テラーノベル
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朝八時、駅のホームに、悠人は立っていた。
本当に来た。来ないかもしれないと、半分思っていた。切符を置いて、「見送ってやる」と言って、朝は来ない。そういう人だと、五年、思ってきた。
悠人は、来た。コートを着て、私の実家の鞄を持って、ホームの指定席の乗り口に立っていた。
「寒いな」
「ええ」
「親父さんに、よろしく。正月は顔出すって言っといてくれ」
「分かった」
電車が入ってきた。悠人は、私に鞄を渡した。渡すとき、私の左手を見なかった。
「じゃあ」
私は、乗った。ドアのところで、振り返った。
悠人は、ホームに立って、笑っていた。客の前の笑い方で、私を見ていた。
ドアが閉まる音がして、閉まる前に、悠人が言った。
「いってらっしゃい」
私は、言った。
「いってきます」
ドアが閉まった。
電車が動く。悠人はホームで手を振り、電車が見えなくなる前に、手を下ろした。
私は、席に座らない。ドアの横に立って、次の駅を待つ。
四分。
次の駅で、降りた。
反対のホームに渡り、戻る電車を待つあいだに、父に電話をかけた。
「今日は、帰れない。明日、行く」
父は「分かった」と言った。それだけだった。父は、昔から、それだけを言う人だった。
◇
十時、式場。
裏口から入った。ロビーの受付台に、紙が立ててあった。『本日の担当:三浦』。
「おはようございます」
美咲が、ロビーの真ん中に立っていた。表の担当の顔で。作った顔で。
「おはよう」
「高梨さんは、本日お休みです」
「知ってる」
「佐倉さん、企画室へどうぞ」
企画室で、黒いスーツに着替えた。名札は『佐倉』。
美咲が入ってきて、「メイク、します」と言った。「桐谷さんの指定なので」。
鏡の前に座った。美咲は、何も言わずに、十分で終えた。終えてから、「暗くないです」と言った。
「ありがとう」
「普通の顔です。明るくもないけど」
「普通でいい」
金庫を開けた。
紺色の箱。『H to Y 12.12』。出して、司会台の下の棚に置く段取りだった。十八時四十分に、ひなのに渡す。
封筒は、鞄の中。指輪は、封筒の中。それは、司会台の上に置く。いつ置くかは、本当の進行表にも書いていなかった。書いていないことが、一つだけあった。
若林が、扉をノックした。
「期限は、十八時です」
「はい」
「社長は、十七時四十五分に着きます。一ノ瀬は、十七時に。私は、一ノ瀬と一緒に」
「はい」
「報道は、十七時。壁際に、席を作ってあります」
若林は、手帳を閉じた。
「それと、佐倉さん」
「はい」
「黒いスーツ、合っています。司会台に」
若林は、それだけ言って出ていった。
◇
十五時、ひなのが来た。
白いドレスは、衣装室で着た。肩が出る。裾が床に広がる。かれんが、その全部を撮った。
「高梨さん、いませんよね」
ひなのは、鏡の前で、私に聞いた。
「本日は、休みです」
「よかった。彼、今朝、奥さんを駅まで送ったんだって。『いってらっしゃいって言ってやった』って。優しいでしょ」
「……そうですか」
「私、七時に家で目隠しして、車で連れてくる。門のところで、佐倉さんが待ってて」
「十八時、門でお待ちします」
「彼、何も知らないの。今日が、会社のパーティーだと思ってる。ピッチの前祝いだって」
「はい」
「全部、上書きするの。今日」
ひなのは、鏡の中の自分に、歯を見せて笑った。
◇
十六時半、庭の灯りが点いた。
三本の木が、黄色くなった。坂上が二十二年、咲かない季節に咲かせてきた色だった。
十七時、一ノ瀬が来た。若林と一緒に。一番後ろの席に、座った。私を、見なかった。見ないのが、今日の約束だった。
十七時、報道が来た。壁際。記者が二人、カメラが一人。カメラの位置は、スクリーンと主賓席と司会台が、一枚に入る位置。
十七時半、開場。
門から、白いものを一つずつ身につけた十人が、まとまって入ってきた。白いネクタイ。白いポケットチーフ。白いシャツ。
一番前に、大森部長。花束を抱えていた。白いバラ。札が、こちらを向いていた。『奥様へ』。
「奥さん!」
大森は、ロビーで私を見つけて、大きな声で言った。
「今日は、お世話になります。これ、あとで」
「のちほど。十八時三十五分に、お声がけします」
「お願いします。いやあ、高梨くんは幸せ者だ」
十人の中に、柴田がいた。白いハンカチを、胸ポケットに入れていた。私を見て、見なかったことにして、席に着いた。主賓席の右。大森の隣。
ひなのの友人が、二十人。全員、白。かれんが、ひなのが立つ位置の一番近くに座り、スマホを構えた。
十七時四十五分、社長が来た。
六十代。濃紺のスーツ。一ノ瀬と、同じ歩き方だった。無駄がない。一番後ろの席に、一ノ瀬の隣に、座った。私を、見なかった。
十七時五十分、全員着席。
主賓席。スクリーンの正面。入口から十二歩。空いている。
その隣も、空いていた。
門から、茶色のコートの人が、一人で入ってきた。
恵子は、ロビーで私を見て、何も言わなかった。言わずに、私が指した席に、歩いていった。主賓席の隣。座って、コートを脱がなかった。
私は、司会台に立った。
本当の進行表を、台の上に置いた。一行目に、指を置いた。
『18:00 入場。目隠し。三十歩。マイク、入れる』
十八時。
門の外に、車が止まる音がした。
私は、司会台を降りなかった。降りない、とひなのに言った。十七時から、何があっても。門での案内は、美咲が立った。
窓から、見えた。
白いドレスのひなのが、車から降りる。後ろの席から、男を降ろす。男は、黒い布で目を覆われている。ひなのが、男の手を取る。
門をくぐった。
黄色い灯りの中を、三十歩。ひなのが手を引き、男がついていく。男は、申込書の写真と同じ、青いシャツを着ていた。私が買った、青いシャツ。その上に、コート。
会場の三十九人が、窓の外を見ていた。大森が「おお」と言った。かれんが立ち上がって撮った。恵子は、動かなかった。一ノ瀬も、社長も、動かなかった。
二十歩。二十五歩。
私は、マイクのスイッチを入れた。小さな音が、会場に一度だけ響いた。
三十歩。
会場の扉の前で、ひなのが立ち止まった。男も、止まった。
扉が、開いた。
ひなのが、男の耳元で言った。会場の全員に、聞こえる声で。
「目、開けていいよ」
コメント
1件
うわあああ第30話…!🥺✨ 最初の悠人との別れからラストの式場の緊張感まで、静かで切なくて、でも最後の「目、開けていいよ」で全部がひっくり返る感じがたまらなかった…! ひなのの「全部、上書きするの」が本当にその通りになるんだね。“書いていないこと”が一つだけあるっていう伏線も、最後のシーンでゾワゾワしたよ…!続きが気になりすぎる、え、この結婚式どうなるの!?🌸
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