テラーノベル
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阿部は、目の前に置かれたデザートを見つめた。
真っ白な皿の中央に、小さなケーキがひとつ。
飾り気のない、どこにでもありそうなショートケーキだった。
「……これが、いちばん幸せだった日のデザート?」
「はい」
うさぎは静かに頷いた。
「食べれば、分かります」
阿部はフォークを握る。
食べたくない。
けれど、自分がどうしてここにいるのかは知りたかった。
意を決して、小さく切ったケーキを口へ運ぶ。
甘い。
優しい苺の味がした。
その瞬間――。
頭の中に、景色が流れ込んできた。
眩しい照明。
大勢の歓声。
隣には八人のメンバーがいて、みんな笑っている。
ライブだ。
自分たちに向けられたペンライトが、会場いっぱいに揺れている。
阿部も笑っていた。
苦しいこともたくさんあった。
辞めたいと思った日もあった。
それでも、この景色を見るために頑張ってきた。
「……ああ」
阿部の目から涙がこぼれた。
「これ……俺の……」
「はい」
うさぎが静かに答える。
「あなたの大切な記憶です」
もう一口食べる。
今度は楽屋だった。
くだらないことで笑う佐久間。
それを見て呆れている渡辺。
康二とラウールが騒いで、深澤が話をさらに大きくして、宮舘が静かに笑っている。
岩本がそんなみんなを見守っている。
そして――。
少し離れたところから、自分を見て笑う目黒。
胸が痛くなった。
「めめ……」
名前を口にした途端。
記憶が変わった。
雨。
暗い道路。
眩しいライト。
誰かの叫び声。
身体が宙に浮いたような感覚。
そして――何も見えなくなった。
フォークが床に落ちた。
カラン。
乾いた音が店内に響く。
「……事故」
阿部は震える声で呟いた。
「俺、事故に遭った……?」
うさぎは何も言わなかった。
その沈黙だけで十分だった。
阿部は自分の身体を見る。
傷ひとつない。
痛みもない。
「俺……死んだの?」
#⛄️
kaede🍁
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篝火

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蒼❄️
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「まだです」
すぐに答えが返ってきた。
阿部は顔を上げる。
「まだ?」
「あなたは今、生きることと死ぬことの間にいます」
うさぎはそう言って、向かいの椅子に座った。
「だから、このレストランへ来ました」
阿部は息を呑んだ。
「じゃあ……帰れるの?」
「帰れます」
その言葉に、胸の奥が一気に明るくなる。
しかし。
うさぎは続けた。
「ただし、帰るためには、ここで食べたものを返していただかなければなりません」
「……返す?」
「最初のスープを覚えていますか?」
阿部は頷く。
『寂しかった日のスープ』
食べたあと、自分が何に寂しさを感じていたのか分からなくなった。
「あなたは、あのお料理と引き換えに寂しさを置いていきました」
「じゃあ、それを返してもらえばいいんでしょ?」
「はい」
うさぎは微笑んだ。
「寂しさだけではありません」
次々と料理が運ばれてくる。
いつの間に作ったのか分からない。
テーブルいっぱいに皿が並べられていく。
『眠れなかった夜』
『諦めたかった夢』
『言えなかった言葉』
『誰にも見せなかった涙』
『失うことへの恐怖』
阿部の顔から血の気が引いた。
「……これ、全部?」
「はい」
「全部食べるの?」
「帰りたいのであれば」
どの料理からも、美味しそうな香りがする。
なのに今は、恐ろしいものにしか見えなかった。
「これを食べたら……どうなる?」
うさぎはしばらく黙っていた。
やがて、静かに答えた。
「すべて思い出します」
阿部の指先が震える。
「忘れていた苦しみも、悲しみも、怖かったことも」
「……」
「そして最後に、事故に遭った瞬間の痛みも」
阿部は椅子から立ち上がった。
「無理……」
反射的に出た言葉だった。
うさぎは何も言わない。
「そんなの無理だよ……」
事故の記憶をほんの少し思い出しただけで、身体が震えている。
あれを全部?
