コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
粉挽慈心と丑蟇天鬼
「俺は丑蟇天鬼うしひきてんき、故あって草壁監物殿に加勢致す」
三間の間合いを取って天鬼が名乗った。
「儂は粉挽慈心こなびきじしん、黒霧志麻の介添じゃ」
「あんたの名前は知っている」
「ほう、それは光栄じゃな」
「先々代将軍の浜御殿での鷹狩りの折、幕府転覆を狙った奸賊を十数人討ち果たしたとか」
「大袈裟じゃ、儂が斬ったのは八人に過ぎぬ」
「それは自慢か?まぁ良い、しかし先代の将軍に諫言かんげんに及び逆鱗に触れ失脚したとか、いやはや驕おごれる者は久しからずとはこの事よ」
「諫言は家臣たる者の重要な務め、それによって処されようと武士の本望じゃ」
「ならばなぜ江戸に舞い戻った?」
「儂は江戸で生まれて江戸で育った、死ぬ時も江戸で死のうと思ってな」
「今日その望みが果たされると言うわけだ」
「叶うならば」
「叶えてやるさ」
「期待しておるぞ」
「抜け」
「いや、このままで良い」
「おっと、忘れておったわ、あんたは居合の達人だったな」
「いかにも」
「ならば遠慮なく抜かせてもらう」
天鬼が三尺近い剛刀を引き抜いた。
「ほ、同田貫か?頑丈そうじゃの」
「骨まで断ち斬れるぜ」
天鬼が剣尖を真っ直ぐ天に向け、鍔元を頬に付けると地を蹴った。一気に間合いが縮まった。
エヤー!鉞まさかりのような剛刀を振り下ろす。
慈心は未だ鯉口を切っていない。左手を刀に添えたまま右へ飛ぶ。
天鬼の剣が唸りを上げて傍らを過ぎていった。
慈心は振り返ると同時に鯉口を切り、刃を返して下から掬い上げるように抜刀した。
並の相手ならここで股下から顎まで斬り割られて勝負は決していただろう。
しかし、天鬼の対応は早かった。己の剣が届かぬと知るや、身を翻して飛び退いた。
互いの剣が空を切り、天鬼は正眼に構えを変え、慈心の剣は鞘に戻った。
「やるのぅ・・・」
「当たり前だ、俺を誰だと思っている」
「ただの鼠じゃなさそうじゃ」
「ほざけ!」
再び天鬼が間合いを詰めた。慈心は膝を折って片膝をつくと横薙ぎに天鬼の脛を払う。
瞬間、天鬼が地を蹴って跳躍した。慈心の剣が虚しく地を払う。
剣が落ちてきた。あっ、と叫んで下から跳ね上げた瞬間、同田貫が慈心の剣を鍔元から叩き折った。
折れた剣を天鬼に投げつけて慈心が間合いを切った。
「一刀斎、おじいちゃん苦戦してる!」志麻が心配そうに一刀斎の袖そでを握った。
「心配ねぇ、爺さんの真骨頂はこれからだ」
「え?」
「まぁ見ていろ」
「粉挽慈心、勝負あったな」天鬼が剣尖を慈心に向けた。
「まだじゃ、まだ終わってはおらん」
「刀を無くしてどうやって俺に勝つつもりだ?」
「まだ、これがある」
慈心はスラリと小太刀を抜いた。
「そんな小刀が何になる?」
「実を言うと、儂の得意は小太刀なんじゃよ」
「なに、そんなハッタリには騙されんぞ」
「試してみるか?」
「言うには及ばぬ!」
天鬼が歩み足で間合いを詰めた。
慈心は右足を前に出して半身に構え、片手で小太刀の切先を天鬼に向けた。
その途端天鬼の足が止まる。
「う、うぬ・・・」
小太刀の切先が蛇のように天鬼の喉笛を狙っている。
前に出ようと試みるが、躰が言う事を聞かない。危険を感じて拒絶している。
背中に冷たい汗が流れ落ちた。
「どうじゃ、出てこれまい?」
「な、何をした・・・」
「何もしちゃおらんよ、気を剣尖に込めただけじゃ」
「うぬぬ・・・」
「どうじゃ、剣尖が少し大きくなっておらぬか?」
「なに?」
「良ぉく見てみろ、だんだん剣尖が大きくなる」
天鬼は我が目を疑った。慈心の言うように小太刀の切先が膨れ上がって迫ってくる。
目を逸らそうと思えば思うほど、視線が吸い寄せられて行く。
剣の向こうの慈心の姿が遠のいて、やがて剣に隠れて見えなくなった。
「よ、妖術使いめ!」
「妖術では無い、お主の気が儂の気に呑み込まれておるのじゃよ」
「お、おのれっ!」歯噛みしたがどうにもならない。
と、目の前から剣が消え慈心の姿がハッキリ見えた。
「今だ!」
天鬼は吸い込まれるように斬り込んで行った。血を噴いて真っ二つになった慈心を見た。
「勝った!」
覚えているのはそこまでだった。後は闇が天鬼を包み込んだ。
慈心は小太刀についた血のりを懐紙で拭き取ると、呆気に取られている監物の弟子達に向かって言った。
「誰か医者に運んでやれ、今ならまだ間に合う」