テラーノベル
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帰ってきた瞬間、息をすることを忘れる。足音が鳴るたび、壁の中のネジが軋むように、身体が冷える。
玲央菜の声は、怒鳴り声ではない。
笑ってる。いつも、笑ってる。
でもその笑いのあとに来るのは、引っぱたかれる音だったり、
髪を掴まれて床を這う感触だったりする。
「男のくせに泣くんだ」
「声、女みたいだね」
「……あんたが、いるから、全部おかしくなるんだよ?」
何度も繰り返し囁かれると、
言葉って、体の一部みたいに染み込んでくる。
“自分が原因なんだ”って、思えるようになる。
痛みが正当化される。
そして、自分で自分に罰を与えるようになる。
晃司は、無言で殴る。
頬を打たれて、口の中が切れても、
「そうか、まだ足りないんだな」って思う。
次は肋骨が痛むまで蹴られる。
――愛された記憶なんて、そもそもない。
優しくされたことはある。
けど、それはたいてい、次の暴力の“溜め”だった。
沙耶香はいつも言う。
「おまえさえいなければ、家族はうまくいってたのに」
「だから愛人の子って嫌なのよね」
そう言いながら、笑ってコップの水をかける。
びしゃりと濡れても、顔色ひとつ変えない練習は、何年もしてきた。
「痛い」より「恥ずかしい」が怖い。
それを知ってる人間に、遥は囲まれて育った。
服を脱がされるのも、床に額を擦りつけて謝るのも、
人に見せられたら終わることばかりだった。
だから、絶対に誰にも言えない。
「見せられるくらいなら、死んだほうがマシ」
……そう思って、何度も風呂場で息を止めてきた。
でも、死ねなかった。
日下部がいたからじゃない。
ただ――
「俺が死んだら、“嬉しがる顔”が浮かんだから」
それが、どうしても悔しかった。
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