「ふむ、此処ならば良く見えるな」
満足そうにその興行化した蛮行を見下ろすと、不意に部下に尋ねた。
「おい、あの男と私ならばどちらが強い? 」
悪戯心を隠し、ほくそ笑むと分かり切った返答と戯れる。
「そっ、それはもう結果は明らかで有ると…… 」
此処で返答を間違える訳には行かなかった。余りの緊張で言葉が続かず取次筋斗《しどろもどろ》に狼狽える。
「それは私に軍配があがると? 」
「もっ、勿論であります。幾らあの男が強かろうが、結果は明らかであります」
「貴様はきっと出世するな。然し足を掬われぬ様に常に気を抜くなよ? 」
「はっ!! 有難きお言葉、感謝致します」
折《おり》しも余りにも不甲斐ないイスラールの兵士が周囲の糾弾に見舞われていた頃、一人の男がヴェインの前へと進み出た。体躯では圧倒的に不利な状況下にも臆する事は無く、覚悟を背負い立ち塞がる。
「へぇ…… 次はあんたか、でもあんた、俺にゃあ勝てねぇぜ」
ヴェインは両の腕を分厚い胸板の前で組むと静かに男を見下ろす。
対峙する二人の男の姿にゆっくりと緊張が疾り、いつ切れるやも知れぬ張り詰めた糸が観衆を黙らせた。
「お初に御目に掛かる。部下たちが世話になった。私はセルジュイスラール国軍、近衛師団大隊長、シャマール・アル・バリアールと申す。失礼だが貴殿を此処から先に通す訳にはいかん。すまんが私と此処で手合わせ願いたい」
「ふむ、大隊長が出て来たぞ、これは面白くなりそうだな? そうは思わんか? 」
二階席の特等席から、これから起こり得る勝負事に胸を躍らせ身を乗り出す影が一つ、余りにもその軽率なその行為に部下がへちを捲《ま》くる。
「お辞めください危険です、何卒」
そんな二階席の攻防を他所に、ヴェインがゆっくりと立ち塞がる男に歩み寄る……
「俺ぁ、元、エリン東部のレンイスター王国《キングダム》所属、重装騎兵師団、第三師団隊長ヴェイン・ミルドルドだ」
―――――⁉
「おい、レンイスターって言えばずっとエリンの島《アイルランド》で海賊《ヴァイキング》とやり合ってたケルト人の国だよな? 」
密密《ひそひそ》と衆《おお》い達が騒ぐ……
「そりゃあ強い訳だ、海賊どもを何度も蹴散らしてカルマともやり合ってる武闘国家だぜ」
レンイスター王国は、ケルト王国において5つの王国のうちの一つで、エリン島の東部に位置する独立国家であり、その王都は難攻不落の城塞都市ダブリンとされている。城壁で囲まれた中心街と、周辺には商人や手工業者が住む郊外街が都市を形成していた。
人口は大凡10万人程度。中心都市としては、ダブリン、キルニー、ウォーターフォルド。その中でもダブリンは商業都市として栄え、北欧やイーグラード、フランシスカなどの外国の商人が行き交う国際都市として発展した。
エリン島は温帯海洋性気候で夏は涼しく、冬は比較的温暖である。気候の影響を強く受け、霧や雨が多く、風も強いことが特徴となっている。
内陸に位置する他の王国と同様に、レンイスター王国は氏族制度に基づく社会であり、王国の最高指導者である王は、選挙で選ばれることが多く、その権力は限定的であった。
島の地形は丘陵地帯や山地、平野、湖沼が複雑に入り組んだ地形になっており、全体的には中央部を山地が占め、周辺は低地となっている。美しい海岸線を持ち、西岸は断崖絶壁が連なり素晴らしい風景が続く。
また、文化や芸術が発展した地域であると同時に、カルマ教のケルト神教に対する信仰弾圧も取り分け強かった。レンイスター地方は古代から金属加工が盛んであり、金属製品の輸出が頻繁に行われていた。そのため王国は、侵略を受けるまでは豊かな地域であったとされている。
「あんたよぉ、俺が怖くないのか? あぁ? 」
