テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第9話 明日も、きっと
公衆電話に、10円玉をいれて、手慣れた操作で電話をかける。
少しの間、コール音がなり、すぐに留守番電話システムに切り替わってしまった。
ゆっくりと受話器を戻し、
「やっぱりだめか…」
と小さく呟く。
あれから、いつ電話をかけても着信しない。
やっぱり、僕は捨てられたのかな。
そんなことは考えない。
そう決めて、病室に戻ろうとする。
ふと、院内を散歩しようと思った。
病室によって、静かだったり、賑やかだったり、様々。
「…先生」
「おんりー君、どうしてここに?」
「散歩しにきたんです、最近安静期間が長くって、ちょっと体を動かしたいなって」
「一緒に、着いて行ってもいい?」
「…はい」
余計な言葉は、特に交わさなかった。
先生の側にいるだけで、心が落ち着く。
「ずっと…」
「このまま生きていきたいな…」
「…そうだね」
先生は、深く触れない。
それが、心地よかった。
あの子のことを2ヶ月ほど忘れられていたのに。
「おらふ…すごい熱‼︎」
「貴方、救急車…呼んでちょうだい」
この辺りで、小児の医療に対応しているのは、兄が入院している病院のみ。
この子の為だから、今はそんなことを言っている場合ではない。
サイレンの音が遠くから微かに聞こえる。急いで様々な準備を始めた。
「急性白血病を患った、4歳の男の子が入院してきた。」
「名前は…」
その瞬間、僕は驚いて声が出なかった。
おんりーくんの、弟となる存在。
おらふくん。
高熱により、この病院に搬送され、診断結果は「急性白血病」。
兄は、1歳の時から入院生活を送り、15年経った今、退院の兆しは見えていない。
自分達の愛する弟が、憎んでいる兄と同じ道を歩む可能性が、否めない。
このことに、彼らの両親は泣き崩れたと後から知った。
「新しい入院患者?」
「名前はおらふっていうんだってよ〜」
「へぇ…おらふ…」
久々にプレイルームに赴き、僕よりも一回り小さい子達と話をする。
新しい患者は、救急車で搬送され、緊急で入院することになったらしい。
「今日から彼も面会やらなんか色々できるらしいぜ!」
「気になる〜‼︎」
「なぁ、みんなで会いにいこうぜ‼︎」
ひょんなことから、僕もそのチームに巻き込まれてしまった。
偶には、こういうのも悪くないな。そう思った。
静かに彼の病室の目の前まで歩いて行き、相手にわからないよう、わずかに引き戸を開ける。
「おかぁさん…おとぉさん…会いたいよ…」
真っ白な髪の毛、青い瞳。
まるで、絵本の中の王子様のような顔。
「…君たちはだぁれ?」
ぎくっ。みんながそういう動作をする。
僕は、彼に覗き見していることが知られても、何も恐れることがない。
だから、先陣を切って少年に話しかけた。
「僕はおんりー。君の名前は?」
「おらふ…」
みんながその後自己紹介をして、質問攻めが始まった。
おらふくんは、なんて返せば良いか分からずに、困っているような表情を浮かべていた。
ノックがされる。みんな慌てて静かになった。
ドズル先生が入ってくる。
「…失礼します、おらふくん、お母さんとお父さんがきたよ」
「君たちは…一度出て行って欲しいな」
「はーい…ごめんなさい」
みんな残念そうに、部屋を出ていく。
僕が最後で、後ろにいる夫婦をチラッと横目に見る。
その時、僕は 息を呑んだ。
「お母さん…お父さん…‼︎」
「おんりー…」
「なんで…お母さん達がここに…?」
お母さんは答えずに、つかつかと、横を過ぎて病室に入って行った。
お父さんは、申し訳なさそうに、お母さんに従うように、後をついて行った。
その瞬間、おらふくんの目がぱっと輝いた。
「おかーさん、おとーさん‼︎」
どういうこと?理解ができない。
「待ってよお母さん…お父さん…どういうこと?この子は何?」
誰も答えてくれない。
狭い病室の中で、
両親とおらふくん、僕、先生、ドアの隙間から覗く子供達。
僕だけが、独りぼっちで、味方が居ない気がした。
おんりー君と…おらふくんの両親は、おんりー君を無視して、おらふくんに話しかける。
「おらふ、体調はどう?」
おらふくんは、興味を持って、明るい子供の声で
「おかぁさん、おとぉさん、おんりー君はぼくのお兄さんなの?」
両親は、顔を少し顰めた。
「おにぃちゃんは、このびょーいんにすんでるの?」
彼の質問責めは止まらない。子供の好奇心は、時に大人の痛いところをつく。
