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第三章
シフト交代の時間になった。
私と瑠夏ちゃんは裏の控室に引っ込んだ。段ボールが積まれた狭いスペースに二人分の椅子だけ置かれていた。
瑠夏ちゃんはパイプ椅子に座って、ペットボトルの水を開けている。
「……お疲れ。……さっきの。」
瑠夏ちゃんが水を一口飲んで、続けた。
「……彼氏いるって言ってたけど。本当?」
瑠夏ちゃんの声のトーンは平坦だった。
世間話の延長のような聞き方。なのにペンボトルを持つ指が白くなるほど力が入っていた。
「あぁ、あれ?本当は彼氏、いないんだ!」
「……だよね。知ってた。」
「知ってた」と言いながら、わざわざ確認しにきた矛盾にも瑠夏ちゃんは目を向けようとしない。
水のキャップを閉める。
「……ああいうの、あんまり言わないほうがいいよ。変な期待持たせるから。」
忠告のようでいて、「私にだけは本当のこと言って」という意味が透けているようだった。
「でも、好きな人はいるよ。」
瑠夏ちゃんの指が止まった。
段ボールに囲まれた小部屋。蛍光灯のじじ、という音がやけに大きく聞こえた。
「……誰。」
瑠夏ちゃんの瞳が私を真正面から捉えている。
「る、瑠夏ちゃん…//」
静寂が落ちた。水道の配管がきしむ音すら遠くなった。
「……知ってる。」
知っていた。ずっと知っていた。「大好き」と言われるたび、手をつなぐ距離、隣にいる時間。鈍感なふりをしていたのは、
——認めてしまったら壊れると思ったから。
瑠夏ちゃんは前かがみになって膝に肘をつき、組んだ手に額を押し当てた。
「私……おかしいの。ナナのこと考えると、ここが苦しくなる。でもこれが恋なのかわかんない。だって私――」
瑠夏ちゃんが顔を上げた。私を見つめる目は潤んでいた。
「……恋愛感情、ないはずなのに。」
「瑠夏ちゃんは女の子が好きなのかもしれないよ?」
「女の子が好き……。」
——それは今まで考えたこともなかった可能性だった。
男子に告白されても何も感じなかった理由、女子といても心が動かなかった理由。
それがもし——
「……でも私、女の子にときめいたことなんて一度も――」
言いかけて、止まった。脳裏に浮かんだのはナナだった。
初めて手が触れた日。
笑いかけてくれた瞬間。
さっきの「彼氏がいる」という発言で胸がざわついた、あの感覚。
唇を噛んで
「……ナナだけ、なの。こうなるの。」
二人とも黙った。狭い控室に呼吸音だけが満ちる。
廊下の向こうから文化祭の喧騒が聞こえてくるのが別世界のようだった。
意を決したように瑠夏ちゃんは顔を上げて、潤んだ目のまま、
「……確かめてもいい?」
震える手が伸びて、そっと私の頬に触れた。
指先は冷たかった。
瑠夏ちゃんの顔が近づく。
吐息がかかるほどの距離。
――確かめてもいい?
何を?
近い、瑠夏ちゃんとの距離が。
瑠夏ちゃんが親指で私の頬をなぞる。
「……嫌だったら、言って。」
そのまま、ゆっくりと顔を傾けた。
額と額がこつん、と触れる。鼻先が掠めて
——唇が重なった。
ぎこちなく、震えて、でも確かに。
数秒だったのか、もっと長かったのか。時間の感覚が溶けていた。
離れた瑠夏ちゃんの睫毛が濡れていた。泣いているわけではない。ただ、目の奥が熱かった。
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「……嫌じゃ、なかった?」
瑠夏ちゃんの私に聞いている声は掠れていた。
「………ぁ、ぁ、瑠夏ちゃんと、今…キス…//」
瑠夏ちゃんはコクリ、と小さく頷いた。
「……した。……キス、した。」
自分で言っておきながら耳まで真紅に染まっている。
瑠夏ちゃんは目を伏せて、まだ私の顔に添えたままの自分の手を見つめた。
「……嫌じゃなかったなら……もう一回、してもいい?」
「嫌じゃない……//」
瑠夏ちゃんの手が私の後頭部に回り、黒髪のツインテールの片方を指に絡ませながら引き寄せる。
二度目の唇は一度目より少し長く、少し深かった。角度を変えて、確かめるように。
廊下を誰かが走る足音。スピーカーから流れるバンド演奏。そんなものは全部遠い世界の出来事だった。
瑠夏ちゃんが離れて、額を私の肩に預けた。
「……心臓、うるさい。ナナにも聞こえるでしょ。」
その時、控え室のドアの外で足音がした。
「ナナちゃーん!次のお客さんめっちゃ並んでるんだけど――って、」
ドアを開けたクラスメイトの視界に飛び込んだのは、肩を寄せ合う二人の姿だった。「あっ」という顔。
「……お、お邪魔しましたァ!!」
バタン、とドアをものすごい勢いで閉めて、嵐のように去っていった。
瑠夏ちゃんが顔を上げずに
「……見られた。」
耳が限界まで赤いくせに離れようとしない。なのに私を抱える腕にほんの少し力がこもった。
「……戻りたくない、ここから。」
「私もだよ…//」
私はぎゅっ、と瑠夏ちゃんが抱える腕に同じように少し力をこめた。
「……サボろっか。実行委員だけど。」
瑠夏ちゃんのそれは冗談とも本気ともつかない声。でもレイの声には今まで聞いたことのない甘さが滲んでいた。
そのとき、スピーカーから放送が流れた。
「文化祭実行委員、天宮瑠夏さん、至急本部テントまでお越しください。繰り返します――」
瑠夏ちゃんが舌打ちをする。
「……最悪のタイミング。」
それでも私から離れた瞬間、指先が名残惜しそうにツインテールを滑り落ちていった。
瑠夏ちゃんが腕章を直しながら、ドアに向かった。
「……十分で戻る。ここにいて。どこにも行かないで。」
「うん!約束、ね!」