じられない気持ちでRグラウンドで、目の前に聳え立つヘリコプターを見つめていた
その機体は黒光りする鋼の巨獣のようで、陽光を跳ね返し、漆黒の装甲はまるで王室の戦車のように威厳を放っていた
ローターのプロペラは鋭く研ぎ澄まされた剣のごとく、低く唸るエンジンの振動が地面を微かに揺らして沙羅の胸にまで響いてくる
想像もしていなかった存在感は、まるで神話の世界から降り立った飛龍の様で、その前に紺のシャツに黒のスラックス姿の粋な格好をした力が、ヘリコプターの前に仁王立ちしていた
プロペラが轟音を上げて、ゆっくりと回り出す
手を前に組んだ力が着飾った沙羅を見て目を輝かせた、突風に髪をなびかせながら微笑んで沙羅を待っている
「今宵、星のかけらを探しに行こう」
力はそう言って沙羅の手を取ると、ヘリコプターの重厚なドアを軽やかに開けた
開いた瞬間、プロペラが巻き起こす突風が沙羅のセットした髪を激しく揺らし、力の紺のシャツの襟をはためかせた、物凄い風に、二人は目を見合わせて笑った
機内の革張りのシートがちらりと見え、黒と金を基調とした内装が豪華な雰囲気を漂わせる、沙羅は一瞬息をのんだが、力はいたずらっぽく微笑みながら彼女の手を握りしめた
「市内と湾岸を回って、海沿いのレストランに行くよ」
「ヘリコプターデートなのね!凄い!」
「今夜は二人の夜だ」
パイロットが二人に丁寧に挨拶し、いよいよ夜のフライトスタートだ、今やヘリコプターのプロペラは轟音を立てて激しく回転し、機体がふわりと浮かぶと体が宙に浮いている様な気分になった
ヘリコプターが高度をグングン上げて夜の空に溶け込むと、眼下に素晴らしい景色が現れた
市内の高層ビルが模型の様に輝き、湾岸沿いの遊園地の観覧車が色とりどりの光を放っている、夜景は暗闇の中に光を散りばめた宝石箱の様だった、沙羅は力の膝に手を置き、ワイヤレスヘッドセット越しに叫んだ
「やることがいちいち芸能人みたいよ!力!」
ハハッ「芸能人なんだよ」
二人は笑い合い、まるで高校代の昔の恋人同士の様に指を絡め、お互いの顔を見つめた
夜景が潤んだ力の瞳に反射してキラキラしている、きっと沙羅の瞳も同様に力に見えているのだろう
高校3の夏休み・・・あの時もこうやって力はサプライズで沙羅に満天の星空を見せてくれた
あの時は誰もいないスイカ畑で二人で手を繋いで星を見上げた、今はヘリコプターから眼下に輝く星を見下ろしている
時は経ち・・・力は本当に出世した、でもあの頃と変わらないのは、二人がこうして手を繋いでいること・・・
沙羅の力への愛は眼下の星空よりも輝いた
ヘリは湾岸を一周するルートを滑らかに進む、港のクレーンがシルエットとなり、コンテナ船の明かりが水面に反射する。堤防のポートタワーが赤く点滅し沙羅の心が躍る
「音々ちゃんがこの景色見たら、動画で撮りまくるでしょうね」
沙羅が呟いた、事件の記憶は思い出すとまだ胸に刺さるが、それでも小さな痛みになりつつあった、今夜の二人はそれを優しく包み込むように寄り添っていた
やがてヘリは北の海の見えるレストラン「ルミエール・ド・メール」へ向けて高度を下げる
レストランは崖の上に建ち、ガラス張りのダイニングが海と空を一望できる名所だ
着陸ヘリポート場に降り立つと、力は降りる時もおしゃれをしてハイヒールを履く沙羅が階段を降りやすい様に手を貸した、完璧なエスコートだ、どこで習ったんだろう?沙羅は力の手を握ったまま少し照れて言った
「こんな素敵なデート初めて」
「実は僕も初めてなんだ」
可愛く力が笑う、レストランに足を踏み入れると、大きなフロアに、キャンドルの灯りがテーブルを柔らかく照らしていた
沙羅は目を見張った、ピアノ演奏の調べが静かに流れて、その光景がまるで映画のワンセットの様だ
窓の外には大阪湾の夜景が広がり、遠くの船の明かりが星のように瞬く、ウェイターが二人を最上階のプライベートテラス席へ案内し、沙羅が座る時に背後で優しく力が椅子を引いてくれた
シャンパンの泡がグラスで弾けるのを見つめながら、沙羅は笑って言った
