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中学の入試テストを受けた翌日の2月2日。
合格発表当日だ。
「お母さん……」
宮泉学園の校門が見えて来くると、美幸は不安気な顔で沙羅の腕にしがみついた。
「どんな結果になっても、勉強を頑張った事実は美幸の力になっているはずよ。きっと、大丈夫だから自信を持って!」
「うん……」
親の離婚で、美幸にとって辛い一年だったと思う。
家の中で落ち着かず、環境が変わりゴタゴタが続いた。
もしも、試験結果が不合格だったなら、美幸のせいではなく、親である自分が原因だと沙羅は切ない思いで美幸を見つめていた。
校門の前では塾の先生が寒い中、応援に来て声掛けをしてくれる。
先生の鼻の頭が赤くなっていて、ずいぶん早い時間から待機してくれていたのだ。
美幸を見守り、応援してくれている人のためにも良い結果である事を祈りながら門をくぐった。
まだ発表時間前だと言うのに、掲示板の前には人だかりが出来ている。
冬晴れの空の下、発表までの時間。白い息を吐きながら体を小刻みに揺らしていた。それが、寒くて揺らしているのか、落ち着かない気持ちで揺れているのか。
おそらく、両方なのだろう。
時間になると、掲示板に合格者番号が書かれた模造紙が張り出され、人の波が動く。
いよいよ緊張で、心臓がギュッと痛む。
美幸の受験票に書かれた番号をつぶやきながら、掲示板の数字を追いかけた。
目当ての番号を見つけた瞬間、興奮気味に声が上がる。
「あっ、あった。158番。美幸あったよ」
「うん、あった。やったぁ!!」
美幸の笑顔を見た沙羅の瞳には、涙が浮かんできた。
「美幸……頑張ったもんね。すごい頑張ったもんね。お母さん、迷惑ばかりかけてごめんね。ありがとうね」
「お母さん、こういう時は、おめでとうって言って!」
「美幸、おめでとう。美幸の頑張りが認められて嬉しいよ」
「うん、ありがとう!」
「事務所に行かなきゃ!」
それは、もちろん合格通知と入学手続き書類をもらうためだ。
事務所の前には、既に行列が出来ている。後ろについて並んで居てもなんだかソワソワ落ち着かない。
「お母さん、紀美子さんに報告のメッセージを送るね」
「そうね。きっと心配しているだろうから、早く教えてあげた方がいいわね。それと、お父さんにもメッセージを送ってあげて。合格しましたの一言でもいいから」
政志には、入学金を用意してもらった。
父親なら娘の入学金を支払うのは当然のような気がするが、離婚した後に養育費を取り決めたにも関わらず、支払いをしない父親も多いと聞く。
父親として政志は美幸に対して誠実に対応していると思う。
「はぁい」
気の乗らない返事をして、美幸はポチポチとスマホにメッセージを打ち込み始めた。
前の人が学校名の入ったクリームグリーンの封筒を受け取るといよいよ美幸の番だ。事務所の窓口で事務員さんに「お願いします」と受験票を差し出した。
「えーと、受験番号158番の藤井美幸さんですね。合格おめでとうございます」
「ありがとうございます」
合格通知とクリームグリーンの封筒が渡された。
合格通知を受け取り、ジワジワと実感が湧いてくる。
喜びを抑えきれない美幸は満面の笑みを沙羅に向けた。そして、見当違いの事を言う。
「まだ、藤井さんって呼ばれるの慣れないなぁ」
緊張が解けた沙羅はクスッと笑った。
「そうね、ずっと佐藤だったものね」
冬休み期間に藤井と美幸と沙羅の三人でたくさん話し合い、藤井紀美子と佐藤沙羅は養子縁組の手続きをしたのだ。
そして、美幸の中学入学前に手続きをした方が、入学してから苗字が変わるより良いとの結論で年明けには、藤井姓を名乗る運びとなったのだ。
ちなみに小学校には事情を説明して、普段は佐藤姓を使わせてもらっている。
「あっ、メッセージの返事が来た!」
美幸がニヤニヤしながらスマホの画面を向けた。
『美幸ちゃん、合格おめでとうございます』の文字。
その後に続く文字を見て沙羅は自分の目を疑った。
