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読み終えたわ……これ、めっちゃ好みのやつだ。 うさぎの店主が静かに優しくて、でもその優しさが逆に怖いっていう空気感、天才的じゃない? 料理の名前がどれも「記憶」とか「感情」に直結してて、食べたら全部忘れて楽になれるって誘惑、すごく響くものがあった。 特に最後の「元の世界へ帰るか、残るか」の選択、阿部がどう決めるのか気になって仕方ない。 続き、めっちゃ待ってる🔥
仕事を終えた阿部が乗っていた車が、山道の途中で突然動かなくなった。
スマートフォンは圏外。
辺りには民家どころか街灯すら見当たらない。
助けを求めようと、阿部は一人で森の中を歩き始めた。
最初はすぐに大きな道へ出られると思っていた。
けれど、歩いても歩いても景色は変わらない。
「……絶対、道間違えた」
引き返そうにも、どこから来たのかさえ分からなくなっていた。
そんなときだった。
木々の隙間に、ぽつんと温かな明かりが見えた。
近づいてみると、そこには小さなレストランが建っていた。
こんな森の奥に?
不思議に思いながらも、疲れ切っていた阿部は扉に手をかけた。
カラン。
小さなベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
聞こえてきた声に、阿部は固まった。
カウンターの向こうにいたのは、人間ではなかった。
真っ白な毛並み。
長い耳。
黒く丸い瞳。
二本足で立ち、白いシャツに黒いベストを着た、大きなうさぎだった。
「……うさぎ?」
思わず呟く。
うさぎは気を悪くした様子もなく、ぺこりと頭を下げた。
「はい。こちらの店主をしております」
疲れすぎて幻覚でも見ているのだろうか。
阿部が呆然としていると、うさぎは椅子を引いた。
「ずいぶん歩かれたでしょう。どうぞ、お掛けください」
「いや、でも……」
「大丈夫ですよ」
優しい声だった。
「ここまで来た方を追い返したりはいたしませんから」
その言葉に妙な引っかかりを覚えたものの、阿部の足はもう限界だった。
席につく。
すぐに温かいスープが運ばれてきた。
「ご注文してないですけど」
「最初のお料理はこちらと決まっております」
白いスープから、柔らかな湯気が立ち上っている。
メニューを見る。
そこに書かれていた料理名を見て、阿部は眉をひそめた。
『寂しかった日のスープ』
『忘れたい記憶のパイ』
『いちばん幸せだった日のデザート』
料理の名前とは思えないものばかりだった。
「変わった名前ですね」
「そうでしょうか?」
うさぎは首を傾げた。
「ここでは普通ですよ」
空腹には勝てず、阿部はスープを一口飲んだ。
美味しい。
身体の芯から温まるような、優しい味だった。
なぜか、泣きそうになった。
「……美味しい」
「ありがとうございます」
うさぎは嬉しそうに耳を揺らした。
ところが、食べ終えたころ。
阿部はふと、不思議なことに気づいた。
何かを忘れている。
胸にぽっかり穴が開いたような感覚だけが残っているのに、それが何だったのか思い出せない。
「俺……なんでさっきまで、あんなに寂しかったんだっけ」
カウンターの向こうで、うさぎが微笑んだ。
「美味しかったでしょう?」
「え?」
「次のお料理をお持ちしますね」
今度は小さなパイだった。
『忘れたい記憶のパイ』
その文字を見た瞬間、阿部はフォークを置いた。
「……これ、食べたらどうなるんですか?」
うさぎは答えない。
ただ、優しく笑っている。
阿部は椅子から立ち上がった。
「帰ります」
「そうですか」
意外にも、うさぎは引き止めなかった。
阿部は入口へ向かい、扉を開けた。
そして息を呑んだ。
扉の向こうにあったのは森ではなかった。
さっきまで自分が座っていたレストランだった。
同じテーブル。
同じ椅子。
同じカウンター。
その向こうに、うさぎがいる。
「……え?」
振り返る。
そこにも同じレストランがある。
阿部の背筋が冷たくなった。
「何、これ……」
うさぎがゆっくり近づいてくる。
「まだ、お帰りになる時間ではありません」
さっきまで可愛らしく見えていた黒い瞳が、急に底の見えない穴のように思えた。
「俺をどうするつもり?」
「何もしませんよ」
うさぎは静かに答えた。
「ただ、お食事をしていただくだけです」
「食べたら記憶がなくなるんでしょ?」
しばらく沈黙したあと、長い耳が小さく揺れた。
「記憶だけではありません」
「……え?」
「悲しみも、苦しみも、後悔も。すべてなくなります」
うさぎは阿部を見つめた。
「全部なくなれば、楽になれますよ」
阿部は後ずさった。
そのとき、店の奥にある壁が目に入った。
たくさんの写真が飾られている。
笑っている人。
泣いている人。
一人で写っている人。
そして、一番端には空っぽの写真立てがあった。
その下に、小さな札が置かれている。
『本日のお客様 阿部様』
「……なんで、俺の名前……」
教えていない。
そもそも、自分がここへ来ることすら知らなかったはずだ。
うさぎは答えなかった。
代わりにテーブルへ戻り、『忘れたい記憶のパイ』を静かに下げた。
そして最後の料理を置く。
『いちばん幸せだった日のデザート』
「こちらが最後のお料理です」
阿部は動けなかった。
「これを食べたら……?」
うさぎは少しだけ寂しそうに笑った。
「あなたが、ここに来た理由を思い出します」
「……それから?」
長い耳がゆっくり伏せられる。
「それを召し上がってから、お決めください」
「何を?」
うさぎは答える。
「元の世界へ帰るのか」
静かな店内に、その声だけが響いた。
「それとも、すべて忘れて、このレストランに残るのか」
窓の外を見る。
いつの間にか、森はなくなっていた。
真っ白な世界が、どこまでも続いている。
阿部はようやく理解した。
自分は森で道に迷ったのではない。
ここへ来る前に――何かがあったのだ。
それを、自分自身が忘れている。
目の前には、小さなデザート。
向かいには、白いうさぎ。
「さあ」
うさぎが椅子を引いた。
「最後のお食事にいたしましょう」
その声は、最初に聞いたときと変わらず優しかった。
だからこそ阿部は、その優しさがたまらなく怖かった。