「実はこんなお店で食事をするなんて本当に久しぶりなの・・・いつもは音々ちゃんと真由美達と回転寿司とかだから」
「僕はそっちの方が楽しそうでいいな」
力の笑顔は事件の疲れを溶かすように温かく、前菜のシーフードカルパッチョが運ばれてくると、彼が一口食べて目を丸くした
「これ、音々ちゃんが好きそうな味だな! ほら、カニの風味が甘いよ」
沙羅も笑った
「あなたと音々ちゃんは顔も味覚もまったく同じね、噂をすればだわ!音々ちゃんからビデオ通話がかかって来たわ」
沙羅はすかさずミネラルウォーターのボトルにスマホを立てかけ、二人で画面を覗き込んだ
ポンッ!『ママ!パパ!』
音々の顔が画面一杯に映し出された
「わっ!」
「まぁ!どうしたの?その顔」
音々は目の周りに鳥の羽の様なブルーのフェイスペイントをして沢山のキラキラしたラインストーンを貼っている、そして右手には特大のアイスクリームコーンを持っている
『動物のフェイスペイントだよ!拓哉君とやったの!』
『よう!お二人さん!』
同じように目の周りにオレンジ縞模様の虎の様なフェイスペイントをしている拓哉が画面に現れた
その後ろで特大のパンダのぬいぐるみを持っている誠、海斗に健一もいる、クスクス笑って沙羅が言う
「楽しそうね!そこはどこなの?」
『サファリパークだよ!今からホテルに帰るの!ライオンとパンダがいたよ!お顔は洗ったら落ちるんだよ!』
力も笑って言った
「そうみたいだな、カッコいいな、あとで写真を送ってよ」
『動画沢山撮ったから送るよ~!』
力の言葉に誠が後ろから入って来た、遠くの方で力が雇ったボディーガードの二人が仁王立ちして映っている
「みんな、ありがとう音々はとっても楽しい時間を過ごさせてもらってるのね、感謝してるわ」
ハハハと笑う拓哉と誠の声がする
『逆!逆!俺らの方が楽しませてもらっているよ!こんなにはしゃいだのは久しぶり、パークに閉店までいたんだ!あとお客、俺らだけ!』
海斗も言う
『今からホテルに帰ってバイキングなんだ!今夜は邪魔者はいないから、楽しんでね!お二人さん!』
『楽しんでね!ママ!パパ!じゃーね!バイバーイ』
音々達の笑顔が画面で固まり、そして通話は切れた
終始笑いながら食事を終えた二人は、テラスに出て夜風に当たった、沙羅は力の胸に寄り添い、力は沙羅を抱きしめた、遠くで船の汽笛が響き、月光が二人を銀色に優しく包んだ
ヘリコプターのエンジン音が遠くで再び聞こえ、帰路への準備が始まる・・・
「帰ろうか」
「うん」
二人は手を繋ぎ、レストランを後にした、夜空一杯に広がった星は二人のこれからを映し出す鏡のように、いつまでも輝いていた
Uberで呼んだタクシーの後部座席で、沙羅は隣の力の様子を横目でずっとチラチラ見つめていた
「ん?疲れた?」
すると今度は力が真剣な眼差してじっと沙羅を見ているのがわかり、慌てて窓の外に顔を向けた、車窓の外はのどかな田園風景が流れて行く・・・
沙羅は見なくてもずっと彼の視線を愛撫のように肌に感じていた、その時車が何が障害物をよけたのか左右に揺れた
「すいません(焦)猫が飛び出してきました」
運転手が申し訳なさそうに言った
力がフロントガラスから道路を見ようと前を向いてしまったので、沙羅は力の視線が無くなって、自分につながれていたコードがコンセントから抜かれたような寂しさを味わった
ボソ・・・「あとちょっとで着くよ・・・」
力が耳元で優しく囁いた、それから二人は一言もしゃべらなくなった
ヘリコプターが最初に出発したグラウンドへ到着すると、Uberタクシーが配車されていた、力は沙羅に乗って来た車のキーを渡せと言い、お酒を飲んでいる二人の代わりに代行が車を家に届けてくれると言う
力がいつもこんな風にタクシーを配車するのかはまったく知らない
ただ、シンデレラの馬車の様にそこで待ってたのだ、何も考えずに沙羅もお酒を飲んでいたので感心した、それに配車されたタクシーが普通の乗用車ではなく、オレンジ色のワゴン車だったので本当に沙羅はかぼちゃの馬車に乗ったシンデレラの気分になった
力はこの後の事もちゃんと考えているのかもしれない・・・この後は・・・?
