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#ファンタジー
発した声が、雨音に混じって震える。
指先に触れる御守りの温もりだけが、今、自分が生きている証だった。
「だから……山を降りても、私には行く場所がありません。門も閉ざされました。戻ればきっと、村の者に殺されてしまいます。それなら、いっそ……」
「いっそ、俺に食われて死にたいとでも言うのか」
彼は冷ややかに遮った。
かと思えば、いきなり距離を詰めると、その長い指先で私の顎をくい、と持ち上げる。
至近距離で合う、深緑の瞳。
それはあまりに美しく、氷のように冷たかった。
「馬鹿な女だ。生贄という名の間引きに、自ら首を差し出すとはな。人間どもは、相も変わらず下劣で身勝手だな」
龍神様の手が離れる。
彼は苛立ったように自身の緑髪を掻き揚げると、社の方へ背を向けた。
「だが、あいにく俺は小食でな。お前のような痩せっぽちの肉など、欠片も欲しくない」
「そ、そんなこと言わずに!掃除でも、洗濯でも、何でもします!お願いです、ここで死なせて……いえ、ここにいさせてください!」
それでも私は必死に食い下がった。
泥に汚れた白無垢を振り乱し、社の階段を昇る蒼の背中を追う。
彼は階段の途中で立ち止まり、心底呆れたように肩をすくめた。
「掃除だと? この社は龍神の住処だ。人間の手垢が付くなど、不快でしかない」
「でも、埃を被っているよりはマシですよ!龍神様だって、綺麗な方が気持ちいいはずです!」
「……フン、口の減らない生贄だ」
龍神様は鼻を鳴らし、再び歩き出す。
だが、その足取りは先ほどよりもわずかに緩やかだった。
社の中は、外の嵐が嘘のように静まり返っている。
彼は祭壇の奥にある広間にどさりと腰を下ろすと、私に預けた御守りを顎で指した。
「……その御守りは、俺の『気』を分けたものだ。それを持っている間は、この山の妖どもはお前に手出しはできない。魂を保護し、肉体をこの地の冷気から守る」
私は、手のひらの中の御守りを見つめた。
乱暴に押し付けられたはずのそれが、今は命を繋ぎ止める絆のように思えた。
「捨てられた場所で、死ぬまで飢えて待つのが生贄の仕事だ。……これ以上ゴネられても面倒だからな、居たいなら居ればいい」
「ほっ、本当ですか?!」
「ただし、俺の邪魔をするな。少しでも目障りな真似をすれば、その時は容赦なく山から叩き落としてやるからな」
それは、不器用な龍神が許した、唯一の「居場所」だった。
「……はい!ありがとうございます、龍神様!」
私は心の底から感謝をした。
泥だらけの顔で笑う私に、龍神様は一瞬だけ毒気を抜かれたような顔をしたが、すぐに顔を背ける。
「蒼と呼べ」
「えっ?」
「俺の名前だ」
ぶっきらぼうな声が、広い社の中に響く。
外では激しい雨が降り続いていたが、私の胸のうちは、不思議と春の陽だまりのような温かさに包まれていた。