ヴェインの恐ろしい程の強談威迫《ごうだんいはく》!! 一瞬にして殺気が埃立ち、鳥達を空に追い遣ると凄まじい恐怖に中《あ》てられた民衆が腰を抜かした。
ギリッと歯を食い縛るとシャマールは首筋の汗を気に留める事無く続けた。
「流石、名立《なだ》たる誇り高きケルトの戦士。だが、私は此処で退く訳には行かぬ。私の後ろには何万と言う兵と民達が居るのだ。私の存在意義はこれらを守る為だけにある。勿論、例えこの命、此処で果てようとも一歩も引くつもりは毛頭ない。恐怖は疾《と》うに置いてきた、今は覚悟と倶に此処にある。さぁ参られよ」
「ふうん、なんだ? 剣を抜いてもいいんだぜ? 」
「笑止。貴殿が素手であれば当然私も素手でお相手致す。それが戦士同士の礼儀であろう」
その言葉を受け、眉根一つも動かさず暫くシャマールを睥睨する。
「ガハハハハハ」
突然ヴェインが大声で笑い出すと、ドカッとその場に胡坐《あぐら》をかいた。
「止めだ止めだ、どう足掻いたってあんたには勝てねぇみてぇだ。あんたをぶっ飛ばした所で、あんたのその志まではぶっ飛ばせねぇ。あんたが全てを背負って出て来た時点で俺の負けだ」
⁉―――――
ヴェインは道端に腰を抜かした老婆に視線を流すと徐に懇願した。
「ばっちゃん! 悪ぃな驚かせちまってよぉ、でも、もう大丈夫だ。悪ぃんだが喉が渇いちまった。アランビアのよぉ、アラックって酒ねぇかな?
飲んでみてぇんだ、頼むよ大人しくすっから、少し分けてくんねぇかな? 樽で」
場の空気が一気に和み観衆が大爆笑する。ヴェインはその歓喜を受けシャマールに思いを恬然《てんぜん》と語った。
「俺ぁ今迄、誰かの為に戦って来た事は無かった。でもあんたは違った。俺に勝てないのを知ってて、それでも出て来た。恐怖を捨てて、命と引き換えに何かを守ろうと立ち開《はだ》かる奴には敵わねぇ。漸く知ったんだ、誰かの為に命を懸けて戦うって意味をな。すまねぇ俺の負けだ。牢にでも何にでもぶち込んでくれ」
ヴェインはその場でシャマールに敬意を払うと首を垂れた。その一連のやり取りを特等席で傍観していた人物が立ち上がると、両者に称賛の拍手を送る。それを切っ掛けとし、自然と街全体に喝采の波が押し寄せると、その人物は部下にこう命じた。
「決まりだな。あの者を此処へ」
堅牢な重たい木製の扉が勢い良く解き放たれると、血相を変えたカシューが息を切らし部屋に飛び込んで来た。
「グランド大変だよ、ヴェインが大通りで暴れてるって」
「怪我人は出たのか? 」
「出るに決まってるじゃないか、ヴェイン《猛獣》が暴れているんだよ? 」
「そうか」
「そうかって、何落ち着いてるんだよ! 早く止めに行かなきゃ」
「…… 」
「グランド⁉ 早くしなきゃ、僕一人じゃヴェインを止められないよグランド――― 」
「カシュー、これで俺達はようやくテーブルに着ける」
「テーブル? 何をいってるのグランド…… 」
グランドの含みを孕んだ笑みにカシューは改めて恐怖を感じた。そして思い出した、切れ者と謳《うた》われた昔見た面影を……
「オマエうるさいれす、あっチいくれす」
「情けないわネ、これが冥界軍最強っていわれてた将軍様の孫なんてネ」
「うるちゃいれす、くらえ~」
全身全霊で繰り出されたのんびりとしたネコぱんちがスカッと空を切る。
「ひっ、ひきょうモノめ! よけるなれす」
「いや、その…… 避けてないわヨ…… 」
「ぐぬぬぅ」
「てかアンタ、あたしの姿見えてないでしょ? 」
「みっ、みえてるれす。そっソコにいるれす」
「どこ見ていってんのよ、あんた。あたしに尻尾むけてサ」
思念巡り乃至《なお》足りん。縁会の機縁と魅《み》され、蒼穹めぐるは心に刻みし 往にし方の、水鏡の如し織り交《か》ぜ 響く神秘の調べ。
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