「あぁ、悪かったね。そこに掛けておくれ、今茶を入れるから」
砦から伸びる大通りから脇道に逸れ、裏通りにある小径を下った先に老婆の家は在った。
古臭い家屋が密集しており、貧民街と呼んでも可笑しくは無いその陽の当りの悪い通りには、表向きは煉瓦作りを基調としてはいるが、室内は昔ながらの木造建造物のままで、机らしい物は無く部屋の内部には剥き出しの柱が何本も見受けられる。
ランタンを灯すと柱が部屋の中に影を生み、元から暗い室内を、より一層不気味に黒く灯《あか》りを揺らし、草臥《くたび》れた波斯《ペルシア》絨毯を浮かび上がらせていた。
出会い頭に尻餅を搗《つ》き、腰を痛めてしまった老婆に肩を貸し、家まで送ってきたのだが、俺にはその場で見せた老婆の涙の訳が、何故だか妙に気掛かりで仕方なかった。
「すっかり世話になったね」
茶器を手に絨毯にゆっくりと腰掛けた。
「いや、俺が悪かったんだ、迷惑を掛けてしまってすまない。所でどうして? 」
「あんたを見て泣いたのかって? 」
老婆は茶の湯煙越しに眼光を鋭くすると、少し哀れんだ表情を見せる。
「あんたは何者なんだ? 」
老婆は少し溜め息を吐き出すと徐に語り出した。
「あたしゃね、占術師と言って、何となく過去が見れるんよ。正確には、現在、過去、未来とね。先ずはこの話をする前にあたしの事を話しとく必要があるようさね」
その話は、まだ老婆が少女だった頃に遡る。その不思議な力は少女の頃に開花し、その力故に少女は魔女と蔑《さげす》まされ罵られ、異端審問によりルダヤ人だった家族は皆殺しにされた。親しき関係の家族達は自らの命と引き換えに彼女を匿《かくま》い、闇夜に紛れイスラールへと送り出してくれたと言うものだった。その話し全てに俺は衝撃を受け、憤りを感じ唇を噛んだ。
「そしてこの土地に逃げて来て、妖術師の師匠に出会い多くを学んだんよ」
「妖術の師匠? 」
「此処イスラールはカルマとは逆でね、妖術師を黙認してくれている国なんよ、罰する法も無いのさ。妖術師は魔術師と似ている所があってね、薬を作ったり占いをしたり厄を払ったりする者の事で、何ら薬師と変わらないんよ。だけど、カルマはそれを悪魔憑き。つまり魔女と呼んだんさね」
「魔女…… そんな者が? 」
「居るわけないだろ、全ては自国の利益だけを考え、邪魔な思想を排除する為の都合の良い免罪符さね。教えに背く者を異端と呼び、特殊な技術を持つ者を魔女と言って殺せば何でも正義になるんよ、それが譬《たと》え無辜の民だとしてもね。瀕死の妊婦の腹を切開し、赤ん坊を取り上げて、母子を救った助産婦が魔女として火炙りになった。命を救った者が命を奪われた事もあったんよ」
「惨い…… 知らなかった、そんな事が起きてるなんて…… 」
「それは仕方のない事なんよ。他国の事を知る由も無いし、噂は捻じ曲がって人へ伝わるからね。特に人間なんて生き物は、自分に被害が及ばなきゃ興味も沸かない。興味がなけりゃ知ろうとは思わないからね。あんたみたいな若者は珍しいほうさね。ただね……」
老婆は言葉に詰まり俺を凝視《みつ》めるとその重い口を開いた。
「色々とその身で経験してきたあんたには、理解出来るかもしれないね。居たんさね、本当に、大昔にたった一人だけ、本物の魔女がね」
⁉―――――
「1000年の時を超えて生き続けていると言われている、時越えの魔女。アナベル・ルチーナ。それこそが本物の魔女であり、あたしの師匠なんよ」
「本物の魔女…… 」
「そう、その人に導かれ、感覚的だったあたしの能力が、更に確信的な能力に変わったんよ。その他に師は多くの若い妖術師達に、サバトと言う学びの場を設け多くを教え伝えた。医術、薬術、占術、妖術、呪術、学術。それこそ生きてゆく統べを、あたし達に与えてくれたんよ」
