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「ん? いつもの奴と違うな……。また変わったのか?」
囁く様に呟くジュウベエのそれは、目の前の人物に見覚えが無い事を意味している。
「……新規か?」
それは幸人も同感だったらしく、警戒心を解かないかの様な口調で訊ねていた。
その顕れとして、その間には約二メートルもの空きがあった。お互いすぐに手を出せる距離には無い。
「この業界での御仕事は大変ハードなものですし、前任者は一身上の都合により解任と“なりました”」
解任したではなく、なりましたと。
そう意味深な説明口調で呟きながら、机上のノートパソコンを開き、目まぐるしく操作している女性と思わしきその人物。
机から垣間見える組み込んだおみ足は、見事な曲線美を描くだけでなく、妖艶な淫靡さまで醸し出している。
ビジネススーツを着用し、パソコンに向かうその姿は一流のキャリアウーマンを連想させた。
だがその口調とは裏腹に、幸人達を認識しているのか皆目伺えない。
何故なら。
「なあ幸人……なんか胡散臭くねえか?」
その人物は操作していた手を止め、液晶画面を注視していたと思わしき顔を上げる。
「あぁ申し遅れました。私(わたくし)……今回より後任として仲介役を務めさせて頂きます――」
艶やかで直線的、腰まで届きそうな長い黒髪。
だがその妖艶かつ、蠱惑的な出で立ちには余りにもそぐわない――
「消去代行請負組織“狂座”仲介部門所属。コードネーム『琉月(ルヅキ)』と申します。以後お見知りおきを……」
琉月と名乗り出たその人物の表情を覆い隠す様な、無機質な笑みの白い仮面が印象的だった。
「ああ、やだやだ! せっかくスタイル抜群なのに、仮面が台無しにしてるじゃねえか勿体無い……」
ジュウベエが琉月の仮面姿に、不満の意を述べる様に捲し立てる。
「いや待てよ? 仮面の裏には絶世の美女が! いや逆も有り得そうだな……」
それはおよそ猫とは思えぬ思考回路。
「ジュウベエ……少し黙っててくれ……」
そんなジュウベエを、呆れた様な口調で幸人が諭す。
「いいじゃねぇか。どっちにしろ分かりゃしねぇよ」
“他には分からない”
それは猫の言語が漏れても、問題では無い事を意味しているのか?
「フフフ……」
二人のやり取りを、表情こそ分からぬが、微笑ましいものを見るかの様な口調で琉月が微笑の声を漏らす。
「噂には聞いていたのですが、貴方は動物と心通わせ、会話出来るというのはどうやら本当みたいですね。その黒猫ちゃんは、どんな事を話しているのでしょうかねぇ……」
そう悪戯っぽく二人に向ける琉月。
どうやらジュウベエの言葉は、琉月やその他には分からず、これは幸人のみが通じるものらしい。
「そんな事より、人と話す時は仮面位外したらどうなんだ?」
「おっ! 分かってるね幸人。やっぱ気になるんだろ?」
茶化すジュウベエを無視するかの様に、幸人は琉月に素顔を見せるよう促していた。
だがそれは下心からでは無い。
仮面のままでは、信用に値しない“何か”を、感じとっていたからなのだろう。
「人は誰しも仮面を付けて生きているもの……。貴方もそうでしょう? 幸人さん……いえ――」
琉月は仮面を取る事を拒否しているだけでなく、逆に幸人へ問い返す。
「執行部門かつ、狂座の象徴たるエリミネーター……」
その意味深な単語と含みを幸人へ向けて。
「消去人……コードネーム『雫(シズク)』さん?」
暫しの沈黙が、深淵の室内を支配する。
「確かに……な」
おもむろに口を開いた幸人は、琉月の問いに一切の否定を見せない。
表では名医として評判の温和な獣医。だがその実は、消去代行請負組織“狂座”に組みする、コードネーム『雫』としての裏の顔。
「……今回のターゲットとクライアントの説明を」
“一体どちらが本当の顔なのか?”
