その日も、白いパラソルの下には
柔らかな日差しが降り注いでいた。
絵筆を走らせるライエルの周囲には
今日も子供たちが賑やかに集まっていた。
絵を描くライエルの肩越しに覗き込む子
花を摘んで紙に貼り付ける子
紙飛行機で遊ぶ子──
けれど、その〝いつもと違う異変〟は
ほんのささいな違和感から始まった。
(⋯⋯また、居ますね。今日も)
ライエルの目が
絵筆の先からふと横へ逸れる。
パラソルの柱の上。
花壇の縁。
ベンチの背。
そこには、黒々とした烏が
一羽、また一羽と──
⋯⋯いや、何羽いる?
(最初は⋯⋯一羽だったんですよ?)
絵を描くようになってから
毎回のように烏が一羽
近くに佇むようになった。
最初は気にしていなかった。
風通しが良く、虫も多いこの庭だ
たまたまだと思っていた。
だが。
完成が近付くにつれ
どう考えても数が増えていた。
「先生ー!
今日も黒いのいっぱい来てるよー!」
「あっ、帽子に乗ってるー!」
子供たちの歓声に
ライエルはさらに視線を巡らせた。
イーゼルの後ろには
まるで黒い壁のように整列する
十数羽の烏たち。
しかも全員、同じ方向──
キャンバスを凝視している。
その黒い軍団は
子供たちのすぐ傍にいながら
一切の威嚇も飛行もせず
代わりに──
完全に鑑賞者だった。
(⋯⋯え?なに?
これはもう〝作品を囲んで批評する団体〟
のような⋯⋯)
ライエルが戸惑いながら筆を置いた瞬間──
「カァッ」
足元で、カサリと音がした。
見ると
一羽の烏がいつの間にか
ライエルの膝に乗っており
彼の手から離れた筆を、咥えて持ち上げ
くいっと差し出してきた。
目が合う。
烏はじっと見上げて──
首を、傾げた。
(⋯⋯え、もしかして⋯⋯催促!?)
明らかに
「続きを描け」と言わんばかりのポーズ。
ライエルが小さく目を逸らすと
烏はさらに筆を押し付けてきた。
その動きに応じるように
後ろの烏たちも一斉に首を傾げる。
(なんでしょう⋯⋯この無言の圧力っ!?)
やむなく筆を握ると
なぜかほっとしたように
膝の上の烏が羽を小さく震わせ
背後の烏たちも微かに首を上下させる。
まるで
「よしよし」と言っているような──
黒い監視団体の承認。
だが事態は、さらに奇妙な方向へと進む。
近くで遊んでいた幼い女の子が
走って転び、ぽろぽろと泣き出した。
「うえぇえぇ⋯⋯っ!」
ライエルは反射的に立ち上がろうとする──
が
ずしっ。
膝にいた烏が、全力で乗っている。
「ぴっ⋯⋯ちょ、ちょっと⋯⋯
動けない⋯⋯っ!?」
そして。
他の烏たちが、それぞれ
花壇から花や、ぬいぐるみを咥えてきた。
一羽がくるりと回り始め
もう一羽が花を咥えてひょいっと跳ね
残る数羽はぬいぐるみを振りながら
謎の烏ダンスショーが始まった。
泣いていた女の子は、目をぱちくりさせ──
次の瞬間には、けろりと笑い出した。
「くろいとりさん、おどってるー!」
烏の一羽が
少女の足元にぬいぐるみを差し出すと
もう一羽が頭をぺこりと下げた。
ライエルは動けぬまま
目を見開いて呆然としていた。
(現代の烏⋯⋯賢すぎでは!?)
絵を描く人間を守り、子供の動揺を制し
芸まで披露する謎の知能集団。
もはや〝烏〟の範疇を越えている。
ただし、それでもライエルは、知らない。
それが、時也の放った式神である事も。
ましてやその全ての様子が
時也のもとに逐一〝報告〟されている事も。
──その頃。
喫茶桜の厨房にて
パイを焼いていた時也は
ふと微笑を漏らした。
「⋯⋯お疲れ様です。
よくやってくれていますね、皆さん」
一人つぶやき、紅茶を注ぎながら
彼は目前の一羽に微笑んだ。
(完成までもう少し。
⋯⋯楽しみにしていますよ、ライエルさん)
一羽、また一羽──
黒い影が孤児院の空を静かに旋回していた。
⸻
昼下がりの喫茶桜は
忙しさが一段落した
穏やかな空気に包まれていた。
窓際に射し込む陽光がテーブルの上を滑り
カップの縁に小さな虹を描いている。
「⋯⋯ふぅ、よしっと」
レイチェルは、手にした布巾で
丁寧にテーブルの表面を磨いた。
ふと手を止め
視線だけをそっと厨房の方へ向ける。
「時也さん、最近ずっと
式神の烏と〝お話〟してるみたいでさ⋯⋯
どこか上の空なのよね。
ノーブルウィルが心配なのかしら?
──なのに、顔はすっごく嬉しそうなの!
なんでだと思う?」
カラン、と小さく音を立てて
ソーレンがカトラリーをまとめて運んできた。
無言でテーブルに
ナイフとフォークを置きながら
わずかに肩を竦める。
「⋯⋯ノーブル・ウィル関係のことは
俺に聞くな。
また、あんな風に
地獄のマジックショーさせられたくねぇし」
「⋯⋯なんで、マジックショー???
荷物係じゃなくて???」
レイチェルが手を止めて振り返ると
ソーレンは一瞬遠い目をした。
そしてゆっくりと答える。
「聞くな⋯⋯
男に〝愛してる〟って言われた
絶望の瞬間まで思い出しちまう」
「え、時也さんに!?
あの、アリアさんにしか微塵も興味ない
あの時也さんに!?
ちょっ、それ、奇跡の瞬間じゃないの!?
世界七不思議に追加してもいいレベルよ!?」
「今ここで吐くからな?」
ソーレンの低い声に
レイチェルは一拍おいてから
口元を手で隠しながらくすりと笑った。
「ふふ、全然意味わかんないけど
そんなトラウマにまでなってるソーレン
かわいいわねぇ?
よしよし、いい子いい子してあげるわね?」
彼女が両手で
ソーレンの頭を撫でようとすると
即座に鋭い一言が飛んだ。
「殺すぞ」
「はいはい、いつも通りの反応ありがとー。
そういうとこ、ほんっと安心するわー」
レイチェルは悪びれもせず
にっこりと笑って
ソーレンの肩をぽんぽんと叩いた。
その手つきは、からかい半分、労い半分。
ソーレンは渋面を崩さぬまま
何も言い返さず、ただ目を細める。
そのやりとりを厨房の奥で
湯気にまみれながら聞いていた時也は
鍋の中をかき混ぜながら
ほんの少しだけ微笑を深くした。
窓の外では、枝に留まった一羽の烏が
静かに首を傾げていた。
まるで「今日も、皆、元気です」と
伝えているように──
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!