明かり1つもない暗い部屋で、ミイラのように音も立てず、布団に包まっていた。
1つの部屋に何十年も閉じ込もり、畳から湧いてくる湿気で、自分自身に黴が生えることを望む気分で生きていた。
時には世間のしきたりの中に首まで浸っているのを無反省に暮らした日もあった。
時には罪悪感や劣等感で枕を濡らし、嘔吐した日もあった。
そんな私でも自我を保てていたのは、きっと…
ススッ。
慣れない襖を開ける音が聞こえた。静かすぎるそこでは、床と襖が擦れる音がよく目立つ。チカッ。と前触れもなく空いた襖の隙間から漏れる光が眩しくて、手で目を覆いながら、恐る恐る懐かしい外に薄目で視線を向けた。
あ、中国さん。
見慣れた姿に、薄目だった自分の目は、いつの間にか見開いていた。
優しい笑顔で私と目を合わせる彼。目が合うなり、彼の表情はもっと柔らかくなる。
「お邪魔するね」
少ない昔の記憶にその声は反応した。落ち着いた温かい彼の声が心地良い。彼は手に持っていた火付きのロウソクを手に持ちながら、換気もしていない湿った部屋に足を踏み入れた。ゆっくり襖を締め、ロウソクを机に置くなり、私の前に腰を下ろす。
なんで来たのか。
なんでここにいるのか。
どうやって来れたのか。
そんな疑問が頭にあるのに、1番優先したのは寂しさという感情だった。
「……会いたかったです、」
「あいやー、見ないうちに随分甘えん坊になったあるな」
「日本がちっちゃかった時の事思い出すね」
「私もです」
布団を深く被りながら、微かにロウソクの明かりで照らされた彼の顔を見ながら喋った。大阪さん以外の人と目を合わせたのは何十年ぶりだろう。普通ならキョドって目も合わせられないし、舌もなくなっていたはずだろうに。昔の思い入れが深い彼だからこそ、そうはならなかった。
「でも、どうして来れたんですか?今はオランダさんとしか会わせないよう皆さんに言ったのですが…」
「昔の好ある。彼奴等もお前が我に世話になったことぐらい知ってたある。てか我と会うのそんな嫌やったあるか?」
「い、いえ!決してそのようなことは…」
「ただ、貴方が私のことを、気にしてくれるとは思っていなかったもので…」
近頃オランダさんとしか外交の交流はしていかったから、勝手に決めつけていた。皆私のことなど気にも留めていないのだと。イギリスさんやポルトガルさん、スペインさんも出禁にしてしまいましたし…。こんな引きこもり、きっともう外交との関わりはオランダさんだけなのだと覚悟していた自分が恥ずかしくなる。
「何あるかそれ。我は日本のこと一回も忘れた憶えはないある」
「流石にそれは嘘でしょう」
「嘘じゃねぇある」
大袈裟な発言に口角が上がった。
「そういえばここムシムシするね。換気していいあるか?」
「だ、駄目です!私今、太陽に当たったら溶けちゃう体質になってるんです、!」
「あいや、そんな長いことここに居たあるか?駄目あるよ。ちゃんと日光に当たらないと」
「分かってます…けど…」
「じゃあ尚更、開」バッ!
“かい”この二文字が耳に入るだけで身をすっぽりと布団に収めた。ダンゴムシより早いその行動に彼は口をぽかんと開けた。
「日本ー?」
「無理です…開国するぐらいなら死にます…」
オランダさんから散々言われた「開国しねまー」が脳を循環する。そのセリフを振り払うように頭を横に振った。
すると、辺りがシン、と静まり返ったのに気が付いた。流石に呆れて帰ってしまったのか、急に寂しさが押し寄せ、布団をチラッとめくる。
それを狙っていたかのように、彼はめくられた場所から手を掛け、上へ持ち上げた。
良かった。居た。帰っていなかった。
焦って早まった鼓動が落ち着く。
トンネルのように布団に包まれた私を見ながら彼は笑う。
「やっと出てきたあるな」
少し頬が熱くなった。
「こんなんなら我も鎖国してみよかな」
「冗談言わないでくださいよ、」
「最近上司がうっせぇーのが悪いある」
「鎖国なんてしたら、もっとうるさくなりますよ」
「うっ、確かにそうあるな…」
再度認識させられる。私は周りに恵まれすぎているのだと。西洋の力がアジアにも及び、時代が、周りが変わっていき、自分もこのままではいられないだろうと考えてはいるものの、どうしても勇気が出ない。私も貴方のように、強くなれたらいいのですが…
「……中、国さん、その…」
「抱きしめたり……してくださいませんか…?」
彼は目を白黒させると同時にキラキラさせた。その顔。貴方のその顔が1番好き。私が言ったことで驚きながら嬉しがるところも、私のことで笑ってくれる顔も。こんな私でも、貴方を笑顔に出来ているのだと思うと嬉しくてたまらなかった。
小さな布団の上で、ぎゅっ、とくっつきながら彼の胸に収まる。つい昔を思い出す。温かい。久しぶりの人肌に眠気が襲った。この時間が、一生続けば良いのに。
「じゃあ我はそろそろ帰るね。今日は久しぶりにおめぇの顔が見たくて来たあるから」
「…え……」
さっきまで自分を抱き寄せていた彼の手が緩んだ。それに比例して私の不安も増していく。
嫌だ、やだ、行かないでください、1人にしないで、私を、置いていかないで、離れないで、
人は自分の寂しさを埋めたいという気持ちの時、他人に依存し甘えん坊のような態度をとってしまうのだという。きっと今の私はそれだ。子供が駄々をこねるかのような感情が溢れかえる。
「いやです、」
その溢れかえった感情は心の中では収まりきれなかったように、口から漏れ出した。
「もう少し…もう少しだけでいいので……側にいてください、」
幻滅される覚悟の上で彼に頼み込んだ。
彼は目を細めながら愛おしそうな顔を浮かべる。先程まで緩んでいた手を私の背中に回し、また優しく抱き寄せた。
「ほんと、世話の焼ける弟あるな」
「……嫌いですか?」
「不。んなわけねぇある」
私は満足気に彼の体に身を任せた。
他者からの言葉でしか自分の存在価値を確認できない、今にも泡になって消えてしまいたい。
そんな事を思っている私でも、自我を保てていたのは、きっと、貴方がいてくれるからなんです。
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ん〜神?