その冷たいまでに熱の無い瞳には、あの穏やかな獣医としての顔は何処にも存在しなかった。
「フフフ……では本題に入りましょうか」
そう“仕事内容”を詰め寄る幸人に、琉月は幾枚かの資料を手渡す。
「…………」
その何枚かをサッと見回す幸人。
そこには三人もの顔写真と、その人物達の経緯・年齢に至るまで、あらゆる個人情報が網羅されていた。
三人共に二十歳と記されており、写真で見る限りまだ若い。
だがその目つきは共通して悪く、人を見下したかの様な、典型的な“悪人顔”である事は否めない。
「しかしあったま悪そうな面してんなコイツら……。ピアスに金髪、しかもきっちり染め上がってねぇし、典型的な屑でございますって雰囲気丸出しな連中だな」
幸人の左肩で同じく資料を眺めながら、その顔写真から見た三人の印象を鼻で笑うジュウベエ。
「今回のターゲット、市岡 明(イチオカ アキラ)、園田 雅司(ソノダ マサシ)、岩崎 一博(イワサキ カズヒロ)の三名。経歴通り高校卒業後、これまで傷害、恐喝、窃盗、婦女暴行等々、定職につく事もせず、己の欲望の赴くままに行動してきた。まあ……典型的な屑ですね」
琉月は対象となる三名のこれまでの経歴を、淡々と簡潔に述べていく。
「改善の余地も見当たりませんし、世の為人の為これからの為、この三名にはこの機会に消えて貰うのが最良かと」
その口調には一切の感情も無い。あくまで合理的に、ただ道端のゴミとしか見ていないかの様な物言い。
「おぉ、オレに負けず劣らずの毒舌っぷり。嫌いじゃねぇぜそういうの。オレも同感だな」
ジュウベエが琉月の物言いに、感心した様に同調する。
「お前はどうなんだ幸人? 少なくともコイツらは救いようが無いと思うが……」
たが幸人に同調等の変化は無い。ただ書類のみに焦点を定めていた。
「クライアント」
左手に持つ書類を見詰めながら、右手を差し伸べ、琉月にそう促す。
“依頼はターゲットとクライアントを以て、初めて成立する”
ターゲットのみで判断していない幸人のそれは、二人以上に理論的判断の顕れであった。
「こちらが今回のクライアントです」
琉月も最初からそのつもりだったのか、今回の肝となる書類を幸人に手渡した。
それを右手で受け取り、左手の書類から目を離し、新たに手渡された方に目を通す。
「…………!!」
それはほんの一瞬の事。
「フフフ……」
それまで機械の様な、感情で動く事の無かった幸人の瞳が、ほんの一瞬だけ確かに見開かれていたのを、琉月は見逃さなかった。
「オイ幸人! この子はもしかして!?」
書類上の顔写真。其処に記された名前。
ジュウベエにも見覚えがあった。
“杉村 葵”
「ちょっと待てよ? この子がウチに来たのは一昨日のはず……。この短期間で一体何が? まさか……あの後か!?」
流石にジュウベエも動揺を隠せない。
クライアントは僅か二日前、幸人の診療所に仔犬と共に訪れたていた、まだあどけなさの残る少女その者だったのだから。
「今回のクライアント、杉村 葵は二日前の午後八時頃、この三名に性的暴行を受けた事が、事の依頼の発端となっております」
「まっ……まじかよ……」
戸惑うジュウベエをよそに、事の顛末を淡々とした説明口調で語る琉月。
「勿論、全ての裏は既に取ってあります。クライアントが貴方の診療所に所縁有るという事も。だから貴方へ一番にこの話を持ち掛けた、という訳では無いのですが……」
私情では無いだろうが、その口調には何やら意味深な含みを感じられる。
「前言撤回。やっぱ胡散臭えし、なんか気に食わねぇわコイツ……」
ジュウベエが琉月に向けた言葉の意味。
それは“試している?”という、悪意にも似た品定め的な裏の真意を、敏感に感じ取っていたからに他ならない。
「オイ……幸人?」
だが幸人は沈黙を保ったまま。表情の変化を見せたのは、最初の一瞬だけ。
琉月の真意にも気付かない筈が無い。
ジュウベエが怪訝そうに幸人を見上げたのは、何時もの“消去人”としての顔しかなかったからだ。
「貴方も御存知の通り、通常は狂座へアクセスする事は不可能となっております。幾重にも張り巡らされた、電脳精神回路の厳重包囲網によって」
琉月は事もなげに話を進めていく。
都市伝説とされた殺人サイトーー“狂座”。
アクセス出来ないのなら、それは只の噂に過ぎない。
だが“火の無い所に噂は起たない”
必ずベースとなった基があるからこそ、都市伝説として確かに存在する。
