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2月の深夜の東京歌舞伎町。暖冬傾向の日々の後に突然到来した寒波のせいで凍えるような寒さだった。
不夜城とも言われる新宿の繁華街も、その日だけは寒さのせいか、人通りは途絶え、遠くにちらほらと24時間営業のファストフード店の看板の灯りが見える程度だった。
途中の高さにゴジラの頭が乗っている事で有名な、低層階はシネマコンプレックス、上層階はホテルのビルの正面の歩道に、奇妙な空間のゆらぎが現れた。
直径2メートルほどの球状の空間が何もない場所に現れて、その表面は水面下から見た景色のようにゆらゆらと瞬き、向こう側の光景が歪んで見えた。
やがて歪んだ空間の揺らめきの中から4つの人影が現れ、球状の空間から出た。その歪んだ空間はたちまち消え去り、人影の輪郭がはっきり見えて来た。
真ん中に腰まで届きそうな長いストレートの黒い髪の女性がいた。彼女は大ぶりな電動車椅子に乗っていた。
左にはセミロングの黒髪の女性。彼女は手に視覚障碍者用の白い杖を持ち、その両目は開いていたが、瞳は焦点が何にも合っていない。
車椅子の左には2本の松葉づえで体を支えているボブカットの髪の女性。彼女は裾が広がったスラックスをはいていて、その裾と靴の間には一目でそれと分かる木製の義足がのぞいていた。
車椅子の後ろで、グリップを両手で握っている女性は肩にかかる程度の長さの明るい茶髪。落ち着きなく辺りをキョロキョロと見回し、頭上のゴジラの頭部のモニュメントを見つけると、幼児のような口調で歓声を上げた。
「わあ、カイジュ、カイジュ、キャハハ」
車椅子の女性がゆっくりと周りを見渡しながら言った。
「ふうん、ここが大都会東京という所ですか。時間のせいか、想像していたより人は少ないですね。雪(ゆき)ちゃん、お疲れさま。さすがにぴったりの場所へ運んでくれましたね」
雪と呼ばれたのは義足の女性だった。雪は車椅子の後ろではしゃいでいる茶髪の女性を見ながら応えた。
「星(ほし)が以前テレビかなんかでここの光景を見て覚えていたからね。ま、月(つき)ちゃんのナビなら大丈夫だと思ってたけど」
月と呼ばれた白い杖の女性が車椅子の女性に訊いた。
「星ちゃんの頭の中のイメージを正確に雪さんに伝えたつもりだけど、ここで合ってますか、華(はな)ねえ様」
華と呼ばれた車椅子の女性は体の前を覆う毛布を右手でずり上げながら身震いした。
「ええ、やはり人が多い都会から事を始めたいですからね。ぴったりの場所ですよ、月ちゃん。でも、東京もこの時期は結構寒いのね。菅平(すがだいら)ほどではないにしても」
華は毛布の下の、自分の腹の辺りに手をあてて言った。
「ともかく宿を探しましょう。宙(そら)ちゃんの体調が心配」
4人の女性たちが車椅子を中心にして移動を始めた。義足の女性がビルのすぐ前の広い空間を見て言った。
「ここ、何だろう? 柵で四角に囲んであるけど」
そこはちょっとした広場と言っていい面積の一角だった。低い金属の柵がずらりと周りを囲んでいて、中には運動会や大規模イベントで使われるような大型のテントが複数設置してあった。
柵の中は通り抜けられそうにないので、柵の外周に沿って移動していると、近くのビルの陰から、二つの人影が猛然とした勢いで飛び出して来た。
その二人は後ろを振り向きながら走って来たため、華の車椅子にもろにぶつかった。車椅子が横に傾き倒れそうになり、飛び出して来た二人は足がもつれてその場に転がった。
まっすぐ横倒しになりそうな車椅子から華の右手が伸び、明らかに重力に逆らう動きで車椅子は元の位置に戻った。
地面から起き上がったのは、まだ10代半ばごろに見える二人の少女だった。首筋までのボサボサした髪を金髪に染めている、派手なピンク色の上着と革のミニスカートといういで立ちの少女が先に起き上がり、もう一人の、ベージュ色のワンピースの少女の手を引っ張って起き上がらせた。
長い黒髪を首筋の後ろでまとめているベージュ色のワンピースの少女は、立ち上がるとあわてて華たちに頭を下げた。
「すみません、お怪我はありませんか?」
金髪の少女も少し青ざめて顔で謝罪した。
「ごめんよ、おねえさんたち。実は追われててさ」
華が怪訝そうに首を傾げて訊いた。
「追われてるって、誰に?」
通りの角の向こうから男性の声が複数聞こえて来た。
「どっちへ行った?」
「その角を曲がるのが見えました」
華が車椅子の中から他の3人に目配せする。義足の女性、雪が車椅子の後ろの荷物入れから薄い毛布を取り出し、二人の少女を華の左右にしゃがみ込ませ、その上をすっぽり毛布で覆った。
数秒後、角を曲がって二人の制服警官がすごい勢いで走って来た。うち一人が華たちに訊いた。
「失礼。今この近くで二人組の女の子を見かけませんでしたか? 中学生か高校生ぐらいの年頃の」
「ああ、さっきの子たちかしら?」
華は何食わぬ表情と口調で警官に答える。
「たった今ものすごい勢いで目の前を走って行きましたよ。あやうく車椅子をひっくり返されるところでした」
警官が大きくうなずきながらさらに訊いた。
「どっちへ向かったか、分かりますか?」
「確かあそこの……」
華は通りの反対側の路地の入口を指差しながら言った。
「横道に走って行ったと思います」
「そうですか、ご協力感謝します。では、これで」
二人の警官は華に教えられた方角に、脱兎のごとく疾走して行った。警官の姿が完全に見えなくなったのを確かめて、華は自分の車椅子のかたわらにうずくまっている少女たちに言った。
「もう出て来ていいわよ。お巡りさんたちは行ったみたいだから」
毛布をそっと持ち上げておそるおそる二人の少女は顔を出して周りを見回した。もう警官がいない事を確信すると、毛布をはねのけて立ち上がった。金髪の少女が華に訊いた。
「助かったよ、けどなんでうちらを助けてくれたんだい?」
華はかすかな微笑みを顔に浮かべて答えた。
「実は私たちもいろいろ訳ありなんですよ。困った時はお互い様という事」
黒髪の少女がもじもじしながら言った。
「ええと、ありがとうございます。あの、何かお礼をしたいところなんですけど、あたしたち、今はお金を持ってなくて」
「ふうん」
華が右手をあごにあてて考え込んだ。そして少女たちに訊いた。
「あなたたち、この辺りには詳しいですか?」
金髪の少女が得意そうな顔になって言った。
「おう、詳しいよ。うちら、元トー横キッズだからさ」
華はにっこり笑って言った。
「ああ、あの有名な。じゃあ、あたしたちを数日案内してもらえるかしら。とりあえず、この辺りにホテルを取りたいの。あなたたちも一緒にいらっしゃい」
二人の少女は驚いて顔を見合わせていたが、結局その話に乗る事にした。一行は夜の歌舞伎町で、ホテルを探して暗がりの中に消えて行った。
一行は1時間ほどホテルを探して歩き回った結果、結局元の場所に戻って来てしまった。
華(はな)の車椅子で入れるホテルは限られていた上、その条件に合う大規模なホテルはどこも満室だったからだ。
やがてさっきの二人の少女と、義足で松葉杖をついた雪がビルの入り口から外へ出て来た。雪は華の所へ来て告げる。
「ねえ様、部屋取れたよ。トリプルルームひとつ、ツインがふたつ」
華はビルを見上げながら言った。
「灯台下暗しとはこの事ね。すぐ側に高級ホテルがあったなんてね」
あの少女二人も華の車椅子の横に駆け寄って来て、一緒にビルを見上げた。
全員が、途中の階の段差の上にゴジラの頭部が飾ってあるそのビルを見上げてしばらく見入っていた。金髪の少女が心底驚いたという口調で言った。
「ウチも知らなかった。この上の階ってホテルだったのか」
黒髪の少女がかすかな苦笑を浮かべて言いにくそうに金髪の少女に言う。
「いや、メグちゃん、あちこちにホテルの案内表示あるんだけど」
華が二人の少女に向かって訊いた。
「そう言えばお互いに名前を言ってなかったですね。私は華(はな)。この子たちは、義足の子が雪、白い杖の子が月、それとそこの」
華は自分の頭を指で指しながら、見た目には何も異常がない女性の名を告げた。