『約束の金沢旅行のチケットプレゼントします。お母さんと相談して日にちを知らせてください』
スマホの画面を見つめたまま、パクパクと口を動かす沙羅に、美幸はエヘヘといたずらっ子のように笑う。
「お母さんにはナイショで、お兄さんと友達登録していたの。時々、メッセージを送っていて、金沢に行きたいって言ったら合格したら旅行のチケットくれるって、お兄さんが誘ってくれたんだ。だから、やる気スイッチ入ったもんね」
美幸が慶太とメッセージのやり取りしていたのは沙羅には初耳だった。
そういえば、藤井とも美幸は、いつの間にかSNSで繋がっていて、仲良くなっていたのを沙羅は思い出した。
「美幸のコミュ力、お母さんにも分けて欲しいわ」
「エヘヘ、旅行楽しみだねー。いつ行くの?」
本当は、直ぐにでも慶太の元へ飛んで行きたい沙羅だったが、現実的に考えるとやる事がいっぱいあって難しい。
「うーん、学校の入学説明会や制服の注文とかで、2月は忙しいかな?小学校の卒業式が終わったら、時間が取れるはず」
「えーっ!受験終わったのにまだやる事あるの?」
「あこがれの中学に通う準備をしないとね」
「そっか。でも終わったぁ。受かったんだ」
「そうね。受かったんだよね。おめでとう美幸。受験おつかれさまでした」
◇ ◇
美幸の小学校の卒業式が終わった3月半ば、沙羅と美幸は機上の人となった。
慶太が手配してくれた羽田発、小松空港行の飛行機。前方の左側の席は富士山が真上から見やすいオススメポイント。
初春の少し冷たく澄んだ空気が、景色を鮮明させていた。
羽田空港を飛び立って、約10分。窓から見える富士山は雪化粧が施され、気高く雄大だ。
「わー、すごい!」
「富士山、キレイ」
凄すぎると語彙力ゼロの感想しか出てこない。その先にある北アルプス乗鞍岳を見ても「すごい」の連発だ。
約1時間の楽しい飛行機の旅は、名峰を上から見るという非日常の体験に興奮しているうちに、あっという間の感覚で小松空港に到着した。
北陸の空の玄関、小松空港では富山のお土産も売っている。白エビふりかけに後ろ髪をひかれながらプラットホームに出ると、濃紺のセダンが沙羅たちを待っていた。その持ち主の慶太はデニムにハイネックの色は黒で統一し、上にグレーのトールカーディガンを羽織り、遠くからでも目を引く存在だ。
その姿を見つけるなり、美幸は駆け寄る。
「お兄さん! 飛行機楽しかったです。旅行のプレゼントありがとうございます」
「美幸ちゃん、久しぶり。受験おつかれさまでした。合格おめでとう。美幸ちゃんのお祝いだから、たくさん楽しい事をしよう」
「やったぁ!」
「慶太、招待してくれてありがとう」
「いや、金沢に来てくれて嬉しいよ。どこから行く?」
「両親のお墓に……美幸を会わせてあげたくて」
「じゃあ、花屋さんに寄ってからだね」
小松空港から北陸自動車道に入ると景色が広がる。日本海の輝く水面を眺めながら美幸は感嘆の声を上げた。
「わー、海がキラキラしていてきれい。ひろーい」
「日本海は海の幸が豊富で、何を食べても美味しいわよ。ブリ、のどくろ、ハタハタ、カレイにホウボウ。お夕飯が楽しみね」
「あはは、お母さんは食いしん坊だー」
「もう、憎まれ口言って! 美幸だってカレー屋さんに行きたいって言っていたじゃない」
「だって、日本一カレー屋さんが多いってどんな感じなのか気になるー」
賑やかな車内、ハンドルを握る慶太の頬も緩む。
前回、沙羅とこの道を通った時は、刻々と近づく別れを前に言葉も交わせずにいた。
それが今では、ふたりの明るい声を聞きながら、故郷へ向かっている。
金沢西ICを通り、市内に入る。
坂を上り、暫く道なりに走ると、車はウインカーを立て、細い脇道へと曲がった。安慧寺の門前を通り過ぎ、砂利の敷かれた駐車場に停まる。
途中で買ったカサブランカの花束を抱え、沙羅は車から降りた。
「いい香りのお花だね」
「カサブランカはね。美幸のおじいちゃんとおばあちゃんが大好きなお花なの」
沙羅の言葉に慶太が優しく目を細める。
