《アメリカ・ワシントンD.C./ホワイトハウス》
各国の旗が並ぶホールに、
報道陣のカメラがずらりと並んでいた。
演台に立つジョナサン・ルース大統領の背後には、
昨夜打ち上げられたアストレアAの軌道図。
「――アストレアAは、
今この瞬間も静かに宇宙を進み、
オメガへ向かっています。」
「これはアメリカだけのロケットではありません。
日本のJAXA/ISAS、ヨーロッパのESA、
そして世界中のプラネタリーディフェンス・チームの
知恵と汗が詰まった、人類全体の矢です。」
ホールの空気が、
一段静まる。
「しかし、
これは“ハッピーエンド”ではありません。」
「この矢が届いても、
オメガの軌道がどれだけ変わるかは
まだ分からない。」
「届かなければ――
私たちは別の策を考えなければならない。」
カメラのフラッシュが一瞬止まる。
「それでも私は、
今日こう言いたい。」
「“何もしないで終わる未来”よりも、
“怖くても、出来る限りのことをした未来”を
私たちは選んだのだ、と。」
テレビ画面のテロップが切り替わる。
<ルース大統領
「これは映画のラストではなく、
人類の第一歩だ」>
《総理官邸・執務室》
サクラは、
ノートPC越しにその映像を見ていた。
「……あの人、
こういうスピーチだけは本当に上手いわね。」
中園広報官が、
手元のタブレットで国内ニュースを確認する。
「日本でも“人類の希望”って言葉が
あちこちの番組で使われ始めています。」
「“希望ロケット”“人類の矢”……
ハッシュタグは“#アストレアありがとう”が一位です。」
藤原危機管理監が
別モニターの世界地図を指さす。
「ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、
シドニー、ソウル……」
「主要都市の大型ビジョン前に
昨日の打ち上げ映像が流れ続けています。」
画面には、
夜のタイムズスクエアで
アストレアAの映像に拍手する人々。
マドリードの広場で
祈るように手を組む老人。
アフリカの小さな村で、
発電機につないだテレビに
子どもたちが群がる様子。
(――みんな、
ほんの少しだけ
“自分の死ぬ確率”が下がった気になってる。)
(実際にはまだ何も変わってないのに。)
サクラは、
自分の録画メッセージの一節を思い出す。
「“怖いまま前を向いた選択”か……
こっちも、
もう言い訳できないわね。」
《報道番組スタジオ》
明るい照明の下、
大型スクリーンには
アストレアA打ち上げのリプレイ映像。
司会者がカメラに向かって話す。
「人類初の本格的なプラネタリーディフェンス、
アストレアA打ち上げから一夜明けました。」
「“人類の希望”という言葉も出てきていますが――
専門家の皆さん、
ここからのリスクはどう見ればいいのでしょうか。」
宇宙物理学者が、
冷静な口調で説明する。
「まず、
“打ち上げに成功した=もう安心”ではありません。」
「アストレアAは、
オメガの“ど真ん中”ではなく
“少し肩を押すポイント”を狙っています。」
「そこにどれだけ正確に当てられるか。
当たったとして、
どれだけ軌道が変わるか。」
「それを決めるのは、
質量、自転、内部構造……
まだ不確定要素が多い。」
司会者がうなずく。
「つまり“希望は見えたが、
まだ細い橋の上を歩いている状態”と。」
「そうですね。
ただ――」
学者は、
スクリーンのアストレアAの軌跡を見ながら言う。
「“何もしなければ確実に終わる未来”から
“もしかしたら助かるかもしれない未来”へ
曲がり角を作った、
という意味では大きな一歩です。」
「だからこそ、
社会全体が冷静さを保てるかどうかが
今後ますます重要になります。」
その言葉が、
スタジオの空気に
じわりと残った。
《東京都内・深夜のネットカフェ》
同じ打ち上げ映像が、
小さなモニターに映っていた。
昨夜からほとんど眠っていない男は、
フードを被ったまま
ぼんやりと画面を見ている。
<人類の希望>
<世界が一つに>
<拍手する人々>
テロップの言葉が、
どこか遠くに感じられた。
(“人類”って言葉、
便利だよな。)
(俺もその中に
入ってることになってるんだろうけど……)
(この数年、
誰かが俺のこと
“守る対象”として
数えたことがあったか?)
