放たれた剛剣は、月光により光輝を放つと、全てを薙ぎ払わんとするかの如く、怒りの衝撃波が天空を劈く。命を懸けたヴェインの渾身の一撃は、霆《いかずち》を孕み、一瞬で巨大な爪を木っ端微塵に粉砕した。
―――ギュアァァァァ
「渡し賃――― 確かに贈ったぜジン…… 」
大量の液体が化け物の腕から吹き上がり幽闇《ゆうあん》の空を汚す。化け物自体に痛覚が存在する可能性を示唆する絶叫とも思える叫び声は、大気を揺るがす程に辺り一面を震撼させた。
ヴェインは更に心を奮い立たせ、追撃を仕掛けようと剣を構えた時だった、突如として目の前の映像が歪み、毒針に侵された身体は激しい眩暈に膝をつく。
剣を支えに立ち上がろうと試みるも、亡者達が足に纏わり憑き、僅かな一歩が踏み出せない。既に残された力を全て使い果たした肉体は、最早精神力だけでは願い叶わず、とうとう両手を地に突いた。
「くっ‼ クソがぁ――― 」
残酷な物語は終わりを告げる事は無く、地獄への参道へと手招く様にヴェインを漆黒の溟渤《めいぼつ》へと誘《いざな》う―――
溢れる無念が感情を弄《まさぐ》り、後悔は覚悟の上に捨てて来た事を自分に言い聞かせると、視界がブツリと暗転し意識が途切れ、大きな身体は力無く地に沈んだ。
「マジンさまのおともだちがやられたのれすっ」
ギアラは動揺を隠せず焦燥《しょうそう》すると、この状況を冷静に傍観していた見えない存在が呟いた……
「まぁ人族《ゴミ》にしては良くやったほうネ。だけど塵芥共《ちりあくたども》が幾ら頑張ったって土台無理な話なのョ。あれは理《ことわり》が違う者が混じってるッ。この人界には有ってはならない存在ネ。誰が創ったか知らないけどッ、これはきっと大戦の引き金になるわョ。さぁそれでアンタはどうするッ? 此処で塵達と一緒に朽ちて行くのッ? それとも…… 」
巨大な鋏脚《けんきゃく》が今正にヴェイン目掛け天から振り下ろされようとする中、何かがヴェインの襟首を乱暴に引きずると、勢いよく林の中へと屈強な男を赤子同然にブン投げた。
―――ブモォォォォォ
「へぇ――― それがアンタの答えなのねッ」
それはヴェインを守る為か、若しくは「お前は邪魔だ」と謂わんとする行為なのかは定かでは無い。然しそこには確かな個の意思が存在したかに見えた。
―――淀みが交差したと同時に
互いが静かに土を巻き上げ―――
―――最終決戦の火蓋は今、静寂の元に切られた―――
撃ち放たれた波動と伴《とも》に右往左往と身体を揺らしマルチャドが脅威を越えて行く。その見た目からは想像を絶する程の俊敏な動きは、音速を纏い闇を切り裂いた。狙いが定まらない化け物の残された鋏脚《けんきゃく》は、空を切り、土を派手に抉《えぐ》り飛ばす。
―――化け物 対 猛獣
対峙した者同士は人に非ず―――
強さの象徴である二つの張り出した角が、擦違様《すれちがいざま》に化け物の脚に轟音を靡《なび》かせ衝撃を与えて行く。繰り返す程に衝撃は小さな亀裂を生むと、軈《やが》て大きな急所となる。
大気を揺るがす振動は蝙蝠達を寝床から目覚めさせ、夜空へと一斉に追い遣《やっ》った。一撃を与える度に発せられる衝撃波の度に、音に踊らされた蝙蝠達は、幾度、進むべき方向を変えさせられる。その姿はまるで大海原を渡る波の様に月影に模様を刻む―――
軈て激しい衝突に耐え切れなくなった歩脚《ほきゃく》の一本が、胴体から捥《も》げると高く打ち上る。激しく回転し乍ら落下すると、地表に突き刺さり辺りをドガンと大きく揺らした。
ギュボアァァァァ―――
―――ブモオォォォォ
ガクリと弱さを見せる化け物に対し、冷静な判断こそが勝利を繋ぐものと信じて来たマルチャドは誘いには乗らない。微動だにしないその姿は既に敵の次の一手を警戒していた。
―――その心得の通りに現実は実体化する事となる。
化け物はノシリと二本の歩脚《ほきゃく》を失った均整のとれない巨体をゆっくりと擡《もた》げると、残された片腕を大きく上げ、巨体全体を嫩緑《どんりょく》に染まった透明な球体で包む―――
