「雨宿りの休憩でもするか」冗談めかして言ったつもりだった。まさかそこで少しだけならいいわよなんて返ってくるとは思わなかった。高鳴る胸を抑えながら視線を窓の外にずらし、そのまま無言でホテルへと車を走らせた。姫川も何も言わずじっと座っている。一体何を考えているのか。それは俺も同じか。「部屋どれがいい?」「えっと、その……」消えそうな声でどうしよと俯く姿に、可愛いなと思った。何を迷っているんだ。部屋の広さか値段か、それとも、部屋に入ることさえもか。「どこでもいいなら俺が選ぶが」「こういうとこ、入ったことなくて」「一度も?」「一度も」俺は一番高い部屋のボタンを押し、姫川の腕を取り行くぞとエレベーターに乗り込んだ。扉が閉まる瞬間、強引にキスをした。腰を支えてやると安心したのか力が抜け、上目遣いで呟く。「無理やりは、しないって……」「ああ、どこが無理やりなんだ?あんたは俺にキスしてほしいだろ?」「でもここじゃ」「見られたら困るんだよな。俺も同じだ」じゃあ、なんで……と目で訴えられる。普段の力強い目ではない、涙が浮かぶ、とてもそそる目だ。俺の胸を掴んでいるのも無意識なのか。エレベーターの扉が開くとビクッと肩が上下し、さらに困った顔をした。「ほら、早く部屋に入るぞ」「うん。わっ、すごい……広いんだ」「ここは特別」「そうなの?」入ってすぐ、テーブルとソファーのセット。テレビ。そして、大きいベッド。姫川の視線はもちろんベッドに向けられている。俺がカバンをソファーに放り投げると姫川もそっと置いた。俺には目もくれず、ベッドを見つめていた。そのまま上着を脱ごうとするので、後ろから抱きしめた。「俺はこっちだ」カットソーの中に手をいれた。「んっ……待ってってば」口調は少々きつめではあるが、嫌がっているふうには見えない。姫川の体温が上がってくるのを感じ、上着とジャケットを脱がせた。自分の上着とジャケットも脱いでそのへんに置き、ネクタイも外す。乱れたカットソー姿はなんだか色っぽい。腕を肩を組むように回して一気に抱え上げた。そのままベッドへ寝かせる。いわゆるお姫様抱っこだ。「ひゃっ、ん」「いちいち可愛い声出すんだな」「だって、こんな……」「初めてか?」指の長い手で顔を覆うと、いちいち聞かないでよと言った。恥ずかしがっていたかと思うと今度は乱れたカットソーを直し始めた。車の中でもしていたが、どうせ脱がすのになにをそこまで気にするか。それならば電気を消したほうがいいのか。照明の調節をしようとすると腕を掴まれる。「どうした?」「電気、つけてて?」「ああ」そうは言ったものの、わからない。触れられるより見られるほうが恥ずかしかったのではないのか。なのに、電気をつけていて、いいのか。「顔、見せて」あんたは一体何を考えているんだ。何を思っているんだ。引き寄せられるようにキスをした。触れるだけの優しいキスだ。髪に、耳に、頬に、首に触れた。押さえつけるように激しくキスをした。姫川は自分から口を開き舌を絡ませた。首に回る姫川の手が心地よかった。「シャツを脱がせてみろ」姫川の体を引き寄せ近づける。ちょうど俺の腰のあたりを姫川の長い足が挟んでいる。髪をすくように頭を撫でてやるとようやく手が伸びてきた。両腕を伸ばすと胸がきゅっと寄るのが俺は好きだった。シャツのボタンを外されているのを感じながら、姫川のパンツに手をかけた。ベルトを外し、前をくつろげる。こういうときは腰を少しくらい浮かせるものだが、これも初めてなのだろうか。半ば無理矢理に引き抜いた。抵抗はない。ボタンを外し終わった手はカットソーの裾を押さえている。「ふっ、恥ずかしいなら」「大丈夫……だから」「俺はそれも脱いで欲しいんだがな。