「でもそれだけではルチーナが魔女なんて言いきれないのでは? 何か証拠でもあったのか? 」
「そう、それはね、奇跡を起こしちまったんよ」
「奇跡? 」
「あれは忘れもしない、いつかの土曜の夜。丁度サバトがある夜に妖術師見習いの母親の子が亡くなったんよ。強盗に入られたのさ。母親は女で一つで女の子を育てる為に、占術を商売にしようとサバトで学んでいた所だったんよ、それを逆手に取られ、女の子が独りの所を狙われてしまったんさね」
―――――⁉
「女の子は言葉では言い表せない程に汚され殺された。一人の男が直ぐに捕まり投獄されたが、母親は嘆き悲しみ、男を殺し自分も娘の元に行くと聞かんかったんよ。その時、生きる希望を無くした母親に、師は哀れみと希望を与えた」
「希望? 」
「あぁ、娘を取り返してやるってね」
「なっ⁉――――― 」
「そんな事出来っこ無いんよ、誰もが知っている。死んだ人間を蘇らすなんて事は有り得ない、有ってはならない。それこそ神の御業。奇跡さね」
「娘は? 生き返ったのか? 」
「あぁ、男は牢獄で息絶え、娘が代わりに生き返った。どうやったのかは教えても貰えんかった、ただそれは間違いなく魔に属する者だけが使える魔法だと言う事を、言わんでもみんな理解した」
「魔法…… 」
「そう魔法だよ。魔女とは魔法使いの事で、魔の法則を用いる者を呼び、その法則は無限となる。魔術師は錬金術師の事で、術は自然科学により構築され、その術は技術でしか無く単体であるってね」
「でも、死んだ娘がいきなり蘇ったら周りが気付くだろ? 」
「それが新たに息を吹き返した子は、顔は変わらずとも別人だった。髪、瞳、肌の色までね。でもね、間違いなかったんよ。娘が目覚めた時に出た最初の言葉が、お母さんだったからね」
ランタンの焔が揺れると老婆の握りしめた手が震えていたのが分った。その手が歓喜に起因《きいん》するものなのか、恐怖に因るものなのか俺には判別する事ができなかった。
「娘が蘇生した事は隠し、母親は暫くして熱《ほとぼ》りが冷めると、養子を取ったと世間には公表した。勿論、妖術師仲間も協力してね」
「そうか…… そんな事が現実に…… 」
―――その魔女であれば若しかしてエマも……
「そう、そして気付いてないと思うけど、あんたはその魔女に会ってるんよ」
「―――――⁉ 」
「あんたの顔を見た時に師の顔が浮かんだんよ。あんたはこれから自らの手でその運命の糸を手繰り寄せる。全てを決めるのはあんた自身さね」
「そ、その魔女は何処に? 」
「そりゃこっちが聞きたいんよ、あたしの師は女の子を蘇生させるとどっかに消えちまったんさね。手紙だけを残してね。手紙にはこう書かれていたんよ」
≪扉は開かれ道は記した。追う者は命乞う事許さず≫
「追えば命の保証は無いと言う事か…… 」
「あぁ、お蔭で誰も軌跡を辿る者はおらんかったよ」
老婆が茶を啜《すす》ると、何処から現れたのか白い猫がその脇にちょこんと座った。その猫の目は何かを凝視するように俺を興味深く観察している。
「それともう一つ気になる事があるんよ、多分この子もソレに気付いているんさね、あんたのその精神に干渉している存在が…… 」
「みっ、見えるのか? 魔紋《まもん》が? 」
「魔紋? そりゃあんたの血に息衝《いきづ》く者の事だろ? あたしが言ってるのはあんたの精神に干渉している存在さね。自覚が無いって事は、厄介な存在かもしれないね、あんたにとって危険かもしれないけど、どうする? 口寄せしてみるかね? 」
委ねられたる永遠は、神祇《じんぎ》の刻を待ち構えん。瞳に刻むは響ける叡智の鍵として、時空《とき》の螺旋を彷《まひ》きつつ、無明の海を航《いか》ん。
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