「ここが子どもみたいなのが星。それであなた達の名前は? ああもちろん本名じゃなくて、呼び名でいいですよ」
金髪の少女が浮かれた口調で名乗った。
「ウチはメグって呼んで」
黒髪の少女がか細い声で名乗る。
「ええと、じゃあ、あたしはリカです。あの、本当にいいんですか? こんな高級ホテルの部屋をあたしたちの分まで払っていただいて」
華は柔らかい笑顔で答えた。
「ご遠慮なく。この街のガイド料ですよ。さあ、早くチェックインしましょう。一段と寒くなってきたことだし」
既に深夜であったため、ホテルの中のレストランなども閉店しており、ロビーは閑散としていた。
ホテルのロビーの受付係の男性は、急な6人の女性客の来訪に多少戸惑っていたが、職業上それはおくびにも出さず、宿泊者名簿に華が記載した内容にも特に矛盾はなかったので、事務的に手続きを進めた。
彼はトリプルルームの所を見て華に尋ねた。
「失礼ですがお客様、この宙(そら)様という方はお見えではないのですか?」
華は落ち着いた口調で答えた。
「ああ、後で合流する予定なので。もし来なかったとしても、トリプルルームの料金はお支払いしますから、ご心配なく」
「さようでございますか。承知いたしました。ではこちらが皆様のカードキーでございます。もしよろしければ、お部屋までご案内いたしましょうか?」
彼の視線が自分の車椅子にちらりと向けられたのに気づいて華はにっこり笑って答えた。
「いえ、お気遣いなく。旅行には慣れていますので」
「失礼いたしました。それではごゆっくりお過ごしください。何か御用がありましたら、24時間フロントで受け付けいたしております」
それから一行はそれぞれの部屋へ向かった。メグ、リカと名乗った少女二人はひとつ上の階なので、途中でエレベーターを降りた。
華、雪、月、星の4人は同じ階の隣り合った部屋へ行き、華と雪がトリプルルームへ、月と星がツインルームに入って行った。
華と雪はトリプルルームに入り、三つ並んだベッドの一番奥に華は車椅子を付けた。花が体を覆っている薄い毛布をどけると、長さ30センチ、直径20センチほどの円筒形の、金属容器のような物体が現れた。
雪が華に訊く。
「ねえ様、ユニットはまだもってる?」
「ええ、あと2,3日は大丈夫でしょう。念のため充電だけしておいて」
雪はその円筒を抱きかかえ、真ん中のベッドの上に置き、華から充電ケーブルを受け取って、ベッドヘッドにあるソケットと円筒をつないだ。
それからベッドのシーツや枕で円筒を周りから包み込むように固定し、自分は入り口側のベッドに腰を下ろした。思い出したように華に問いかけた。
「ところで、ねえ様。この街で何をするつもり? あんな家出娘まで二人も拾って、なんか役に立つのかな?」
華は車いすからベッドに、腕の力だけで体を移動させながら答えた。
「それはこれからのお楽しみ。何をするべきかは、あの家出少女たちが教えてくれそうだと思ったからよ」
同じころ、メグとリカはあてがわれたホテルの部屋の豪華さに驚いていた。リカは似た様なホテルに家族旅行で泊った事があると言い、それほど困惑していなかったが、メグはベッドの上で飛び跳ねてはしゃぎまくっていた。
メグはトイレやバスルームの扉を次々と開け放し、その度に大声でリカに言った。
「何これ? やばいじゃん。トイレの床がピカピカ! うわ、風呂がシャワーだけじゃなくて風呂桶まであんじゃん」
リカは苦笑の表情を隠しながら、メグに応えた。
「メグちゃん、声が大きいって。外に聞こえちゃうよ」
メグは気にする様子もなく、部屋の隅に駆け寄ってしげしげと、ある物を見つめた。振り返ってリカに尋ねた。
「リカ、これ何? 金庫?」
「そんな大きな貴重品入れあるわけないよ。それは冷蔵庫」
「はあ? なんでホテルの部屋の中に冷蔵庫があんだよ?」
「いやほら、冷たい飲み物とか入れるためだよ。メグはこういうホテル泊まるの初めて?」
「こういうも、そういうもねえよ。ホテルとか旅館なんか、生まれてこのかた入った事ない」
「家族旅行とかした事ないの?」
メグは軽く舌打ちして答えた。
「前に何度も話しただろ。ウチの家は貧乏なんだよ。家族で旅行なんて、夢のまた夢、そういう家だって。自慢じゃないけど、生まれてこのかた、自分ちのボロアパートと、トー横の地面の上でしか寝た事ねえよ」
交代でバスルームでシャワーを浴び、リカは部屋に備え付けのバスローブを羽織った。後からバスルームから出て来たメグが素っ裸だったので、リカはあわててバスローブを羽織らせた。
「ダメだよ、メグちゃん。女の子が裸のまま出て来たら」
「おい、これ着て大丈夫なのか? ウチ、金ねえぞ」
「これは宿泊客用の備品だからお金は取られないって」
「すげえな。前にトー横で一緒に飲んだねえちゃんが言ってたラブホとは大違いじゃん」
二つ並んだベッドに入り、二人は何となく会話を続けた。リカが心配そうな口調で言った。
「こんな贅沢させてもらって本当に大丈夫かなあ? あのおねえさんたち、お金持ちなんだろうけど、変な事が目的だったりしないかな?」
メグは寝ころんだままベッドのスプリングの効きを楽しむように体を跳ねさせながら答えた。
「みんな女なんだから、ウチらの体目当てって事はないだろ。それに4人とも障碍者ってやつ? そういう人たちだろ。やばくなったら簡単に逃げられるさ」
「ううん、そうだといいけど」
メグがいつの間にかスヤスヤと寝息を立てているのに気づき、リカはメグに布団をかけてやり、自分も部屋の灯りを消して眠りについた。
翌朝、10時過ぎになってメグとリカは建物の8階、ホテルのロビー脇のラウンジにやって来た。
奥の席でコーヒーを飲んでいる華が手を振って二人を呼んだ。落ち着きなくキョロキョロと周囲を見回しながら歩くメグを、リカがハラハラしながら後ろからメグが何かにぶつからないように気をつけながらついて来た。
華たち4人の隣のテーブルに座ったメグとリカに雪がメニューを手渡した。メグが手を顔の前で振りながら言った。
「ああ、ウチは水だけでいいよ」
リカがあわててメグに言う。
「だめだよ、リカちゃん。お店に入って何も注文しないのは」
メグはメニューをのぞき込んで頭を抱えた。
「な、何だよ、この訳の分かんない名前の飲み物は。どんな物かさっぱり分かんねえ」
リカが遠慮がちに華に訊いた。
「あの、ケーキセット頼んでいいですか?」
華は微笑みながら答える。
「ええ、何でも好きな物を頼んでいいわよ。遠慮しないで」
メグが驚いて大声を出しかけたのでリカがあわてて手でその口をふさいだ。
「は? 2千円超えてるって、ぼったくり……」
「メグちゃん、そんな事大声で言わないの」
ケーキセットが届くまでの間、メグはキョロキョロと店内を見渡し、ある事に気づいて歓声を上げた。
「わ! この店の窓の外にゴジラの頭あるじゃん。それもすぐそば」
華がコーヒーを飲みながら言った。
「ここのテラスにあるのよ。後で出てみましょう。手で触れるそうよ」
やがてケーキセットが運ばれて来て、メグはさっそくケーキにかぶりついた。リカがほんの少しジュースに口をつけて華に向き直り、遠慮がちに尋ねた。
「あの、失礼でなければ皆さんの事をお聞きしていいでしょうか?」
華が答える。
「ああ、そう言えば、詳しい自己紹介がまだだったわね。私の名前は華(はな)。見ての通り全身が不自由でね、動かせるのは上半身、特に右側だけなの。体の残りの部分は程度の差はあるけど生まれつき麻痺してるの」
義足の女性が告げる。
「あたいは雪(ゆき)。これも見ての通り、生まれつき両脚が半分無いの」
白い杖を持った女性が言う。
「わたくしは月(つき)と申します。生まれつきの全盲でして。ほら星(ほし)ちゃん、ごあいさつなさい」
月の隣に座っている女性が幼児のような口調で言った。
「えとね、あたし、星。後でカイジュ見よ、カイジュ」
華がリカに言った。
「この子は体は五体満足だけど、生まれつきの重度の知的障害者なの。以前診てくださったお医者様が言うには、4歳児程度の知能指数なんですって。もう一人宙(そら)という名前の子がいるけど、今は事情があって一緒にいないの。機会があったら改めて紹介するわ」