怖かったことも。
苦しかったことも。
痛みまで。
「だったら」
うさぎの声がした。
「ここに残りますか?」
阿部は顔を上げた。
うさぎはいつもの優しい顔をしていた。
「ここなら、お腹が空くこともありません」
静かな声。
「傷つくこともありません」
一皿ずつ、料理が消えていく。
「誰かに嫌われることも」
また一皿。
「大切な人を失うことも」
また一皿。
「あなたが誰かを失望させることもありません」
そして最後には、ショートケーキだけが残った。
「嫌なことは全部、私が預かります」
うさぎが阿部へ手を差し出した。
小さな手だった。
「幸せだった記憶だけを残して、ここで暮らせばいいのです」
それは、とても甘い誘惑だった。
もう傷つかなくていい。
もう苦しまなくていい。
頑張らなくていい。
誰かの期待に応えなくてもいい。
ここにいれば、ずっと幸せな夢を見ていられる。
阿部は、うさぎの手を見つめた。
「……それも、悪くないかもね」
うさぎの耳がぴくりと動いた。
阿部は笑った。
涙を流しながら。
「正直、疲れたもん」
その言葉を口にした瞬間、肩から力が抜けた。
ずっと頑張ってきた。
期待に応えたかった。
迷惑をかけたくなかった。
笑っていたかった。
ここなら、その全部から逃げられる。
阿部はゆっくり手を伸ばした。
うさぎの小さな手に触れようとした、その瞬間。
「……あべちゃん」
声が聞こえた。
阿部の手が止まる。
「え?」
聞き間違いだと思った。
けれど。
「あべちゃん!」
今度は、はっきり聞こえた。
目黒の声。
続いて、いくつもの声が重なった。
「あべちゃん!」
「阿部!」
「起きろ!」
「お願いだから!」
遠い。
ものすごく遠い場所から聞こえてくる。
それでも、知っている声だった。
阿部の目から、また涙がこぼれた。
「……みんな」
うさぎが差し出していた手を、静かに引っ込めた。
「呼ばれていますね」
「うん……」
「帰りたいですか?」
阿部は答えられなかった。
帰りたい。
でも、怖い。
帰れば、また苦しいことがある。
事故の痛みだって待っている。
これから先、もっとつらいことが起きるかもしれない。
「怖いよ……」
阿部が呟く。
うさぎは頷いた。
「でしょうね」
「帰ったって、幸せになれる保証なんてないじゃん」
「ありません」
あまりにもあっさり言われ、阿部は顔を上げた。
「そこは嘘でも『幸せになれます』って言ってよ」
「私は嘘をつきませんので」
「……何それ」
思わず笑った。
うさぎも少し笑った。
「人生は、きっと美味しいものばかりではありません」
テーブルに、先ほどの料理が再び現れる。
寂しさ。
後悔。
涙。
恐怖。
痛み。
そのすべてが並んでいる。
「ですが」
その一番奥に、ショートケーキが置かれた。
『いちばん幸せだった日のデザート』
「これもまた、あなたの人生です」
阿部は長い間、それを見つめた。
そして。
椅子に座り直した。
「……食べます」
うさぎの黒い瞳が、わずかに細くなる。
「全部?」
「全部」
阿部はフォークを握った。
手はまだ震えている。
「俺、帰りたい」
一皿目を引き寄せる。
「痛くても?」
「怖いけど」
二皿目。
「また傷つくかもしれませんよ」
「それも嫌だけど」
三皿目。
そして最後に、阿部は小さく笑った。
「でも、めめたちが呼んでるから」
うさぎは何も言わなかった。
ただ、とても嬉しそうに笑った。
「承知いたしました」
店内の照明が、少しずつ明るくなる。
「それでは、お客様」
うさぎは深々と頭を下げた。
「最後まで、どうぞごゆっくりお召し上がりください」
阿部は最初の皿にフォークを伸ばした。
きっと、美味しくはない。
それでも。
生きるということは、甘いものだけを選んで食べることではないのだろう。
苦いものも。
辛いものも。
泣きたくなるほど不味いものも。
全部、自分のものなのだから。
森の小さなレストランで。
阿部は、自分の人生を取り戻すための食事を始めた。
コメント
1件
うわあああ…第4話、めっちゃ良かった😭💕 うさぎの「全部預かる」って甘い誘惑、めっちゃ分かるけど…最後の「あべちゃん!」って声で戻ろうとする阿部くんの選択がもう泣けるよ…! 「人生は甘いものだけじゃない」ってテーマ、深すぎて胸に刺さった。苦いのも辛いのも全部自分の人生って言葉、本当にその通りだと思う。 みらさんの紡ぐ世界観、毎回エモすぎてやばいです…次話も楽しみにしてます!🌸✨