「前に来た時もカサブランカだったね」
「うん、カサブランカは両親との思い出がある花だから」
そう言って、安慧寺の重厚な佇まいの門をくぐる。
両親が眠る墓石へ辿り着き、三人で綺麗に掃除をした。そして、カサブランカの花を供え、手を合わせる。
夏に来た時は、この先の未来が見えない状態で、縋るような気持ちで手を合わせた。けれど、いまは穏やかな気持ちだ。
「娘の美幸です。今度、中学生になるんですよ。頑張り屋さんのすごく良い子です」
「おじいちゃん、おばあちゃん、はじめまして、中学受験頑張りました。合格のお祝いで金沢に来れたのが、とてもうれしいです」
美幸は手を合わせた後、慶太へ顔を向けた。
そして、ニカッと笑う。
慶太がふわりと微笑み返し、美幸の頭をクシャリと撫でる。
「美幸ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃん。きっと、おめでとう、良かったね。って言ってるよ」
もしも、あの時ここに来ていなかったら……慶太と再会できていただろうか。
そう思うと、もしかしたら両親が心配して、慶太と引き合わせてくれたのかもしれないと、沙羅は思った。
柔らかな太陽の光が降り注ぎ、花の香りを運ぶ春の風が頬を撫でていく。
「俺も沙羅のご両親に挨拶させて」
沙羅がうなずくと、慶太はお墓に手を合わせ、静かに目を閉じた。
小鳥のさえずりが聞こえ、穏やかな時が流れる。
しばらくの間、手を合わせていた慶太が顔を上げた。
「おまたせ、行こうか」
歩き始めた慶太の服の端を美幸がそっと掴む。
「ねえ、お兄さん。おじいちゃんおばあちゃんに何をお話していたの?」
美幸の問い掛けに慶太は優しく微笑んだ。そして、ナイショだよという風に人差し指を口に寄せる。
「えーっ、なんで、教えてくれてもいいじゃん。お兄さんのケチ!」
好奇心旺盛な美幸の攻撃に、慶太は、まいったなという風に眉尻をさげた。
「美幸、わがまま言って、困らせないの」
「だってー」
「美幸ちゃんには、後で教えるよ」
その一言で、美幸は、ぱぁっと顔を輝かせる。
「ホント⁉」
「本当」
「やったぁ。約束だからね」
と言って、美幸は跳ねるように前を歩き出した。
普段、あまり我が儘を言わない美幸の振る舞いに、沙羅は戸惑ってしまう。
「慶太、美幸が我が儘言って、ごめんね」
「いや、我が儘でも何でも言って、甘えてくれるならうれしいよ。それに、沙羅にも聞いてもらいたい」
「うん、実は私もちょっと気になっていたの」
そう言って、沙羅はふふっと笑う。
ふたりの少し前を歩いていた美幸が振り返った。
「この後、美術館に行くんでしょう?」
◇
金沢21世紀美術館のガラス張りの建物。その周りは、広い緑の芝生が敷かれている。広い芝生の上には屋外の展示物が常設され無料で芸術に触れられる。
美幸は『まる』を見つけ駆けだしていく。
「わー、モコモコしたヘンなのがある。見て来ていい?」
「ここに居るから、見て来ていいわよ」
「はぁい、すぐ戻りまーす」
芝生の上を元気に駆けていく美幸の背中を見送った沙羅は、隣に居る慶太の顔を見上げた。
「また、ここに慶太と来れるなんて思わなかった」
夏に来た時に、慶太に告白されて金沢に居る間だけの恋人だと、沙羅が慶太に告げたのだ。
「そうだな、告白した瞬間、失恋決定だった俺としては感慨深いよ」
と、慶太に言われ、沙羅は焦って言い訳をした。
「あの時は、離婚したばかりで、気持ちに全然余裕がなくて……それに、バツイチ子持ちの私とでは、慶太と付き合うのにつり合いが取れないと思って」
「うん、沙羅が東京に戻って、美幸ちゃんのために生きるって決めていたのは知ってる。その沙羅を忘れられずに追いかけて、再会のチャンスを作ったんだ」
「慶太に再会できて良かった。追いかけてくれてありがとう。おかげで、いま幸せだわ」
沙羅は、嬉しそうに微笑んだ。
慶太は眩しそうに目を細める。
「沙羅のもっと近い存在になりたいって言ったら困らせるかな?」
「えっ⁉」
続きの言葉が聞きたくて、沙羅は慶太を見つめた。