それから一行はホテルから外へ出て、ゴジラの頭が乗ったビルの周りを歩いていた。メグとリカは華の車椅子の左右に付いて話の続きをした。
まず華がメグとリカに尋ねた。
「ところで、あなた達は何故警官に追われていたの? 昨日の夜に」
メグが笑いながら答えた。
「ああ、ありゃいつもの事だよ。ウチらいわゆる家出中の未成年だもんな」
「あら、家出なの。家族の方とケンカでもした?」
「ウチの場合は、毒親から逃げてんの。ウチの両親、ウチが小さい頃に離婚して、ウチは父親に引き取られた。ほんとは母親の方がだらしない親父に愛想尽かして出て行ったんだけど、ウチもその時捨てられたようなもん」
「私たちは親がいない、あ、というより、親と暮らした事がないのでよく分からないんだけど、毒親ってどういう事かしら? 言葉は聞いた事はありますが」
「子どもにとって毒にしかならない、ダメな人間。ま、事情は人それぞれだけどさ。ウチの親父は若い頃は不良だったんだって。本人はそれ自慢してるけどさ。高校も中退して仕事も何やっても2年と続かないで辞めちまったり、クビになったりの繰り返し。ウチが覚えてるだけで5,6回仕事変わってる。どれも底辺の仕事ばかり」
「あなたのお父様なら、就職氷河期世代だから、という事かしらね? 年齢的に」
「へえ、おねえさん、よくそんな事知ってるね」
「なにしろこんな体だから、本を読むのが唯一の楽しみで、唯一出来る事でもあるのよ。知識だけはあるんだけど、実際に世の中を見てみないと分からない事もあると思って、それで旅をしているの」
「すごいね、ウチは本なんて学校の課題でしか読んだ事ねえや。あ、ウチの親父の事だったね。ま、確かにその氷河期世代とかいう年ではあるんだけど、でもウチの親父はそれとは関係ないね。ありゃ根っからの人間のクズ。時代は関係ないと思うよ」
「お父様とうまく行ってないようね」
「そんな生易しいもんじゃないって。仕事はしょっちゅうさぼって朝から酒飲んで酔っ払って、小学生の頃は何かといえば殴る蹴るの暴力。中学の時一回殴り返してやったら、それはやんだけど、そしたら何かにつけて金を持って来いって言うようになってさ。女なんだから体売ればいくらでも金稼げるだろって」
「それは辛かったわね。虐待という物かしら?」
「そういう事。金ないからずっと服もぼろいのを3着だけ一年中着回すとかさ、そういう生活だったから高校に入っても周りの子とうまく付き合えなくてさ。入学して1か月で学校行くの嫌になって、この界隈に来るようになったわけ」
「界隈って、この辺りの事?」
「うん、世間の連中はウチらみたいのをトー横キッズって呼んでる」
「ああ、それも何かで読んだ事があるわ。あなた達がそうなのか」
華はリカの方に顔を向けて訊いた。
「あなたはリカさんだったわね。あなたは貧困家庭の子どもには見えないけれど、やはり虐待を?」
リカは考え込みながら答えた。
「あ、いえ、あたしの場合は、メグちゃんに比べれば恵まれた家庭環境だとは思うんですけど。どっちかというと、金持ちとまではいかないけど、お金には不自由しない家です」
「でもお家にいたくない理由があるのでしょ?」
「あたしもダメ人間なんで」
「あらそう? そうは見えないけど」
「あたしには二つ年上の兄がいるんですけど、成績もトップクラスだしスポーツも万能のすごく優秀なお兄ちゃんで、来年は東京大学受験する予定で。その兄と比べると、『おまえはダメな人間だ』といつも両親から言われてて」
「ふうん、あたしたちは血のつながった本当の姉妹ではないけれど、まあ家族のようなものとしてずっと暮らして来たから、なんとなく分かるかしらね。そんな風に比べる物じゃないと思うけど、普通の親子、兄弟なら」
「ええと、そこ、あたしよく分からないんです。よその家庭がどういう感じなのか、そんな事学校のクラスメイトには話せないし、先生に相談も出来ないし」
口ごもってしまったリカに代わってメグが怒ったような口調で言った。
「リカはダメ人間なんかじゃないよ。何て言ったっけ、ヘンタイじゃなくて……あ、偏差値だ。リカの偏差値、ウチの倍だよ、2倍。リカの親って理想が高過ぎんだよ」
華が車椅子の上で上半身ごと左右に顔を向けて言った。
「なるほど、お二人の境遇はずいぶん違っているようね。でもこのトー横と言うのかしら、ここでは仲良しなのね」
メグが寒さを紛らわせるためか、小さくぴょんぴょんと飛び跳ねながら言った。
「この界隈に来れば、生まれがどうとか、学校の成績がどうとか、そういうの全部関係なく仲間って感じで付き合ってくれる年の近い連中がいつもいるからね。リカとは不思議と気が合って一番の仲良しだから自分の事話したけどさ、言いたくなきゃ誰にも事情なんて話さなくても済むし、訊かないのがルールだしさ。とにかく居心地いいんだよ、この界隈は」
リカは笑顔を顔に取り戻して言った。
「あたしもメグちゃんと出会わなかったら、悪い大人の人にさらわれてたかも。それにメグちゃんの身の上聞いたら、自分はまだマシな方だったんだなあって初めて知って」
メグが大きくうなずきながら言った。
「それはウチも一緒。リカと出会わなかったら、まともな家庭とか親ってどういうもんなのか一生知らないでいただろうね。そもそもウチみたいな底辺の家のガキと、リカみたいないい家の子が出会って友達になる事なんて普通ねえよ。それが出来たのは、このトー横界隈って場所があるおかげ」
華は心底感心した表情で言った。
「だいぶ分かってきたわ。このトー横という場所はあなた達にとって、とても特別で大切な場所なのね」
リカが不意にまた暗い表情になってぽつりとつぶやいた。
「そういう場所だった……と、もう過去形にするべきなのかもしれないですけど」
華が眉をピクリと上げて尋ねた。
「過去形? どういう意味かしら?」
リカが少し離れた位置にある低いフェンスで囲まれた場所を指差しながら答えた。
「あそこは以前は何もない広場だったんです。トー横キッズって呼ばれてる子たちはそこに集まって座り込んで、朝まで過ごしてたんですけど、突然イベントスペースにするとかで、あんな風に囲われてしまって」
憤懣やるかたないという口調でメグが言った。
「そんなん口実だよ。ウチらが目障りだってんで、この界隈から追い出そうとしてるに決まってる」
華がメグに向かって言った。
「それでは、トー横キッズのみんなは今どこに?」
「今はまだあのゴジラビルの横側の歩道は立ち入り禁止とかにはなってないから、その辺りに集まるようになってる。けど、そこも時間の問題かもな。去年の暮ぐらいからかな、警察の一斉補導とか見回りとかもやたら厳しくなってさ。そのうちこの界隈には集まって来れなくなるかもね」
華の瞳の奥に鋭い光が走った。華はゆっくりと二人に尋ねた。
「それでは、あなた達はせっかく見つけた自分の居場所を奪われようとしている、という事かしら?」
メグとリカは顔を見合わせ、同時に深くうなずいた。リカが言う。
「そうなんですよ。警察に補導されると無理やり親元に戻されてしまうし。あたしなんかはまだ一晩中説教されるぐらいで済むけど、メグちゃんみたいに家庭で虐待受けてる子を家に戻したりしたら何されるか……」
メグはため息をつきながら言った。
「そりゃ、界隈に集まって来る連中は、道端で酒飲んだり、騒いだり、ゴミまき散らしたり、迷惑なのは分かるけどさ。ここから追い出したって何の解決にもならねえよ。トー横と同じような場所がどこかに出来るだけさ」
それから一行は歌舞伎町とその周辺をゆっくり歩き回り、ハンバーガーショップで昼食を取り、夕方になってホテルに戻った。
夜になってトー横キッズが集まったら様子を見に行く事になり、一旦それぞれの部屋に戻った。
夜9時過ぎ、一行はまたホテルのロビーに集まり、メグとリカの案内でトー横キッズのタマリ場へと出かけた。
ホテルが入っているビルの横側の歩道の辺りに、もう十数人の十代とおぼしき男女がいた。
数人は路上で車座に座り込んで、他愛のないおしゃべりをしながら、缶飲料をがぶ飲みしていた。
