テラーノベル
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ランディリックが深々と頭を下げた瞬間、室内の空気がふっと揺れた。
「ライオール卿、貴公が謝る筋合いはどこにもないよ」
静かに告げられたセレノの声に、ランディリックとウィリアムの視線が集中する。
セレノの真紅の瞳が揺れ、その奥に確かな決意の気配が宿った。
「……僕は昨日ダフネ嬢から色々聞かされたんだ。彼女の言葉から察するに、貴公が守り育てておられるリリアンナ嬢との間には、かなりの確執があると感じた。ライオール卿がリリアンナ嬢のことを大切にしておられるのは誰の目にも明らかだ。――いつも冷静な貴殿が取り乱されたのにはそれなりの理由があるんだろう?」
セレノは淡く微笑むと、ランディリックをじっと見つめて吐息を落とした。
ランディリックはセレノの眼差しを真っ向から受け止めると、リリアンナに起こったことをひとつずつかいつまんで話していく。
セレノはランディリックが話す間、一度も口を挟むことなく耳を傾けていた。
「そんなことが……」
「わたくしとしては二度と叔父一家とリリアンナが接点を持たないよう、厳罰に処してもらいたかったんだが……」
そこで恨めしげに隣に座るウィリアムへ視線を流す。
「両親の方は仕方ないとして……俺がどうしても彼女を放っておけなかったんです」
子は親を選べない。ダフネだって、別の親の元へ生まれていればもう少しまともな令嬢へ育っていたかもしれない。
「日々の暮らしでいっぱいいっぱいの両親のもとでは、マトモに食事を得ることもままならなかったから」
だからせめて食べるものにだけは困らずに済むようにと自邸――ペイン邸の下働きとしてダフネを連れ帰ったのだと語るウィリアムに、ランディリックは至極不機嫌そうな顔をしていた。
「俺が監視をしている限り、ダフネがリリアンナ嬢へ迷惑をかけることはないはずだったんです」
「ペイン公、そんなに申し訳なさそうにしなくても、実際彼女はリリアンナ嬢に迷惑はかけていないんじゃないかな?」
セレノの言葉にランディリックが吐息を落とした。
「そうであることを願いたい」
「しかし……そんな因縁のある相手とは知らず、むしろ謝るべきは僕の方だ。……軽々しく、よく知りもしない侍女と話して災いを引き寄せた。僕が未熟だったんだよ」
セレノはそこで小さく吐息を落とすと、
「今の話を聞いて分かったよ。ダフネ嬢が自らの姓を名乗った時、僕は軽々しく〝ウールウォード〟という名に反応すべきではなかった」
ポツリとつぶやいて「それが事を大きくしたんだ。……本当に、すまない」と頭を下げる。
静かな声音だったが、生まれながらの王族たるセレノが、自らの非を認めて他国の貴族へ低頭したことには、彼の自戒と覚悟と誠意が滲んでいるように見えた。
ランディリックは一度目を伏せると、落ち着いた声音で答える。
「殿下は……ダフネに何と申されたのですか?」
〝あの女〟――。
その辛辣な呼び方に、セレノが驚いたように微かに眉を寄せ、短く息を呑んだ。
ランディリックは今も変わらず、静かに心の裡へ怒りを抱えている。それを察したセレノは、そっと目を伏せて口を開いた。
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