画面をスワイプすると、
別の配信サイトのサムネイルが現れる。
<【アストレアA打ち上げの“裏側”】
天城セラが語る“本当の希望”>
クリック。
白いローブの天城セラが、
穏やかな笑みを浮かべていた。
「――昨夜、
人類は一つの矢を空に放ちました。」
「多くの人がそれを“希望”と呼びました。」
「でも、
今まで何をしても報われなかった人にとっては、
それは本当に“自分の希望”と言えるでしょうか。」
男の指が止まる。
「会社に使い捨てにされた人。
何度挑戦しても“あなたには無理”と言われ続けてきた人。」
「生まれつき、
名前や、見た目や、育った環境だけで
笑われたり、避けられたりしてきた人。」
「そういう人たちにとって、
“今の世界が続くこと”は
必ずしも“希望”ではありません。」
コメント欄がざわめく。
<分かる>
<そうなんだよな>
<希望って言われても自分のことだと思えない>
「オメガの光は、
その痛みを“ゼロからやり直す”ための
チャンスでもあります。」
「一度すべてがゼロになれば、
“頑張った人”ではなく、
“これまで見捨てられてきた人たち”が
新しい世界の先頭に立つかもしれない。」
男は、
小さく笑った。
(“人類の希望”って言われるより、
“ゼロからでいい”って言われる方が
よっぽど優しいじゃないか。)
胸の内側の
黒い水たまりみたいな感情に、
セラの声は
するりと入り込んでくる。
《内閣官房・情報分析室》
モニターには、
二つのグラフが並んでいた。
左側は
「アストレアA打ち上げに対する世論調査」。
<“希望を感じる” 62%
“どちらとも言えない” 25%
“あまり希望を感じない/全く感じない” 13%>
右側は
「黎明教団関連ワードの検索数推移」。
Day55を境に、
右肩上がりの線が伸びている。
分析官が説明する。
「アストレアAに“希望を感じる”と答えた層は
正社員比率が高く、
収入も平均より上の傾向があります。」
「逆に“あまり希望を感じない”層は、
非正規雇用、失業中、
シングルペアレント、
介護離職経験者などが目立ちます。」
中園広報官が、
グラフの重なりを見つめる。
「つまり――」
「“人類の希望ロケット”って言葉が
そのまま届いている人と、
“自分はそこに含まれていない”と
感じている人がいる。」
分析官は頷いた。
「その“含まれていない”と感じている層が、
そのまま黎明教団のシンパ層に
流れ込んでいるようです。」
「“世界を救うロケット”に
自分が乗っている実感がない人ほど、
“いっそ世界ごとリセット”に
惹かれている。」
中園は、
ため息をひとつついた。
「……“誰ひとり取り残さない”って
簡単に言うけど。」
「“希望を感じる権利”から
もう取り残されちゃってる人が
こんなにいるのね。」
モニターの端には、
ニュースのテロップが流れている。
<アストレアA、
オメガへのクルーズフェーズ順調――
“人類の希望”として世界が注目>
その一方で、
別の画面では
セラの配信がトレンド入りの順位を
じわじわと上げていた。
オメガの軌道は、まだ変わらない。
変わり始めているのは、
“何を希望と呼ぶか”をめぐる
人々の心の線引きだった。
ロケットの軌跡に拍手する人たち。
「ゼロになればいい」と
小さく呟く人たち。
そのあいだに立つ政治と社会は、
まだその距離を
測りかねていた。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.