一人の高校生ぐらいの少女が道の真ん中で奇声を発しながらクルクルと体を回転させていた。本人はダンスを踊っているつもりらしく、周りにしゃがみ込んだ数人が囃し立てていた。
歩道の隅にはもう酔いつぶれたらしい少年がビルの壁に背を持たせかけて眠り込んでいた。その少し離れた隅には、高校生ぐらいの年頃の少女が仰向けに寝転がっていた。しきりに体をぴくぴくと動かし、時々うめく様な声を漏らしていた。
華が車椅子のレバーを動かし、その少女の側に来た。メグとリカに尋ねる。
「この子はどうしたのかしら? 気分が悪そうだし、ただ眠っているだけには見えないけれど」
メグが路上の空の紙箱を指でつまみ上げて言った。それは市販の風邪薬の大箱だった。錠剤の包装パックがそこら中に散らばっていた。
「オーバードーズしたんだね。ウチも何度かやった事あるから分かるけど、死にはしないと思うよ。ほんとにヤバくなったらさすがに周りの連中が何とかするだろうし」
「オーバードーズとは何です?」
「薬局で買える風邪薬とか睡眠薬とか、そういう薬を箱一杯一度に飲むんだ。エナジードリンクとか酒で流し込んでさ。そうすっと、しばらくだけど頭がほわっとして何もかも忘れていられるんだよ。麻薬ってこんな感じかなって」
華が首を後ろにひねって月に言った。
「月ちゃん、この子の心をのぞいて見て」
月は白い杖で道路の表面をなぞりながら、寝転んでいる少女のかたわらに膝をつき、そっとその頭に掌を乗せた。華に言う。
「なんというか、説明しがたい思考が渦巻いてます」
華が車椅子をさらに寄せて右手を伸ばした。月に向かって言う。
「私に伝えてちょうだい」
月が少女の頭に手を置いたまま、もう一方の手を華の手につなげた。華は目を閉じ、独り言のようにつぶやいた。
「痛い、苦しい、つらい、悲しい、憎い、悔しい、死にたい、死にたくない……確かに理解しがたい感情ね」
突然メグが声を潜めてリカに告げた。
「やべ! 警察がこっち来るぞ」
二人の制服警官が左右を見渡しながら一行がいる方に歩いて来ていた。華は車椅子を器用に半回転させてメグとリカに言った。
「今夜はここまでしましょう。メグさんとリカさんは私の車椅子を後ろから押して。そうすれば警察官も怪しくは思わないでしょう」
華の車椅子を先頭に、一行はホテルの入り口の方に向かった。途中すれ違った制服警官は特に気を留めなかった。
ホテルに戻って一旦それぞれの部屋に戻り、華、雪、月、星の4人は華の部屋に集まった。
華は真ん中のベッドの毛布の下からあの円筒状の容器を取り出し、車椅子に乗ったまま膝の上にそれを抱きかかえるように置いた。そして他の3人に言った。
「決めたわ。ここで最初の実験をやるわよ」
ベッドの端に座り義足の先をぶらぶらさせて雪が訊いた。
「いいけど、華ねえさん、ここに何があるわけ?」
「分断よ」
「分断?」
「生きるのがつらくて苦しくて、藁にもすがる思いでこのトー横に集まって来る少年少女たちと、彼ら彼女らの苦悩を理解しようともせず、ただ排除しようとしている大人たち。この分断を増幅させてやれば、私たちの計画に必要な何かが分かるかもしれない」
華が服のポケットから小さな折り鶴を取り出した。雪がそれを見て部屋の窓に松葉杖を突いて近寄った。
月が星の手を引いて華の傍らに寄り、華の膝の上の円筒形の容器に3人そろって掌を乗せた。華が星に言う。
「星ちゃん、計算をお願い」
知的障碍者特有のあどけない笑いを浮かべていた星の顔の表情が一転して真剣な物になった。
数十秒の間を置いて華が円筒形の容器に向かってやさしい口調で問いかけた。
「宙(そら)ちゃん、本番よ。今回はどんな体が欲しいの?」
折り鶴がふわりと宙に浮いた。それはそのまま宙をゆっくりと飛び、窓に向かった。雪が窓のガラスを斜めに開けてその隙間から折り鶴は夜の空へ舞い上がって行った。
華が目を閉じ何かを念じるような表情になった。夜空を舞う折り鶴は、あのフェンスで囲まれた元広場の上空にたどり着くとその場で宙に浮かんだまま止まった。
折り鶴がくしゃくしゃになり、内側に向かって潰れた。それはさらに小さくつぶれ続け、やがて紙の繊維の形も無くなり、さらに1点に向かって収縮し続けた。
やがて原子核がその形を維持できなくなるまで崩壊し、原子核の内部の陽子と中性子が崩壊し、陽子と中性子の中のクォークが密着してさらに潰れ、中心の1点に向かって潰れ続けた。
さっきまで折り鶴の形をしていた物質は全て、その質量がエネルギーに変換されて中心の見えない点の中に吸い込まれて行く。
一瞬、ガンマー線のバーストが起こり、その巨大な物は突然その場に出現し、フェンスで囲まれた広場だった場所の地面に降り立った。
ズシーンという鈍い音とかすかな振動を引き起こして、その巨大な生物はフェンスで囲まれたアスファルトのスペースに立っていた。
長さ1メートルほどの小型のフェンスがいくつも横に吹き飛ばされ、スペースの隅に立てられていた大型のテントが揺れて横倒しになった。
夜空の下、歌舞伎町の煌々とした無数の照明に照らされたその姿は、翼を持って直立二足歩行をする、鳥に似た生物に見えた。
高さ20メートルのその巨体に気づいた通行人たちが口々に驚愕の声と悲鳴を宙に響かせた。
「な、何だ、ありゃ?」
「化け物? 怪獣?」
「おい、こっち見てるぞ、逃げろ」
「きゃあああ、誰か助けて!」
さっきトー横キッズを見回っていた制服警官二人が近くに駆け付け、一人が反射的に腰の拳銃を抜いて構えた。もう一人に叫ぶ。
「署に連絡してくれ。俺は周りの通行人を避難させる」
怪鳥が銃を持った警官の方を向き、下に曲がった鋭い|嘴《くちばし》を開き「クワー」と声を発した。
拳銃を持った警官は銃口を真上に向けて威嚇射撃を一発放った。だが怪鳥は驚いた様子も見せず、その体が急に宙に浮いたように見えた。
実際には怪鳥は折りたたんでいた両足を伸ばして、背骨を真っすぐにした姿勢で立ちあがったのだった。
羽毛で覆われた体の下から|鱗《うろこ》のようながさがさした表面の細く長い脚が真っすぐ地面に伸び、その足先には鋭いカギ爪が3本突き出ていた。その体高は30メートルになった。
怯えて真っ青な顔になった警官が怪鳥の向けて銃口を構えた時、嘴からピュッと黒っぽい液体が吐き出された。
その液体は警官の周囲に飛び散り、警官の体の右側にその液体がかかった。一瞬の後、警官は絶叫した。
「うわああ! 腕が、腕があ!」
液体を浴びた警官の右腕は表面が氷で覆われ、湯気のような白い気体がそこから立ち昇っていた。
連絡を終えて戻って来たもう一人の警官が、その同僚を肩で支えてその場から逃げ去った。
通行人が全て逃げていなくなると、怪鳥は両足を縦に折り畳んで、フェンスで囲まれていたスペースにまた座り込み、歌舞伎町の入り口の方に視線を向けたまま、時折翼を広げて見せながら、その場から動かなくなった。
翌日早朝、バリケードと警察車両に四方を取り囲まれた歌舞伎町に1台のバンが駆けつけた。
車から降りて来たのは渡研の一行だった。宮下が封鎖の指揮を執っている機動隊の隊長の所へ行き様子を訪ねた。機動隊の隊長は苦々し気な口調で答えた。
「とにかく突然、地面から生えたか、空から降りて来たかのように現れたという事です。バリケード内部の民間人は全員避難させようとしたのですが……」
その語尾に宮下は顔をハッと上げた。
「避難していない人がいるという意味ですか?」
「数人の未成年、いわゆるトー横キッズと呼ばれている連中でしょう、それがまだ中に残っているようなんです。あと、身体障碍者らしい成人女性が、これも数人逃げ遅れたという報告が現場から届いているようです」
宮下の後ろでそのやり取りを聞いていた渡りが松田に言った。
「松田君、どう思う? 自衛隊の手に負えそうか?」
松田は唇をへの字に曲げて答えた。
「難しいと思います。あの巨大生物を駆逐するだけなら可能でしょうが、この辺り一帯は日本有数の繁華街ですから。周辺の建物への被害、ましてや中に留まっている民間人に犠牲を出さずに攻撃するのは不可能でしょうね」
遠山が双眼鏡でゴジラの頭が付いたビルの前に陣取っている怪鳥を観察しながらつぶやいた。