期待が膨らみトクトクと心臓が早く動き始める。
すると、美幸の声がふたりの間に飛び込んでくる。
「お母さーん、モコモコしたの。鏡みたいに景色が映って面白かったー」
その声に沙羅はハッとして慶太から視線を外し、赤く火照った頬を隠すように両手を添える。
傍まで来た美幸が不思議そうに首をかしげた。
「お母さん、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
誤魔化したつもりだが、恥ずかしさも相まって、沙羅の頬はますます赤く染まる。
すると、慶太が助け船をだすように、ゆっくりと話し出した。
「さっき、お墓にお参りした時に、美幸ちゃんのおじいちゃんおばあちゃんにお願いしていた事聞きたい?」
「うん」
美幸は好奇心旺盛な目をキラキラとさせて、大きくうなずいた。
沙羅へ顔を向けた慶太は、心配ないよという風に甘やかに微笑む。
そして、少し屈んで美幸に視線を合わせた。
「美幸ちゃんのお母さんと結婚させてくださいって、お願いしていたんだ」
慶太の言葉に、沙羅は驚きで目を丸くして、言葉もでない。
その横で美幸は、慶太に疑問を投げかける。
「それで、おじいちゃんおばあちゃんは、なんて言っていたの?」
「さあ、なんて言っていたと思う?」
「エヘヘ。きっと、”お母さんを幸せにしてください、よろしく”って、言っていたんじゃないかな?」
そう言って、美幸は顔をくしゃくしゃにして笑い、沙羅にギュッと抱きついた。
その温かさに、沙羅は胸の奥から熱いものがこみ上げて、涙で景色が滲む。
「沙羅、この先なにがあっても、沙羅を裏切らない。大切にする」
真摯な言葉に涙が溢れ出す。沙羅は、わななく口元を両手で押さえながら、何度もうなずいた。
「沙羅、結婚しよう」
慶太は、沙羅の手を取り、その左手の薬指に指輪をはめた。
それは、胸元に輝くダイヤモンドと同じブランド。
プラチナの台にブリリアント カット ダイヤモンドが煌めいている。
「うれ……しい。慶太……ありがとう」
涙でぐちゃぐちゃになった沙羅の顔を、慶太の指がそっと涙を拭う。
「わー、お母さん、すごいキレイ」
「美幸……ありがとう」
多感な時期に母親の再婚は、きっと子供なりの心の葛藤があったに違いない。
母親の幸せを思って、美幸は結婚を認めてくれたのだ。
もしも、美幸が反対したなら、きっと結婚をあきらめただろう。
「お母さんがお兄さんと結婚するって事は、お兄さんが、わたしのお父さんになるの?」
「急に”お父さん”だよって、言われたら誰だって戸惑うと思う。美幸ちゃんとは、”家族”になれたならと思っている。呼びにくければ、お兄さんのままでいいよ」
「うん、それじゃあ、このままお兄さんで。後、お兄さんの苗字は、高良だったと思うけど、わたしも高良になるの?」
美幸の心配は尤もだ。母親の結婚イコール相手の苗字へ変更するのが、自然な流れ。
でも、慶太の導き出した答えは違った。
「美幸ちゃんが同じ苗字になってくれるなら嬉しいよ。でも、美幸ちゃんが今のままの藤井の苗字が良ければ、無理に変えなくてもいいんだ」
「うーん、紀美子さんと同じ苗字なったばかりだから、また変わるのはなぁ」
「ゆっくり考えてから決めていいよ。美幸ちゃんが、どちらを選んでもお母さんと親子である事は変わらないし、俺も美幸ちゃんの事は自分の子供だと思って、大切にすると誓う」
「もう少し考えてから決めていいの?」
「もちろん、美幸ちゃんが大人になってからでもいいよ」
「えー、それだと、わたしも結婚するかも知れないのに遅すぎるー」
あはは、と笑い声が上がる。
うららかな風が吹く。
春の温かな日差しを浴びながら、高校の頃に立ち寄ったこの場所で家族になる約束をした。
そう、心でつながった家族になる。
きっと、幸せになる。
「スイミング・プールの予約時間だよね。行こうよ」
笑顔の美幸が、少し前を歩きだした。
隣を歩く慶太が沙羅に顔を寄せると、爽やかな香水の香りが近づいた。
そして、耳元で囁く。
「沙羅、愛してる」
【終わり】