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この世、あるいはあの世の見捨てられたものたちが辿り着く深層――『FORSAKEN』
その地下に存在する“暗黒厨房”は、今日も異様な静けさに包まれていた。
鍋は一切鳴らず。
炎すら支配を恐れるように揺らめき、
ただ、磨き抜かれた革靴の音だけが、静かに響く。
コツ、……コツ、……コツ。
赤いシルクハット。
赤いスーツ。
赤い瞳。
FORSAKENの絶対支配者、スペクターは、大理石の調理台へ歩み寄りながら淡々と告げた。
「見捨てられた者たちを支配するなら、まずは胃袋」
恐ろしいほど普通のトーンだった。
「文化も思想も、食卓から侵食するのが最も効率的だ」
その指先から、どろりと漆黒の魔力が溢れ出す。
調理台に盛られた最高級小麦粉へ、
ゆっくり、丁寧に混ぜ込まれていった。
「自在に形を変え」
「意思を持ち」
「あらゆる食材を包み込み」
「従順で」
「扱いやすく」
「完璧な料理生命体――」
ぐちゃ、……ぐちゅ。
生地が脈動する。
粘つく肉のように蠢きながら、
次第に“人型”を形成していった。
白いコック帽。
白いコック服。
首元には、鮮やかな赤いスカーフ。
そして。
なぜか最初から、
満面の笑顔。
「――よし」
スペクターは紅茶を一口飲む。
「これで計画は、また完璧へ――」
どたん。
「?」
ばしゃ。
「…………」
ブォォォォォォォォン!!!!!!
生まれたばかりのパン生地生命体――John Dough(ジョン・ドウ)は、
生誕の喜びを全身で表現するように床を転げ回り、
その勢いのまま、
厨房の隅に鎮座していた
“業務用大型魔導ミキサー”へ激突した。
火花。
爆音。
焼けた生地の臭い。
金属が噛み合う嫌な音。
そして――沈黙。
数秒後。
スペクターが静かに視線を向ける。
そこには。
「…………」
右腕が。
完全に。
ミキサーになったジョン・ドウが立っていた。
白いコック服。
赤いスカーフ。
満面の笑顔。
そして右腕だけ、
ゴリゴリの業務用大型ミキサー。
ブォン。
ブォン。
ブォォォォン。
高速回転。
風圧でスペクターの赤いスーツの裾がバサバサ揺れる。
普通なら発狂案件だった。
創造初日で取り返しのつかない事故。
完全な設計ミス。
大失敗。
しかし。
スペクターは一切動じない。
眉一つ動かさず、
ただ真顔でジョン・ドウを見つめた。
「……まぁ」
ブォォォォン。
「よく混ざりそうでいいんじゃないかな」
採用だった。
「ありがとうございます!」
ジョン・ドウは嬉しそうに高速回転を始める。
ブォォォォォォン!!!
厨房の棚が揺れた。
「元気だね」
スペクターは紅茶を飲んだ。
その頃。
厨房入口では。
「…………」
アズールが、
疲れたような顔で始末書を書いていた。
『厨房設備:半壊』
『魔導配線:断裂』
『壁:抉れる』
『原因:生まれたて』
「意味が分からない……」
廊下ではホスフォラスが腹を抱えて転げ回っていた。
「ギャハハハハハハ!!!!
生まれて三秒でミキサー融合!?!?
そんな事故ある!?!?」
「笑い事じゃありません」
「いやでも右腕ミキサーだよ!?
なんで“まぁいいか”で済ませたのスペクター様!?」
「スペクター様は基本“結果的に使えればヨシ”なので……」
その奥で。
ジョン・ドウは満面の笑顔のまま、
嬉しそうに卵を百個ほど攪拌していた。
ブォォォォォォォォン!!!!
「速いね」
「速いですね……」
FORSAKEN暗黒厨房。
こうして、
とんでもない新人が爆誕したのである。
数日後。
スペクターは魔界の裏路地を歩いていた。
高級な薔薇の香り。
赤い革靴。
一切ブレない優雅な足取り。
周囲の魔物たちは、
彼の姿を見た瞬間に静かに道を開ける。
今日の目的は一つ。
“料理に狂っている者”。
そして。
見つけた。
「火加減が雑だと言っているだろうがァァァ!!」
ゴォン!!!!!!
巨大な魔物がフライパンで吹き飛んだ。
壁にめり込む。
さらに。
「その肉!!
焼く前に常温へ戻していない!!
貴様は食材への敬意がないのか!!」
カァン!!!!
別の魔物が頭からゴミ箱へ突っ込んだ。
地獄だった。
だが。
スペクターの赤い瞳は、
むしろ静かに細められる。
そこにいたのは、
異形の料理人。
黒い顔。
黒い腕。
肋骨が透ける身体。
純白のコック帽。
真っ白なエプロン。
そして。
血塗れでもなお黄金に輝く、
巨大なフライパン。
――1eggs。
「料理は芸術だ!!
一秒の油断が味を殺す!!
貴様らは何故それが分からん!!」
ゴォン!!
また一匹飛んだ。
ホスフォラスなら腹を抱えて笑う光景だった。
「これはもう料理人じゃなくて処刑人では?」
「実際三人くらい死んでます」
「厨房こわ……」
スペクターは静かに歩み寄る。
コツ。
コツ。
コツ。
その瞬間。
1eggsの動きが止まった。
本能が理解したのだ。
“ヤバい奴が来た”。
振り返る。
そこには、
圧倒的な威圧感を纏った赤い男。
スペクターは、
金色のフライパンを見つめながら呟いた。
「いい音だ」
「…………」
「その狂気じみたこだわりも素晴らしい」
「…………何者だ」
スペクターは懐から薔薇の葉を一枚取り出す。
「君をスカウトしに来た」
「スカウト?」
「最高の厨房を用意しよう」
「…………」
「最高の食材も」
1eggsの金色の瞳が揺れる。
「好きなだけ料理に狂っていい」
沈黙。
数秒後。
1eggsはフライパンについた返り血を、
丁寧に、丁寧に拭き始めた。
ゴシ。
ゴシ。
キュッキュッ。
異様なほど几帳面だった。
やがて。
黄金のフライパンを鏡みたいに磨き上げた1eggsは、
低い声で言う。
「……焦げた肉を出す奴は?」
「処分して構わないよ」
「最高だな」
即決だった。
その瞬間。
廊下の奥で見ていたホスフォラスが吹き出した。
「早ッッッ!!!!」
アズールはこめかみを押さえた。
「また問題児が増えた……」
「しかも今度は“料理への狂気”タイプだよ!?
絶対ヤバいって!!」
「FORSAKENに“ヤバくない奴”がいると思いますか」
「ノスフェラトゥが比較的マシに見えてきた」
「末期ですね」
そして、厨房。
ジョン・ドウが笑顔でミキサーを回していた。
ブォォォォォォォォン!!!!
1eggsの金色の目が輝く。
「……いい攪拌音だ」
ジョン・ドウも笑顔で応える。
「きみのフライパンもいいね」
「なんか通じ合ってる!」
ホスフォラスは床を転げ回った。
スペクターは紅茶を飲んだ。
こうしてFORSAKEN暗黒厨房に、
“混ぜる狂人”と、
“焼きに取り憑かれた怪物”、
最悪の新人料理人二名が加入したのである。
#見捨てられた
ゆゆゆゆ
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