脱がされたくないのならば、自分で脱ぐしかないだろう」「わ、わかった。脱ぐ」どうしても電気は消したくないらしい。なんだか俺のほうが恥ずかしくなってくる。脱がせてもらったシャツが邪魔だったので腕を抜いた。姫川はいつ脱いでくれるだろうか。そう思いながらズボンも脱いだ。「なあ」「わかったってば!ちょっとだけ、目つむっててよ」「……つむったぞ」ベッドの上で、女の前で、パンツ一丁で、正座して目をつむる姿がどれだけ恥ずかしいことか。この女はわかっていないのか。そんな苛立ちもシーツの擦れる音が聞こえると急速に消えていく。「もう、いいか」「いいよ」目を開けると恥ずかしそうにうつむき、体の前でカットソーを抱えている姫川がいた。どういうことなんだ。それをどけてはくれないのか。何を隠しているんだ。乱暴に剥ぎ取ってもいいが、それをしたくないと思った。頬を両手で包み、ゆっくりキスをした。そのあと、見つめ合う。「あのね、私、ある男を殺したいほど憎んでるって言ったでしょ?その、男に、つけられた……傷が」「わかった。そこは見ないようにするから」「違うの……ちゃんと、見てほしいの。あなたには」「……ちゃんと見せろ」「はい……」車では気付かなかったが、左脇腹にナイフで刺されたような傷痕があった。指先2本ほどで触れると甘いような苦しいような声を出した。そっとそこに口づけた。恐怖に歪んだ顔がたまらなかった。恐怖から救ってやりたいと思う気持ちと、欲望とが一気に押し寄せて、俺は一体何をしているんだと思ったが、それは止められなかった。そうしながらも、頭、眉、まぶた、頬、順番にそっと指で撫でていき、目を開くように促した。「牧田さ……」「しっかり、俺だけを見ていろ」「優しく、して?」 「俺が、優しくない、ことなんて、あったか?」「出会ったばっかなくせに」「ああ、出会ったばっかだな。なのにこんなことをしている」「いじわっ……」「ほら、あんたは俺を受け入れている」「それ、やだっ……やだ、やだってば」「もういいか」待っての言葉も待たずに俺は自分の欲望をねじ込んだ。軽い悲鳴に似た声を耳元で感じながら首元にたくさんのキスをした。「牧田さっ……んんっ……」姫川の爪が不動明王に突き刺さる。姫川は戦っているのだろうか。俺だ、大丈夫だぞと頭をたくさん撫でてやる。たくさんキスをしてやる。涙は拭っても拭っても流れ落ちる。目を開けろ姫川。「姫川……」「牧田さんだ」「ああ、俺だ」「もっと、キスして?」「安心するんだっていうなら、何回も何回もしてやる」腰を打ち付けながら、何度も何度もキスをした。姫川の手が背中を優しく撫でる。それだけで嬉しかった。ただただ嬉しかった。もう、いいと言われるぐらいキスをした。好きだ。あんたが好きだ。そう言えたらいいのに。俺はこんな女々しいことを言うやつだったか。ほんとに、姫川には狂わされてばかりだ。だが、それも嬉しいんだ。
「ど、どうしよう!!」「いいから」姫川が飛び起きる音で目が覚めた。腕枕をしていた手を強めてそのまま引き寄せた。髪が胸にさわさわと当たってくすぐったい。「ねえ、牧田さん!私……」「大丈夫、宿泊にしてあるから」「仕事……」「もう夜中だ。それに酒を飲んだから運転もできない」「そ、そんな……」「あんたも疲れてるだろ。俺の胸でよければ貸してやる。ゆっくり休んだらいい」酒を飲んだというのは嘘だったが、そう言わないと姫川は帰るというだろう。もう雨は止んだだろうか。姫川の体温を感じながら、雨も悪くはないなと思った。
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