今の力にこれからどうするのか、とても気軽に話しかけられる雰囲気はなかった、沙羅は思った、力は自分を家に送ったらさっさと帰ってしまうのだろうか・・・
どうしてあんなに黙りこくっているのだろう・・・分かっている事ははただ一つ、彼は今は何も話す気がないという事だ
車窓から流れて行く光が、力の綺麗な横顔を照らしている、その顔は少し緊張しているようにも見える・・・
反対側を向いていても、隣に座る力を意識する、後部座席に窮屈そうに折り曲げている長い脚・・・沙羅と膝の位置が違い過ぎる、大きな体が熱を発していて、静かで暗い車の中でその存在感に圧倒される
その時、力がすっと手を伸ばして彼女の腕を滑らせたあと、指を絡めてきた
指も手の平も大きくて温かい、ギターを弾いているので指先にタコが出来ていて硬い
力の手は力強くて、腱が浮き出て、 セクシーなオリーブ色の肌の手・・・
突然、この彼の手が自分の体に触れる所が映像として沙羅の頭の中に広がった、裸の沙羅をまさぐる力の手・・・
顔が真っ赤になるのを感じて車内が暗くて助かったと沙羅は思った
通常の場合、デートと言えば食事をごちそうになり、素敵な男性に家まで送り届けてもらったら、 うちでもう一杯飲みものでもいかが?とか言うのがマナーというものだろう
今夜は音々も誰もいない・・・
個人的な誘いではなく、単なるお礼の気持ちとして・・・と言う風に話をもっていくのは可能だ
音々の家庭訪問でも最低限のマナーで礼儀を尽くす意味で先生にも家に上がってもらうのが良い母親だと印象を与える
美味しいおつまみでも出して飲み直すのもいい、あんまりお酒は強くないけど、今日の事を振り返りながら楽しくおしゃべりして・・・
ソファーでは少し離れて座って・・・慎まやかな女とはそういう者だ
きっと力は紳士で、こちらが望まないことはしないはず
こんな時、力以外に男性経験の無い沙羅としては、スムーズにセクシーに男性をその気にさせる術を持ち合わせていない
ただ、今までワンオペ子育てにがむしゃらでそう言う事への興味があまりにもないので、自分の女性ホルモンはもう枯渇してしまったのではないかと思っていたほどだ
干からびて、もしかしたら沙羅の脚の間は砂漠みたいに乾燥しているかもしれないと思っていた
ところが力の傍にいるとその部分は今、熱を放ちながら存在を主張している、まったく余計な心配だった
力と手を繋いでいるだけで手から脳へしびれるような感覚が走り、今日顔を見た瞬間からずっと前戯をされているようなものだ、力とするセックスの事しか考えられなくなる
「それじゃぁ、おやすみ」と力にそっけなく帰られたらどうしよう・・・
私はきっと彼を引き止める術を持っていない・・・今夜のデートはこれで終わりなのだろうか
それを考えて少しシュンとした気持ちを抱えたまま、家までの帰り道は永遠に続くかと思われるほど長く・・・耐え難かった
力はきっと素敵な紳士でいてくれるかもしれないが、全身が女性ホルモンに支配されている今の沙羅は、 ぎこちない行動を取ってしまうのではないかと思った
本当は力を担ぎ上げてベッドに放り投げたい気持ちなのに、ここまで来て力に引かれるのだけは嫌だ
何を言うかもどう誘うかも決められないまま、タクシーは沙羅の家の前に到着した
二人が家の玄関に降り立つとタクシーはさっさと行ってしまった
しばらく二人は見つめ合い・・・
とうとう沙羅が口を開いた
「も・・もし、よければ上がってお茶でも――」
「今夜泊めて」
沙羅が言い終える前に力が即答した
「つーか、泊まるから」
―ああっ!嬉しい!―
「・・・早く入って・・・ご近所に見られちゃう」
沙羅が両手で嬉しそうに力の手をひっぱった、沙羅の後に続いて力が階段を上がり、リビングのドアが閉まると同時に彼に引き寄せられ、激しく唇を重ねられた
何もかもが一度に起きた
抱き寄せる力、力に飛びつく沙羅、重なる唇、力が抱き上げて沙羅の背中を反らして、舌が同時に入ってきて同時にお互いの舌を絡め合う