「大きさも異常だが、何なんだ、あの生物は? あんな骨格の鳥は見た事も聞いた事もないぞ」
所轄の警察署から来ている警察幹部に聞き込みをしていた筒井が戻って来て、渡に小声で言った。
「あの怪鳥が出現した時、巡回中の制服警官が一人負傷したそうです。で、その負傷なんですが、急性の凍傷だったそうで」
「凍傷?」
渡が目を丸くした。筒井が言葉を続けた。
「なんでもあの怪鳥が口から吐いた液体を体に浴びたらしいです。その部分、主に右腕ですが、そこが凍傷を負っていたと。幸い軽い程度なので、数日で回復できそうだという事です」
渡は怪鳥の方に視線を向けて誰にともなくつぶやいた。
「極低温の液体を吐く生物だと言うのか? やはりこれまで相手にしてきた巨大生物とは根本的に何かが違うな」
同じ頃、他の宿泊客もホテルの従業員も全員避難していなくなったラウンジで、華たち4人とメグ、リカが話していた。
メグがテーブルの上にあぐらをかいて座り、窓から外をながめながら華に訊いた。
「うひゃあ、ほんとにでかいな、あれ。ねえ、おねえさん、あの怪獣、ほんとにウチらの味方なの?」
車椅子の上で華が微笑みながら答えた。
「ええ、そうよ。これで大人たちはこの一帯に手は出せないでしょうね。しばらくは、あなた達が自由に出来るわよ、この街を」
メグはテーブルから飛び降りて華の車椅子の側に駆け寄った。スマホをかざしてうきうきした口調で訊いた。
「ね、それじゃさ、前にこの界隈に集まってた他の子達呼んでいいかな? あの怪獣、通してくれる?」
「ええ、いいわよ。みんな呼んであげなさいな。電気や水道は止まっていないみたいだし、お店やレストランの中の商品もほったらかしだから、当分は生活できるでしょうしね」
「よっしゃ、トー横キッズ全員集合だ」
それからメグはスマホの連絡先に登録されている相手に片っ端から電話をかけ始めた。
「おお、ウチだよ、メグだよ、メグ。今からトー横来なよ、そう界隈に。大丈夫、あの怪獣はウチらの味方だから。とにかくさ……」
メグが次々と仲間に連絡を取っている間、リカは椅子に座って手持無沙汰にしていた。それに気づいた華が車椅子を動かして近づいた。
「リカさん、あなたは友達を呼ばなくていいの?」
リカは照れ隠しに苦笑しながら答えた。
「ああ、あたしはメグちゃんみたいにたくさん友達とかいないんで」
「前から思っていたけど、あなたはこういう場所に入り浸るタイプじゃないみたいね。どうしてトー横に?」
「まあ、家に居場所が無いって言うか、家に居づらいというか。あたしは親ガチャでハズレ引いた方じゃないし」
「親ガチャ? たまに聞くけれど、どういう意味なの?」
リカはしばし小首を傾げて言葉を選んだ。その様子を見て、頭のいい子なのだろうと華は思った。
「親ガチャというのはですね……」
ようやくリカが言葉を紡ぎ始めた。
「生まれた瞬間に将来の人生が決まってしまう、そんな感じですね。ほらガチャってカプセル開けてみないと何が入ってるか分からないじゃないですか。中身を自分で選べないですよね」
華はゆっくりと何度もうなずきながら言う。
「ああ、何となく分かったわ。私たちも、好き込んでこんな体に生まれて来たわけじゃないからね」
「この界隈に集まって来てた子って、親ガチャでハズレ引いたって言ってる子が多いんですよ。貧乏な家に生まれた、片親家庭で育った、毒親だとか、そんな感じですね」
「あなたは違うの?」
「あたしの家は、金持ちって程じゃないけど、普通よりは裕福な方だと思います。小さい頃からおもちゃや絵本とかたくさん買ってもらえたし、小学生になったらいろんな習い事もさせてもらったし」
「それなのに家に居場所が無いと言うの?」
「前にも言いましたけど、兄さんが超優秀なんですよね。毎日毎日何かにつけて比べられて、どうして兄はこんなに優秀なのに、おまえは何やらせても並みの出来なんだって言われて」
「なぜトー横なの?」
「ここに集まる子達は、お互いの家庭環境とか育ちとか気にしないからでしょうね。ここに来ればみんな同じ仲間って感じで。今は裕福な家の子と、問題のある家庭の子って接点がないじゃないですか。あたしもそうなんですけど、中学受験する子とそうでない子は、その時点で縁が切れちゃう事が多いし」
「親ガチャでハズレ引いた子達が、それを気にしないで過ごせる場所というわけかしら?」
「うん、そうですね、そんな感じ。ここの界隈に来れば、親ガチャのハズレをリセット出来るみたいな」
「あなたはどちらかと言うと、親ガチャで当たりを引いた方ではないの?」
「他人から見たらそうでしょうねえ。でも当たり引いたからって幸せってわけでもないなあって、あたしの場合。だからこの界隈に来るようになったんですけど」
「まるであなたは、親ガチャの当たりの方をリセットしたがっているように聞こえるけど?」
「ううん、言われてみればそうなのかもしれませんね。親ガチャの当たりもハズレもリセット出来て、みんな平等になれる場所。それが理由かなあ?」
「ふうん、今の時代の子どもはいろいろ複雑なのね」
歌舞伎町一帯は警視庁機動隊によってバリケードで閉鎖されていた。北と南の都道302号線、西側の西武新宿駅前通り、東側の区役所通りで囲まれた四角形のゾーンは、高さ1メートルほどの移動式バリケードで遮断され、要所に大型の警察車両と機動隊員、制服警官が常駐していた。
昼前になって、数人の少年たちがセントラルロード入り口のバリケードに近づいて来た。制服警官が駆け寄って制止しようとした。
「君たち、ここから先は立ち入り禁止ですよ」
髪をまだらな金髪に染めた少年の一人が言い返した。
「俺ら、そん中のダチに会いに来たんだよ。いいから通してくれよ」
「何を言っているんだ、君は? ニュースを知らないのか? この奥には正体不明の巨大生物がいて危険なんだ」
警官と少年たちが押し問答をしていると、あの怪鳥が脚を伸ばして立ち上がり、素早い足取りでそちらへ走った。
警官が近づいて来る怪鳥に気を取られている隙に、少年たちはバリケードを少し押しのけて、その隙間から閉鎖された区域に駆け込んだ。
すぐ近くまで来ていた怪鳥の足元で、少年たちは立ち止まって怯えた顔で怪鳥を見上げた。怪鳥は少年たちに見向きもせず、バリケードに向かって足を進めた。
戻るようにと声を張り上げる制服警官の制止を背にして、少年たちは目を輝かせながら言い合った。
「おい、ほんとに俺たちには手を出さねえぞ、あの怪獣」
「おお、メグの言った通りじゃん。ありゃ俺たちの味方だ」
「よっしゃ、もっと奥へ行こうぜ。久しぶりの界隈だ」
少年たちはゴジラの頭があるビルの方に向かって走り出した。制服警官が後を追いかけようとして足を踏み出すと、怪鳥の巨体がその前に立ちふさがった。
催涙弾発射銃を持った機動隊員も数名その場に駆け付けた。怪鳥の三又に分かれた足指の鋭い爪がバリケードの1個を蹴り飛ばし、そのバリケードは派手な音を立てて通りの向こう側まで転がった。
さらに怪鳥は下にカーブした鋭いくちばしを開き、黒っぽい液体を勢いよく宙に吐き出した。液体が地面に降り注ぐと、その場所の歩道がたちまち薄い氷に覆われた。
制服警官と機動隊員たちが数歩後ずさった。怪鳥はさらに数回、くちばしから液体を吐いてそこら中にまき散らした。
小さくシュッシュッという音がして、液体がかかった場所に薄く氷が張った。やがて制服警官が頭を抱えてうずくまった。機動隊員の一人が駆け寄った。
「どうした? 大丈夫か?」
だが、その機動隊員も強烈なめまいに襲われ、がくりと地面に膝をついた。他の機動隊員が二人に駆け寄り、肩を抱えて遠くへ引きずって行った。
制服警官と彼の側にいた機動隊員は意識を失っていた。助け出した機動隊員たちも頭痛に襲われながら、近くに警察車両に向かって叫んだ。
「救急車! 救急車を呼んでくれ、早く」
その直後、ゴジラの頭があるビルの近くまで走って来た少年たちの前に、髪を金髪に染めた少女が飛び出して来た。メグだった。
「よう、おまえら、こっちだ、こっち」
少年たちが笑いながら答えた。
「よう、メグじゃねえか。言われた通りにしたら来れたぜ」
「すげえな、メグ。おまえ怪獣とダチになってたのか?」