「だが憎悪の感情、その精神が臨界値を超えた時、初めてその道が開かれます」
そして狂座は確かに存在した。
琉月は其処に到るまでの経緯を説明している。
俄には信じ難いそのアクセス方法。
「貴方には分かるでしょう? この意味が、そして狂座という組織が持つ、その力の本当の意味を」
琉月の言葉の意味には、ある種の含みがあった。それは“知ってて敢えて”確認しているかの様に。
「今回のクライアントが、狂座へのアクセスを開く鍵となったのは、性的暴行を受けたのみではありません」
「…………」
「どういう事だ?」
ジュウベエは疑問を口にする。それがアクセスポイントとなる、最大の鍵としか思えなかったからだ。
「……最大のターニングポイントとなったのは、彼女の傍らにあった仔犬の死こそが、その臨界値を超えた事を管理部門より確認されています」
「あの仔犬がっ! 殺された……だと?」
ジュウベエはその事実に声を上げた。勿論その言葉は幸人以外に通じる事は無い。
ジュウベエもよく覚えていた。その仔犬の存在を。
「彼女の苦悩は如何程のものだったのでしょうね……」
表情こそ伺えないが、琉月は何処か遠い口調で紡ぎ出す。
まるでその気持ちが、手に取る様に分かっているかの様に。
「まあこちらも商売ですし、依頼は金銭で承っております。今回クライアントの依頼金は、これまで貯蓄してきた預金50万円。手数料その他諸々を差し引き、執行者のエリミネーターには、50%が取り分として支払われますが……如何がなさいます? 本来、貴方程のランクの者が請けるべき内容では無いのですが……」
琉月はビジネスの話へと移行する。そしてそれは本来、コードネーム『雫』には不釣り合いな依頼だという事も。
「引き請けよう……」
幸人は二つ返事で依頼を請ける。そこに迷いは無い。
「……噂通り変わってますね。上位になるほど、実入りの少ない依頼は請けないのが普通ですが……。それは情でしょうか?」
「うわぁ……嫌な性格してやがるぜ」
それが分かってて、敢えて幸人へ依頼を持ってきた琉月の真意に、ジュウベエが吐き捨てる様に嫌悪感を顕にした。
「関係無いな。憎しみに金額の大小は無い。その金に込められた想いを、俺が代わりに遂行する……それだけだ」
そう言い放ち、かくして依頼は成立する。
ジュウベエには、幸人がこの依頼を請けるであろう事は分かっていた。
“幸人は金額では動かない”
見ているのは、依頼者の憎しみの果てにある深淵の闇。
「なんにせよ、クライアントは大変喜ぶでしょう。恨みを晴らせるのですからね……」
「喜ぶだと? 憎しみは憎しみを呼び、果てしなく連鎖するだけだ。それは決して終わる事の無い、人の業……」
そう、この代行が無意味であるかの様に呟きながら、幸人は掛けてある銀縁眼鏡に手を添え、それをゆっくりと外していく。
「この目で見るのは初めてですが、本当にお美しいですね。冷酷な迄に……」
表情こそ仮面の裏で伺えないが、琉月の声からは恍惚の感情さえ滲み出ている。
何故なら幸人が銀縁眼鏡を外した瞬間、その姿が変貌を遂げていたのだから。
「狂座の誇る、最高のエリミネーターが一人。コードネーム『雫』……」
その漆黒の瞳は銀の眼(まなこ)へ。
そしてそれに呼応するが如く、その艶やかな黒髪までもが、燃える様な煌めく銀髪へと変貌を遂げていた。
琉月でなくとも、その至高の存在に誰もが魅入られてしまう程の。
「今宵、死神による正義の裁きが下される……ですか……」
表の顔から裏の顔へ。
幸人から『雫』へと移行した瞬間だった。
「正義? 人殺しに正義等あるはずが無い。狂座も俺も、金で悪を裁く極悪でしかない」
幸人、否『雫』は琉月の正当を一蹴に処す。
「だが、どうしても晴らせぬ恨みがある。晴らしたくとも行き場の無い恨みが……。それを代行する為に、必要悪として俺達は存在している」
それは殺人を正当化するつもりは毛頭無い、という信念の顕れか。
『雫』は消去代行、その遂行へと赴く為に、琉月に背を向け歩み出す。
「……事後処理はこちらの方で万全を期しておりますので、消去方法はご自由に。ただ今回、クライアントへの証拠提出の為、ターゲットを全消去してしまわないよう、配慮の方をお願いします。まあ貴方には必要無い、過ぎた助言でしたがね……」
琉月の声が聞こえるか否かの間には、『雫』の姿はジュウベエと共に、既にその室内には無かった。