なにか言いたげな明臣を振り払って、紋は母と住む邸宅へと足を向けた。
紋とその母美月が棲むのは、立派な日本家屋。
この里で一番の霊力を持つ母の権力を表すかのように、立派な家屋。
正直、紋からすればこんな家屋に自分が棲んでいることが申し訳なくてたまらない。
そう思いつつ母の部屋の前に立つ。一度深呼吸をして襖越しに声をかけた。
「母さま。紋でございます」
そっとそう声をかければ、室内から「入れ」という声が聞こえてくる。
紋は、そっと襖を開けて一礼をする。
「そんなかしこまらんでいい。お前は娘だろうに」
部屋の一番奥には、ふわっとした白い尻尾を持つ美しい妖狐の女性。
容姿だけ見れば、三十代でも通用しそうだ。もちろん、彼女はそれよりも年上である。
美しく若々しい。この妖狐こそ、紋の母であり、里で一番の霊力を持つ妖狐、美月。
「まぁ、よい。お前はいつになっても頑固だからな」
紋を見てそう呟いた美月は、紋にこちらに来るようにと促した。
美月に近づいていくたびに、頭がくらくらしそうになる。それは、間違いなく霊力の所為だ。
(母さまの霊力に抗える妖狐は、この世にいるのかしら……?)
心の中だけでそう呟いて、紋は美月の真ん前に腰を下ろした。その際に、美月の頭の上についた耳がぴくりと揺れる。
「さて、紋よ。お前ももうすぐ二十歳であろう」
「……はい」
現在、紋は十九歳。あと半年もすれば、二十歳になる。
人間で言えば大人の仲間入りをするこの年齢。妖狐にとっても、似たようなものだった。
一人前の妖狐として認められるのは、早くても二十歳なのだ。
「普通であれば、妖狐として一人前になるための試練を受けるべきだ。それが、この里の伝統だからな」
妖狐の里は、全国各地にあるとされている。そして、それぞれに伝統があると。
伝統は守るべきものであり、破ることは許されない。もちろん、例外こそあるのだが。
「だが、予想が正しければ、お前はどう足掻いても試練を達成することが出来ない。嘆かわしいがな」
「……はい」
美月の目が、ぎろりと紋を見つめる。いつだって美月は優しい。でも、それと同じくらいに厳しい人なのだ。
そして、紋は美月の厳しさが少し苦手だった。
(歴代にも、妖狐としての試練を達成することが出来なかった存在は、いる)
それは幼少期にほかでもない美月に教えてもらったことだ。
妖狐としての試練を達成できなければ、この里にいることは許されない。それ故に、外の世界に出て行かなければならない。
……人間やほかの存在がたくさんいる、外の世界に。
「……あのな、色々考えたんだ」
ふと、美月がそう言葉を零した。ハッとして、彼女を見つめる。
「お前にとって、どうするのが最善なのか。考えて、考えて、結局答えなど出なかったよ」
ひじ置きに肘を置いた美月が、何処か遠くを見つめつつそう零した。彼女のその目は、何処か寂しそうだ。
「お前のような弱い奴は、外に出たところでろくな結果にならんだろう」
「承知、しております」
「……のぉ、紋。人間には、特殊な力を持つ存在がおるんだ」
美月のその言葉に、紋は驚く。だって、いきなりそんなことを言われるとは思わなかったから……。
「特殊な能力、というのかな。あやかしの霊力を高めてくれる存在だ。もちろん、人間側にも利益はある。人間の持つその特殊な能力の力が上がる」
「……そう、ですか」
「……霊力が少ない、もしくは持たない妖狐は、そういう人間と番うことが、一番だ」
なんてことない風に、美月はそう言い切った。……紋は、悟った。
(母さまは、私に里を出て、人間と生きていけとおっしゃっている……)
確かに、このままこの里に残り続けて、いずれ追い出されるよりはずっとマシだろう。けれど、そんなこと自分にできるのだろうか。
……不安だった。だって、紋はこの里から出たことがないのだ。
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