メグはうれしそうに笑いながら言った。
「あはは、あの怪獣を操れる人たちとダチになったんだよ。大人だけど、信用できそうなおねえさんたちだ。後で紹介してやるよ」
少年たちの一人がメグに言う。
「メグ、何か食い物持ってねえか? 俺、例によって朝から何も食ってねえんだよ。|母《かあ》ちゃんが朝から酒食らってて何も作ってくれねえんだ。冷蔵庫も空だし金も持ってねえしさ」
メグは大声で笑いながら周りのコンビニや飲食店を指差しながら言った。
「ギャハハ、そこら中にあるじゃん。何でも好きなだけ食えよ」
「ええ? それ万引きにならねえ? 警察は大丈夫なのか?」
「あはは、あはは、何言ってんだよ。この界隈にゃうるせえ事言う大人は一人もいねえって。みんな避難してんだからさ」
軽い地響きを立てながら、あの怪鳥が元の場所へ戻って来た。その頭を見上げながらメグがさらに言った。
「あの怪獣がいる限り、大人はこの界隈に手出し出来やしないって。おまえらみんな、界隈にいたダチを電話で呼んでやれよ。飲み放題、食い放題だぜ」
少年たちは歓声を上げて口々に訊いた。
「メグ、大久保公園前にいた連中も呼んでいいか?」
「もちろんだって。界隈の仲間だった連中、一人残らず連れて来いよ」
「電気とか水道とかは通ってんのか?」
「今のとこ、全部オーケーだよ。この辺りの食い物屋、全部ただで使えるみたいだぞ」
「よっしゃ、片っ端から連絡してみるぜ。家で毒親に地獄見せられてる奴ら、みんな集まれってか?」
メグは踊るようにクルクルと体を回転させながら、大声で笑った。
「そうそう、みんな集めろ。トー横キッズの大同窓会だ。あはは、あははは」
それに呼応するかのように、元の場所に脚を折り曲げて座った怪鳥が、甲高い叫びを響かせた。
午後になり、報道各社のヘリコプターが近くの上空を飛び回った。小さな4枚のローターが付いたマルチコプター型のドローンが怪鳥に接近し、その下部にあるカメラが映像を捉えた。
その映像はリアルタイムで歌舞伎町の現場から1キロほど離れた新宿中央公園内に設置された臨時の対策本部のテント内に無線で送られていた。
三つのテントのうちのひとつの中には渡研のメンバーが待機していた。VRゴーグルを頭にかぶった松田が手元のコントローラーのスティックを器用に動かした。
テントのひと隅には大きなスクリーンが置いてあり、ドローンのカメラが捉える映像が映し出されていた。
折り畳みの長い机とパイプ椅子に座って、渡たちはそれぞれのノートパソコンで情報を収集していた。渡が松田に言った。
「松田君、一旦切り上げていいぞ。当分動きはなさそうだ」
松田はVRゴーグルを上にずり上げて渡の方に視線を向けて応えた。
「分かりました。ドローンを戻します」
地味なパンツスーツの上に紺色のコートを羽織った宮下が渡に告げた。
「渡先生、倒れた警官の体調不良の原因が分かったようです。二酸化炭素中毒だそうです」
「二酸化炭素中毒?」
渡が思わず声を上げた。宮下が言葉を続けた。
「はい。あの怪鳥の液体が降った付近の、大気中の二酸化炭素濃度が一時的にですが、急激に上がっていたのが観測されたとも」
明るい色のパンツスーツの上に、ピンク色のダウンジャケットを着こんだ筒井が戸惑った口調で訊いた。
「あのう、二酸化炭素で中毒になる事なんてあるんですか? 普通に空気中にある物でしょ?」
渡があごひげを指でしごきながら答えた。
「濃度が高くなり過ぎると人間には毒になる事もある。4パーセントを越えると頭痛やめまいを起こす。7パーセントを越えると意識を無くす事もあるそうだ」
テントの外でドローンを回収した松田が戻って来て、ドローンをテントの隅の箱型のポータブル電源にケーブルでつなぎながら言った。
「ですが、どうして急にそんなに大量の二酸化炭素が局所的に発生したんでしょうか?」
渡が自分のパソコンの画面をスクリーンに映し出しながら言った。それは警察が撮影した、怪鳥が液体を吐きだすシーンだった。
「これが発生源だろうな。おそらく液体二酸化炭素だ、これは」
シャツの上に分厚いセーターを着こんで、さらにスーツの上着と分厚いコートを着込んだ遠山が両手に息を吹きかけながら訊いた。
「え? 確か二酸化炭素に液体の相はないはずじゃないですか? ドライアイスが個体の二酸化炭素なんでしょ? 直接気体になるんじゃなかったですか?」
渡が答える。
「その通りだが、条件がある。二酸化炭素が液体にならないのは、常温で1気圧という条件下での話だ。温度が摂氏マイナス56.6度以下、圧力が7.4メガパスカル以上になると、二酸化炭素は液化する」
遠山がスクリーンを見つめながらつぶやいた。
「じゃあ、あの怪鳥は液体二酸化炭素を吐いていたのか。マイナス56.6度なら、確かに冷凍液みたいな物だ」
渡があごひげをしごきながら言う。
「1気圧がだいたい千ヘクトパスカル前後。そういう数字と単位は天気予報で聞いた事があるだろう? 7.4メガパスカルは、その7千4百倍というところか。あの怪鳥は体内で空気中の二酸化炭素に圧力をかけて液化する能力を持っているようだな」
遠山のパソコンが短い電子音を立てた。遠山は送られて来たファイルを開いて目を見張り、皆に言った。
「奴の正体が分かったかもしれないよ。大学の情報工学部に頼んでおいたAIでの分析結果が来た。あれはペンギンだ」
他の全員が「えっ?」と声を上げた。遠山は大型スクリーンに自分のパソコンの画面を転送して言った。
「まずこれを見てくれ。あの怪鳥の全身をX線で撮影した物、つまりレントゲン写真だね」
そこには白黒の画面で、怪鳥の骨格が透けて見えていた。遠山が解説を続ける。
「頭から背骨、そして脚まで骨格が縦に真っすぐに伸びている。鳥類のほとんどは、胴体の骨格が地面と水平になるように2か所で曲がっている。ダチョウを思い浮かべて見れば分かるだろう? 直立二足歩行をする鳥は、僕の知る限りペンギンだけだ」
筒井が首を傾げて遠山に訊いた。
「あの、遠山先生。ペンギンにしては脚が長過ぎませんか? ペンギンって極端に足が短くてよちよち歩きのはずですよね」
遠山が別の画像をスクリーンに映し出した。それは普通のペンギンの骨格標本だった。
「種類にもよるけど、ペンギンの脚の骨は内部で折り畳まれているんだ。人間で言えばしゃがんだ格好のまま歩いているようなもんだね。足の骨はこの状態で体内に固定されているから、伸ばす事はできない。ペンギンの脚が短いというのはこういう構造になっているからなんだ」
渡が古びたツイードジャケットの襟を思わず合わせて寒さに震えながら訊いた。
「脚の骨格が伸ばせるようになったのが、あの怪鳥だという事かね?」
「AIの解析ではそうなっていますね。ペンギンの脚の骨が体内に折り畳んで格納されているのは、体温を逃がさないためだと考えられています。どんな鳥類も脚は羽毛で覆われていませんからね」
「ペンギンは水棲だが、あの怪鳥はどうなんだ?」
「おそらく陸棲に進化した種だと考えられます。地球が温暖化し、陸上のサバンナのような環境に適応した結果、ペンギンが巨大化した。体温を失う心配がなくなったので、脚の骨格も元の形に戻った」
「あれは肉食かね?」
「ペンギンは今でも肉食ですよ。主な餌は魚ですから。ただ、直立二足歩行の弱点は他の動物ほど早いスピードで走れない事です。獲物の動きを止めてから鋭いくちばしで仕留める。そのために冷凍液を体内で作って獲物に向けて吐きかける事が出来るように進化した」
つなぎの作業着の上に軍用ジャンパーを着た松田が困惑した口調で遠山に訊いた。
「そんなペンギンが昔いたんですか? この地球上に」
それには渡が答えた。
「過去の生物とは限らんぞ。温暖化した環境、高い二酸化炭素濃度。それに適応進化した未来の生物なのかもしれん」
「未来の生物? そんな事があり得る……あっ、例の超能力者が作り出したという事ですか?」
「どうやったのかは分からんが、人間を巨人化させた相手だ。あり得る未来の進化を形として作り出す。可能性としては否定出来んな。ひとつ救いがあるとすれば、ペンギンの進化形なら空は飛べない、という点だな」
