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第二章 文化祭
翌朝。教室はいつもと変わらない喧騒に包まれていた。
ただ一つ違ったのは——瑠夏ちゃんが自分の席で落ち着きなくスマホを触っていたことだ。
普段は始業まで静かに本を読んでいる彼女が。
私が隣の席に座ると顔を上げ——すぐに逸らした。
わかりやすい。昨日の帰り道のことを意識しているのは明白だった。
しかし瑠夏ちゃんは何も言わないまま、ホームルームの時間になった。
「はい、連絡事項。来週の金曜、文化祭の実行委員を決めます。立候補、推薦、なんでもいいから考えておくように。」
文化祭。その単語が出た瞬間、教室内がざわついた。「誰と回る?」「やっぱ告るなら文化祭っしょ」
——そんな声があちこちから聞こえる。
瑠夏ちゃんが小声で、隣の席の私にだけ届くように言った。
「……文化祭、めんどくさい。」
「そうかな?楽しいよ!」
瑠夏ちゃんが頬杖をつく。
「……去年、後夜祭で告白されて断ったの覚えてる?あれ以来、文化祭って聞くだけで憂鬱。」
去年の後夜祭。校庭のキャンプファイヤーの前で公開告白された事件は伝説になっていた。
「高嶺の花」の伝説その一である。
ちらっと私を見て
「……ナナ、実行委員やれば。楽しいんでしょ。」
押し付けようとしているようでいて、その目は「一緒にやる人がいるなら話は別だけど」と言いたげだった。
「えー?瑠夏ちゃんと一緒にいれる時間が減っちゃうし…。」
「……なんで減るの。」
瑠夏ちゃんは本気でわかっていない顔だった。
「実行委員=忙しい=放課後に一緒できない」という論理が瑠夏ちゃんの頭の中で繋がるまで二秒かかった。
「……別に、減っても困らないけど。」
困ると言っているようなものだった。
シャーペンをカチカチと無意味にノックする癖が出ている。
「もう、私が困るの!」
かちカチと鳴っていたノックが止まった。
一拍の沈黙。それから瑠夏ちゃんはシャーペンを机に転がして、ふいっと窓側を向いた。
耳が赤い。
「……勝手に困ってれば。」
声が小さい。ほとんど吐息だった。
そのとき、後ろの席からひょいと顔を出した女子がいた。
「ねーねー瑠夏ちゃん、金曜の委員決めさ、私瑠夏ちゃん推すからね!絶対やってよ!」
「……は?なんで。」
「だって瑠夏ちゃんが委員長やったら絶対かっこいいじゃん!映えるし!」
出た。「容姿」から入る理由。
瑠夏ちゃんの目がすっと冷えたように見える。
「……興味ない。」
「えー、もったいない!」
「私が実行委員やろっかなー!」
「あ、いいね!ナナちゃん元気だし似合いそう!」
クラスメイトはあっさり矛先を変えた。「映え」要員は瑠夏ちゃんでなくてもいいらしい。
「……ふーん。」
瑠夏ちゃんの顔には明らかな不満が詰まっていた。
さっきまで自分に押しつけようとしていたくせに。
いざ私が立候補すると聞いた途端、面白くなさそうにペンを回している。
「……一人じゃ大変でしょ、あれ。」
それは心配なのか、それとも——。
瑠夏ちゃんが腕を組んで、ため息混じりに
「私もやる。……ナナ一人に任せたら滅茶苦茶になりそうだし。」
「本当!?嬉しい!」
「……喜びすぎ。仕事なんだからね。」
そう言いつつ、瑠夏ちゃんの口角が微かに上がっている。
クラスメイトが「えっ二人で!?最強じゃん!」と騒ぎ、周囲がにわかに盛り上がる。
金曜日を待たずして実質決定のような空気だった。
一ヶ月はあっという間だった。
放課後の準備、買い出し、企画会議――瑠夏ちゃんは文句を言いながらも一度もサボらなかった。
むしろ私より遅くまで残っている日もあった。
そして迎えた文化祭当日。
校内は朝から熱気に包まれていた。「メイド喫茶」の看板、手作りのアーチ、廊下に溢れる人混み。
私たちのクラスは縁日を企画し、射的やヨーヨー釣りが教室を埋め尽くしている。浴衣姿の生徒もちらほら。
私と瑠夏ちゃんは実行委員の腕章をつけて、入り口に立っている。
そんな中、問題がひとつあった。瑠夏ちゃんは何を着ても似合うということだ。
実行委員用の地味な腕章すら、まるでファッションの一部のように映える。
通りがかる他校の男子が何度も振り返り、「あの子誰」というひそひそ声が絶えなかった。
「……混んできたね。シフト、次ナナでしょ。行ってきな。」
「うん!頑張ってくる!」
ナナが受付に入った途端、客足がさらに増えた。
「ツインテの子かわいい」という声もちらほら。接客上手なナナはあっという間に人気者になっていた。
その様子を瑠夏は少し離れた場所から見ている。
瑠夏の表情がわずかに曇ったことに、ナナは気づかない。「かわいい」と言われるたびに笑顔を返すナナ。
男子客がやたら身を乗り出して話しかけている。
——別に、なんとも思わないはずだった。なのに腹の底がちりちりと焼けるような感覚がある。
「ねえ、MINE教えてよ。」
見知らぬ男子がナナにスマホを差し出していた。
「MINEですか?私、彼氏がいるので、ごめんね?」
男子客は「マジかよ」と肩を落として去っていった。
周囲の女子がきゃーきゃーと騒ぐ。「ナナちゃん彼氏いたの!?」「誰誰!?」
——もちろん、彼氏なんていない。私の常套句だ。「ごめんね」の笑顔は完璧で、嘘の影も形もなかった。
瑠夏は壁に背を預けたまま、一部始終を見ていた
彼氏がいる、と言ったナナ。なぜかそれが、すとんと胸の奥に落ちた。
「困る」でも「嫌だ」でもない。「すとん」と。まるでそこが最初から空いていた場所だったみたいに。
瑠夏は自分の心臓に手を当てて、小さく首を振った。
「……なに、これ。」
わからない。わかりたくない。
——でも、線路はもう切り替わってしまった。