「なんでそんなことを聞くの?それよりも…絵本でも読みましょう?」
彼らの両親は、必死に隠し事に触れさせないように、話を逸らそうとする。
「いーやーだぁ〜‼︎あのおにいちゃん、 おとーさんとおかーさんのこと、「おとうさん」、「おかあさん」ってよんだよ!」
「ねぇ、おんりーくんは、ぼくのおにいちゃん?」
彼らの母親は、絶望しきった顔で、その場にへなへなと座り込んだ。
そして、こちらをキッと睨みつけてくる。
「この子のために、これからはあの子を病室から絶対に出させないでください。」
「お母様、それは…」
思わず言葉を濁した。
「私達の大切な息子を、あの子に近づけたくないだけです‼︎この気持ち、わかります⁉︎」
「やめてよおかーさん、おんりー君は、そんなひどいこじゃない‼︎」
「その『おんりー』って呼ぶの、やめなさい‼︎」
雷が落ちるような怒鳴り声。
彼の大きな瞳から、大粒の涙が溢れた。
おんりー君は立ち上がり、おらふくんに駆け寄ろうとする。僕は咄嗟に、手を伸ばして阻止した。
「おらふくん‼︎」
おんりー君は、僕の静止を振り切り、泣き始めたおらふくんに近づこうとした。
その瞬間だった。
冷たく、乾いた音が病室に響き渡った。
彼の身体は、僅かな時間、宙に浮いた。
ゴンッ、と鈍い音が鳴る。
おんりー君が、叩かれて、突き飛ばされた。
おんりー君は、机の角に頭を強打した。
頭から、沢山血が出てくる。
「おらふくん…泣かないで…」
「僕のせいなんだ…おらふくんは…何も悪くないんだよ…」
わずかな涙が、頰を伝い、床に落ちた。
彼は、目を瞑った。
脈を測り、呼吸を確かめる。
幸い、脈と呼吸は安定していた。
PHSがやっと繋がった。
「オペ室空いてますか?」
「502で、16歳の男の子がテーブルの角に後頭部を強打し、広範囲の傷口から出血しています。RH +B型輸血用の血液パックも用意してください、あと担架もお願いします」
返答が来たのでPHSを切り、おんりー君の頭を彼の心臓よりも高い位置で支え、手にしていたハンカチで傷口を押さえる。
「傷が広範囲だな…」
周りにいた人達を離れさせて、待機する。
両親は目を見開いて、その場に立ちつくしている、というような感じだった。
おらふくんは、困惑して、ぼーっとしていた。
子供達は、プレイルームの方でざわざわとしている。
担架が大至急到着し、看護師の皆と協力して彼を慎重に担架に乗せる。
オペ室に緊急で運び込まれ、脳神経外科の先生とバトンタッチした。
「おかあさん…ひどい…おんりー君のこと…ぶって…おんりー君…血が出てた…」
静かに話すおらふ。
「おかあさんひどいひどいひどい…‼︎
「お友達は大切に」っていつもいってきてるのに…なんでおかあさんはひとをたいせつにできないの?ねぇ、ねぇ‼︎」
返す言葉が見つからない。
私は、息子を叩いた。手術だなんて…
子供の言う事なのに、何も言い返せない。
1ヶ月が経った今、彼はまだ目を覚まさない。
規則正しい電子音が鳴り響く、静かな病室。
しとしとと降り続け、窓を濡らす雨は、梅雨が明けたとは思えないほど、長く降っていた。
ここまで長く、彼が目を覚まさないのは初めてらしい。
「脳にダメージがなく、処置できたのが幸いでしたよ」
脳神経外科の先生は、両親にそう話した。
「おんりー君は、君の、本当のお兄ちゃんなの。」
「へぇ〜‼︎そうなんだ…おにいちゃん!はやくめをさまして、いっしょにあそぼう!」
おらふくんに、彼との血縁関係について、端的にでも話すことにした。
「…おにーちゃん、だあーいすきだよ‼︎」
それからも、この子は、毎日彼に声をかけ続けた。
この声は、彼に届いているのだろうか。
彼が意識を失ってから、3ヶ月。
僕は外来の診察を終わらせて、小児科病棟に戻る途中。
「せんせー!せんせぇ!」
小児科の廊下を、おらふくんが走ってきた。
「どうしたの?走ったら危ないよ」
「あのね!えっとぉ…」
「おにぃちゃんが、めをさましたよ‼︎」
「…すぐ行こう」
おらふくんを抱き上げて、小走りになる。
「せんせ、はしっちゃダメだよ‼︎」
「…そうだね、先生嬉しくなっちゃって、つい走っちゃった。」
おんりー君の病室に、ノックして入る。
「おんりー君‼︎」
「先生…」
「おにーちゃん‼︎」
「…お兄ちゃん、か…」
「…かわいいね…」
「えへへ〜!そうでしょぉ?」
僕は、少し複雑な気持ちで兄弟を見るしかなかった。
コメント
1件
泣きました! (´;ω;`)