その日の午後から翌日の早朝にかけて、大勢の十代の少年少女が歌舞伎町の閉鎖区域に続々と侵入して来た。
彼らを制止しようとした警察にはその度に怪鳥が近づいて来て、冷凍液を吐きかけて追い散らした。
バリケードを乗り越えて行く少年少女たちを誤射する事を恐れて、警察は銃を使う事が出来ず、怪鳥の助けを得て少年少女たちは楽々と歌舞伎町の奥に駆け込んで行った。
その数は約200人と推定された。警視庁は歌舞伎町一帯への電力の供給を遮断する事も検討したが、中に逃げ込んだ未成年の命に関わりかねないという意見に押されて、その手段は断念した。
昼過ぎになってバリケードの周囲を渡研のメンバーは歩いて見て回った。あちこちで歩道のガードレールや道路標識などにつららが垂れ下がっている光景が見えた。
渡がつぶやいた。
「まるでこの辺にだけ氷河期が来たような感じだな。宮下君」
渡が宮下の方を向いて訊いた。
「警視庁は手も足も出せんのか?」
宮下は沈痛な表情で答えた。
「怪獣のすぐ近くに200人もの未成年が集まっているんです。彼らの身の安全を考えると強行策は取れません」
その頃、歌舞伎町の入り口から警察官に付き添われて一人の30歳ぐらいの男が拡声器を持って中に入ろうとしていた。
警官の一人が不安そうに男に言った。
「本当に大丈夫ですか? あの巨大生物は冷凍液を吐くんですよ」
男は自信満々に笑って答えた。
「大丈夫ですよ。俺はトー横キッズの面倒を長い間見て来た社会活動家ですから。俺の言う事なら耳を貸すでしょう。じゃあ、行って来ますよ」
警官隊がバリケードを少し開き、その活動家は拡声器を口に当てて中に入って行った。
活動家の男はゴジラの頭があるビルに向かって歩きながら、拡声器で遠目に見える少年少女たちに呼びかけた。
「おおい、聞こえるか? 俺だ、新宿のラッパーの帝王トカレフだ。覚えてっか?」
怪鳥は動きを見せなかった。それを確認して活動家の男はさらに声を張り上げた。
「俺はおめえらの味方だ。助けに来たんだ。出て来いよ、みんな。俺が助けてやっからさ」
その様子をゴジラの頭がすぐ側にあるバルコニーから、華たちとメグ、リカが見下ろしていた。華が二人に訊いた。
「あの男の人は本当にあなたたちの味方なのかしら?」
リカは少し顔をしかめて首を横に振った。
「違うよ。あいつはあたしたちトー横界隈のキッズを食いものにしてただけ」
メグも怒気を含んだ声で言った。
「ウチらを助けてる社会活動家とか言ってたけどさ、それ真っ赤な嘘だよ。女の子とやるのがほんとの目的。ウチの仲間が何人もやり逃げされてるし、ウチもレイプされそうになった事がある」
華が不気味な笑みを浮かべて訊いた。
「どうして警察はそんな人を通したのかしらね」
メグが憤然とした口調で言った。
「警察も大人も、口先だけの奴に簡単にだまされるんだよ。多分、この騒ぎ鎮めて英雄扱いされようって、どうせそんな事だよ」
「そう」
華がそう言って膝に上の毛布に包まれた円筒状の容器に手をあてた。
「だそうよ、宙(そら)ちゃん、どうする?」
怪鳥が脚を伸ばして立ち上がった。自信に満ちた表情でそれを見上げた活動家の男に向かってくちばしから黒っぽい液体がほとばしった。
男の体から湯気の様に白い気体が立ち昇った。男はその場にばったりと倒れ、全身を痙攣させてのたうち回った。
「ガ、ガガガ、グワ、グウワーー!」
怪鳥の足先が男の体を蹴り飛ばし、その体は紙屑のように軽々と宙を飛び、通りの入り口のバリケードに勢いよくぶつかった。
近くにいた警官たちがあわてて男の体を銀色の防寒シートでくるんで、数人がかりで運び去った。
その知らせを離れた場所で聞いた宮下は、スマホの通話を切り、渡たちに事の次第を告げた。渡がふうっと大きくため息をついて言った。
「遂に犠牲者が出たか。我々も本腰を入れるぞ」
それから3日、歌舞伎町一帯は家出未成年者たちの楽園となった。彼らは従業員が全員退避し無人となったホテルの部屋に寝泊まりした。
やや年長の者たちの中に、ホテル、コンビニ、飲食店でアルバイトや派遣労働を経験した者が数人いて、マスターカードキーの在る場所や食材の取り出し方を知っていたからだった。
従業員の避難が大あわてで行われたため、大半の店舗が施錠をしておらず、簡単に侵入できた。
彼らは生まれて初めて見る高級ホテルの部屋の内装に驚愕の声を上げ、レストランの冷蔵庫、冷凍庫で見つけたごく普通の食材に「こんなの見た事ない」と大騒ぎし、ファストファッションの様々な服を「豪華!」「ぜいたく過ぎ」と絶賛した。
車椅子に乗った華は、仲間とリカに付き添ってもらいながら彼らが路上ではしゃぎ回る様子を見て回った。
雪と月は隙あらば走って行きそうになる星の手を両側から握って後ろからついて来ていた。
雪が右手に2本の松葉杖をまとめて持ち、左手で星の手を引っ張り悪戦苦闘している格好で華に問いかけた。
「ねえ、ねえ様。あの子達みんなずいぶん楽しんでるようだけど、あたしらの計画に何の役に立つわけ?」
華は車椅子の上から、時折声をかけて来る少年少女たちに手を振りながら答えた。
「もうすぐ分かるわよ。人間社会を分断させて対立するよう仕向けるには、どうすればいいのかという事が」
「それにしても……」
雪は周りの少年少女たちを見回しながら言った。
「あんな物がそんなに珍しいのかねえ? あそこの女の子達、道路に服ぶちまけて喜んでるけど、どれも安物じゃない。リカちゃん、いつもこうなの?」
リカは頭を掻きながら答えた。
「まあ、トー横キッズの全員がそうだったわけじゃないですけど。みんな、あたしみたいに、普通の経験というか体験というか、そういうのが無くて」
華がかすかな笑みを浮かべて訊いた。
「あなたが前に言っていた、親ガチャでハズレ引いた子たちというわけかしら?」
「そうかもしれませんね。小さいい頃から家庭で人並みの事経験させてもらった事が無くて、それで普通の家庭で育った同年代の子たちとは、話が合わない、感覚がずれてる。そんな理由でつまはじきにされてきたみたいです」
コンビニの前に来るとメグが中から走って出て来た。両手に菓子の袋を持って口にはゼリー飲料の容器を咥えたままだ。ゼリー飲料を飲み干し、容器を歩道の端に器用に放り投げると、楽しくて仕方ないという口調で華たちに声をかけた。
「よう、おねえさんたち。ありがとうよ。こんな楽しいの、ずいぶん久しぶりだ。リカ、そこのコンビニもう残り少なくなってるぞ。欲しい物あったら今のうちに取っとかないと無くなるぞ」
リカは顔を少ししかめて、遠慮がちな口調でメグに言った。
「もう、ダメだよ、メグちゃん。お金払わないで持って来ちゃ」
「はあ? みんなやってんじゃん。だいたい開けっ放しで逃げてった店の方が悪いんだろ」
「あたしがレジにお金入れておくから。そこで待ってて」
リカは華から預かっていた紙幣をポケットから取り出してコンビニの中に入って行った。その後ろ姿を見ながらメグがつぶやいた。
「まったく、リカは真面目だなあ。ウチらの事人間扱いすらしてなかったじゃん、この辺の大人。気にする事ないのに」
夜にはそこらじゅうの建物の照明を点けて回り、彼らはビルの1階やイベントスペースに集まって、床に座り込み大声で騒いだ。
中にはレストランやコンビニから持ち出して来た酒をラッパ飲みしている者たちもいた。
華たちとリカはホテルのラウンジで外の騒ぎを聞きながら、紅茶を飲んでいた。そこへメグがスマホを片手に、ぷりぷりと怒った顔でやって来た。
「おい、リカ、これ見てくれよ。ひでえな」
リカが椅子から立ち上がってメグを迎え入れた。椅子に座ったメグのスマホの画面をのぞき込んだリカは一瞬きょとんとした。
「ああ、有名なSNSだよね、これ。あたしも使ってる。これがどうかした?」
「この書き込み見てみなって。ウチらの事だろ、これ」
そこには長いポスティングのツリーが出来ていて、無数の書き込みが並んでいた。
>警察は何やってんだよ あのガキども早く追い出せよ
>いや、怪獣いるから警察も手出せないんじゃね?
>だったら自衛隊だろ
>でも攻撃したらあの子たちも巻き添えになりませんか?