その姿に見えない存在は思わず声を上げた。
「なっ――― 此奴《こいつ》‼ 神癒《しんゆ》を使えるのかッ? 馬鹿なッ」
「ハッ⁉ しんゆってマホウなのきゃ? 」
「イヤッ、どうやらアレは魔法ではないみたいネ。神癒《しんゆ》は神々の恩恵であり癒しの事ッ。御陰《みかげ》とも呼ばれ、化け物如きが扱える訳が無いッ。きっと回復の術式をあの球体に組み込んだ単体の魔術…… 」
―――それにしても……
厄介ねッ―――
欠損した部位の再生には至らなくとも、負傷した箇所からは体液の噴出は留まりを見せ、罅割《ひびわ》れた甲羅の一部にも修復の兆しが垣間見えた。
「恐らく傷だけでは無くッ 体力も多少復活って所かもネ」
マルチャドの息は上がり、月灯りには蒸気に包まれた漆黒の身体が照らされた。短時間で猛追を仕掛け続けた代償が、此処に来てマルチャドにも重く伸し掛かる。
そしてこれはまた、只の序章であり、更にその場に居合わせた者達の目を疑う光景が広がった。
突如、化け物の斜め上方に四つの魔法陣らしき物が空中に浮かび上がり、今迄この闘いに主力として使用していなかった、外骨格に覆われた4本の長過ぎる人の手の様な物を円陣の中に突っ込む。其々が武器をその手に携《たずさ》え露わにすると、大きくソレを誇示するように掲げて見せた。
ギュボアァァァァ―――
「なッ――― 」
見えない存在は困惑すると、
「インチキなのですっ」
ギアラは毛を逆立て憤怒《ふんど》した。
大木よりも太い大型の大剣。そして巨大な薄汚れたハルバートと、三つめの手には、砦の壁さえ一撃で破壊出来そうな鉄槌を持ち、棘の付いた大型の見た事も無い鋼鉄の盾を持って居る。其々の武器が既に多くの者達の命を奪ってきたであろう血痕が、ドス黒くこびり付き、僅かな輝きさえも血色に染まり変わっていた。
回復の術式により膂力《りょりょく》を取り戻したであろう化け物が、一度に三つの武器を振り下ろす。堪らずマルチャドは距離を取るが畝《うね》る大地に跳ね上がる石畳が、更に追い打ちを掛け視界を塞いでしまう。
危険を本能で感じ取り、迫る恐怖を掻い潜ろうと策を講じた時だった、一瞬の隙を突かれ、瞬く間に間合いを奪われると、巨大な盾がマルチャドを甚《いと》も簡単に弾いて見せた。
幾重にも地面に叩きつけられると、巨大な牛は横たわったままビクビクと痙攣を起こし口から泡を吹く。正に、去るも地獄、残るも地獄。どこにも光明が見出だせない状況の中で、虚ろな瞳を化け物へと向けた時だった。小さな光がマルチャドの周りをフワフワと飛び回り、何かを諭す様に語り出した。
「ソンナ身体じゃ勝てるもんも勝てないねッ」
マルチャドは虚ろな瞳を初めて光に合わす……
「何だ…… フィッ追随者《フィルギャ》だと⁉ 」
「そうだろ? 四獣牙爪《しじゅうそうが》の1人 アステリオス。アンタこんな所で一体何をしてるんだいッ」
すると突然何かがシュタタと迫り瞳を掠める―――
「やっとスガタをあらわしたれすっ もうにがさないのれすっ」
黒い影がブンブンと小さな光に向けてネコパンチを繰り出すと慌てた小さな光は堪らずに空に距離を取る。
「ちょッ⁉ 今は大事な大人の話をしてるんだからッ アンタは少しは大人しくしてなさいョ」
「いっせいいちだいのっ だいチャンスなのですっ」
「おっ――― お前はまさかっ…… 坊か⁉ 」
アステリオスと呼ばれた牛は思わず声を漏らした。
「んにゃぁ? 」
「チャンスなのはッ ホラッ あちらさんだって同じみたいョ」
グギャァァァァァ―――
怪訝な顔をした猫が振り返り言葉を吐き捨てた―――
「ウシがしゃべってるれす…… 」
幾重にも重なり合ひし邂逅は、今や止まりし時を巻き戻し、新たなる刻を紡ぎ出《い》だす。導く者と仰がれし存在は、果たして敵や味方や。妖しげなる夜天の征服者は、黝《くろ》の羽音を遺し、月影に不穏の波紋を描き消えぬ。
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