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もう止めよう。人を羨んでも仕方ない。育った環境も違うし俺は俺。
俺は自らの意志でステージを去った人間や。空色にも努力して会ったわけじゃない。偶然出会ってしまっただけ。
俺が作った歌のような運命なんて、この世にあるわけがない。
「出番前の忙しい時にすみません。差し入れ持ってきました」
空色が挨拶すると、山根明夫が俺たちの近くまで来てくれた。旦那はギターを弾いて最終調整をしていた。
「新藤さん、貴重なお休みなのにわざわざ来てくださってありがとうございます!」
旦那が立ち上がって挨拶してくれた。ギターを持つと普段の彼とは違ってとても輝いている。水を得た魚のようだと思った。
「おー、りっちゃん。急やのに駆けつけてくれてありがとう。お連れの方も、わざわざありがとうございます」
山根明夫は彼によく似合う黒のウェスタン帽を目深く被って、黒髪のサラサラロングヘア―が帽子の中から揺れていた。普段はごついサングラスをかけているけど、楽屋でメイク中のために取り外していた。
目がくりっとしていてリスみたいに可愛いから、サングラスしてなかったら恰好がつかない。彼が人前でサングラスを外したがらない理由は、雑誌に書かれていたインタビュー記事を読んで知っていたけど、まさかここまで可愛い顔(というかつぶらな瞳)とは思わなかった。
歌はハードなメタルだから、可愛い顔ではナメられる。観客を圧倒するにはサングラスが必須。
空色が簡単に俺を紹介してくれたので、インディーズのアルバムを全て持っていることや、ライブを楽しみにしていることを告げると彼は喜んでくれた。
忙しい彼らに会釈し、俺たちは楽屋を出てホールに向かった。
RBの話で盛り上がった時、旦那は剣のギターより僕の方が巧いギターを弾く自信があると言っていたからめっちゃ楽しみや。どんな音が聴けるのだろうかとわくわくする。
分厚い防音扉を開けるとかなりの客でフロアが埋め尽くされていた。アウトラインは結構小さいライブハウスだから、収容人数はかなり少なそう。五十人も入ったらいっぱい、というような所にそれ以上の客がいる気がした。すし詰め状態になったら危険や。サファイアはメタルバンドでファンも相当盛り上がるから、空色が巻き込まれないように気を付けよう。
前方へは行かずに後方のバーカウンター付近で落ち着いた。
そこから見える狭いホールに設置された大型のスピーカー。人が多くてメーカーはわからないけれど、めっちゃいい機材だと思う。
モリテンの城だから、やっぱりPA(音響)は本人がやっているのかな。機材のメンテナンスも最高、出音もよくてPAの腕は日本屈指。こんな最高のライブハウスで演奏できるなんて、とてつもない贅沢。羨ましい。俺もそんな環境で心の底から歌いたい。
モリテンがライブハウスで真剣に音作りしていた頃を思い出してワクワクした。
再びステージの方を見ると、試し弾きのギターが音を立てた。最終の音出しチェックが行われている。もうすぐ本番が始まる合図や。
大きな歓声が上がった。もうすぐライブが開演することをファンもわかっている。今から始まるという高揚感。この瞬間は最高で、何度経験しても止められない。
気が付くとアウトラインはファンでいっぱいになっていた。まだ余裕のあった後方も人が溢れている。空色は大丈夫かと思った途端、彼女が俺の方に強くもたれてきた。
「すみません、新藤さん。動けなくて…」
熱気に包まれていて良かったと思う。一瞬で全身の血液が沸騰した。心拍数が上昇したことを空色に気づかれないか心配や。
しっかり捕まっておくように彼女には伝え、腕を伸ばしてぐっと引き寄せ、空色を抱えこんだ。これは不可抗力の出来事で、付き人の役得だと思うことにした。
「危ないですから、私の傍にいてください。苦しかったら言って下さいね」
空色の美しい顔に戸惑いの色が浮かんでいる。思わず鋭い目線を投げてしまった。
こんなことをして白斗だとバレないか焦る。でも、目が反らせない。
このままお前を攫っていけたら、どんなにいいか。
昔、白斗(おれ)を好きやった時の空色を呼び覚まし、誰にも邪魔されへん空間に行けたら――