>別にいいじゃん、死んだって。以前から邪魔だったんだよ、あのナントカキッズってガキども
>禿同! 外国人観光客の見世物スポットにまでなってたじゃん。日本の恥、死んでくれた方がいいって、むしろ
>オレ歌舞伎町が職場なんだけどさ、出勤できねえんだよな。派遣だからこの騒ぎ始まってからの間の分、給料もらえないんだぜ。ほんと迷惑
>だいたい訳ありのガキどもに変な同情するから、つけ上がるんだろ。親ガチャのハズレは自己責任、貧乏も自己責任
>ほとんどの人間はつらくても働いて生きてるんだからさ。甘えてんだよ、あのキッズどもは
>あんな連中そもそも生まれて来なきゃよかったんだよ
>そうだ、そうだ。生まれて来るなよな
リカは顔を歪めて両手で目を擦った。
「ひどい! 『おまえなんて生まれて来なけりゃ良かった』って親から面と向かって言われて、それでトー横界隈に来るしかなかった子もいるのに」
リカの声は涙声になっていた。
華が車椅子から声を発した。口調は優しかったが、その瞳は明らかにこの事態を面白がっていた。
「あらあら、ずいぶんな言われようみたいね。同じ人間なのにね」
その時、突然ラウンジの隅の従業員用通路のドアが開き、人影が猛然と飛び出て来た。地味なパンツスーツを着たその女は宮下だった。
宮下が華たちの前に立ち、続いて従業員用のドアからさらに二人が姿を現した。前を歩くのは10歳ほどの年齢の少女。仕立ての良いダッフルコートに身を包んでいた。
その後ろからは真っ黒なロングワンピースに白い前掛けエプロン、昔の英国のメイドのような恰好の30前後とおぼしき女性。
宮下はメグとリカに、離れた場所に行くように言い、スーツの上着の左内側に右手を差し込んだまま、華たちに鋭い視線を向けて言った。
「あなた達がこの怪獣騒ぎの黒幕のようですね。近くの警察署まで同行願います」
雪がとっさに近くにあったワインのボトルを手に取って身構えた。宮下は上着の中から拳銃を抜き出し、まっすぐ華たち4人に銃口を向けた。
「無駄な抵抗はやめなさい。私は警察官です」
車椅子の上で華が不敵に笑った。宮下の横に大きな仮面で目元を隠した長い黒髪の少女が寄り添うように立った、それはヒミコだった。
「初めまして、おねえさまたち。上の世代の方たちとは言え、言わせていただきます。ちょっとイタズラが過ぎますよう」
その仮面の目の穴からのぞく青い瞳に気づいた華が言った。
「あら? もしかしてあなたがヒミコちゃん? まあ、なんて可愛らしい。まるでフランス人形みたい。私たちもあなたみたいな体に生まれたかったわ。でもどうやってここに来られたのかしら?」
ヒミコはいたずらっぽく笑って答えた。
「こういう新しくて大きなビルにはね、災害に備えた緊急の避難通路やインフラのケーブルを通すトンネルがあるの。そこを通って来たわけ。秘密結社ノーヴェル・ルネッサンスの情報網を甘く見ない事ね」
華が心底面白そうに声を上げて笑った。
「おほほほ、それは頼もしい事。でも、秘密結社が警察と手を組んでいるとは不思議ねえ」
ヒミコが言う。
「ま、そこは成り行きでね。おねえさま達の今の状況には、組織にも責任がある。あなた達の身柄はノーヴェル・ルネッサンスで保護する事も出来る。今回はその話し合いに来たの」
華は優雅な口調で、しかしきっぱりと言った。
「それは謹んで辞退するわ。私たちにはやるべき事があるから」
ヒミコの青い目がじっと華を見つめる。
「やるべき事って何?」
「ヒミコちゃん、あなたの活動の目的は地球温暖化で環境が激変した未来世界で生き残れる人類を選別する事。合っているかしら?」
「ええ、その通り。大人たちは未だに二酸化炭素削減とか悠長な事言ってるけど、地球温暖化と気候変動はもう止められない。人類の未来を託せる優秀な人間を生き残らせる事があたしの目標であり、使命」
「私たちも同じ意見よ。地球温暖化とそれに続く気候変動、環境の激変は今さら防げない。でもその先が違うの」
「その先って?」
「地球の生態系が激変して、人類がそれでも今の便利な生活水準を維持しようとあがけば、これから先多くの生物種が絶滅する事になる。地球の生物多様性が失われる」
「だからあたしはそれを防ぐためにも、人類の選別を目指してるんだけど?」
「私たちはね、人類は滅びるべきだという結論に達したの」
「え?」
ヒミコもさすがに言葉を失った。華は優雅に微笑みながら言葉を続けた。
「放って置いても人類は来るべき気候変動で滅ぶかもしれない。でもその過程で多くの生物種が道連れになって絶滅する。それを何とかしようとした計画のひとつが人間の遺伝子操作。そして生まれたのが私たち。こんな体で生まれて来てしまった怪物よ」
「あなたの望みは愚かな人類への復讐?」
「それもないではないわね。権力者と金持ちの愚かな野望が私たちのような人間を作った。人類はきっとこの先何度でもそんな愚かな蛮行を繰り返すでしょうね」
華は顔から微笑を消した。
「それで人類だけが滅ぶなら自業自得で済む。でも多くの生物種を道連れにして絶滅させたら、未来の地球における進化の選択肢は狭まる。分かる? 遠い未来で、再び人類と同じような知的生命体が発生して文明を築く、その可能性も低下するの。だから地球の生物多様性を維持するために、現生人類は滅びるべきなのよ。それが私たちの目的」
宮下が思わず声を荒げて割って入った。
「ふざけないで! あなた、自分を何様だと思っているの? 神様でも気取るつもり?」
華は自分に向けられている拳銃の銃口を意に介さない様子で言った。
「この世に神様がいるとしても、人間のためにいるのだとは限りませんよ。人類は神が創造した万物の中の、たまたま一つだったに過ぎない」
「あなたたち4人だけでそんな大それた事が出来ると本気で思っているわけ?」
「私たちはこんな体になったのと引き換えに超能力を持っている。方法はいろいろ考えられる、そう思っておりますよ。この社会はどこか間違っている。ここに集まっている子たちを見れば分かる。彼らに必要なのは取り締まりではなく、社会の中に包摂してあげる事でしょうに」
宮下が怒鳴った。
「そんな分かり切った事、あなたに言われるまでもない」
「あら、今、分かり切った事とおっしゃいまして? だったら何故、こんなに大勢に子どもたちがここに集まっているのですか? その分かり切った事が出来ていないからではなくて?」
「そ、それは……」
宮下はそこで言葉に詰まった。
「ま、私たちにそんな事が出来るかどうか、試してみる価値はあると思いますよ」
そう言うと華は電動車椅子を横に向けて、隅の壁に立って怯えているメグとリカに語りかけた。
「あなた達とはここでお別れね。元気でね」
雪、月、星の3人がおもむろに立ち上がって華の側に行こうとする。宮下は警告射撃の用意をした。
「全員動くな!」
華が右の掌を胸の前にかざした。宮下は彼女たちの後方の柱を狙って引き金を絞った。
パンと乾いた音がして銃弾が放たれた。だが、その弾丸は横に離れた位置にある花瓶を直撃した。
「は、外した? あたしが?」
狼狽して銃口を下げた宮下には見向きもせず、華は他の3人と手をつなぎ合い、落ち着き払った口調で言った。
「居場所がばれた以上、長居は禁物ね。雪ちゃん、頼むわよ」
4人の姿が歪んだガラス越しに見える映像のように、ぐにゃりと曲がって見え始めた。その周りだけ、空間が歪んでいるかのように。
宮下が銃口を構え直して叫んだ。
「動くな! 今度は本当に撃つ」
だが、次の瞬間、4人の姿はこつ然とその場から消えた。宮下が駆け寄り、四方八方に手を伸ばす。だが、そこにはもう何も無かった。
宮下は割れた花瓶と柱の位置を手で測って確かめた。呆然とつぶやく。
「5センチも外れている。この近距離でこのあたしが……」
ヒミコが慰めるように声をかけた。
「そんなに気にする事ないよ、刑事さん。あの車椅子の女の人は、サイコキネシスという超能力を持つように遺伝子操作されたらしい」
「サイコ……キネシス?」
「テレキネシス、念動力とも言うよ。心で念じるだけで物理的な力を発生させる事が出来る能力。拳銃の弾の軌道ぐらいずらせるのかもね」
ヒミコがメグとリカの姿を探すと、二人はもうラウンジの外へ走り去った後だった。ヒミコは付き従っているメイド服の女性に何かを耳打ちし、宮下に向かって言った。
「さあ、あたしたちも退散しましょ。あの人たちが残して行った置き土産、あの怪獣の始末が残ってるよ」
翌日早朝、自衛隊による怪鳥対処作戦が開始された。渡たちが入っているテントの脇には大型の木箱が4個積まれていた。
高機動車2台がテントの横に到着し、10人の戦闘迷彩服に身を包んだ精悍な体つきの陸上自衛官が降りて来た。
渡がテントの外へ出て、指揮官らしい一人に話しかけた。
「私が今回の作戦を立案した渡です。ご協力ありがとうございます」
指揮官は敬礼して言った。
「いえ、自衛隊の当然の任務です。それで、使用する薬品というのはそこですか?」
「はい、その木箱の中に。全部で60発用意出来ました」
自衛官たちが木箱を開けて中身を取り上げてみた。プラスチックらしき素材の半透明の弾丸型の物体だった。
テントから松田と他の渡研のメンバーも出て来た。松田はドローンと操縦装置を抱えていた。松田は指揮官の前に立って敬礼した。
「自分が松田3尉であります。ドローンによる援護を担当させていただきます」
そう言った松田は相手の胸に付いている徽章に気づいた。ダイヤモンドの左右を月桂樹の葉が囲んでいるデザイン。松田はさらに姿勢を正して訊いた。
「レンジャーの方でありますか?」
指揮官がうなずいて言った。
「ああ、今回のメンバーは全員レンジャーだ」
筒井が目をキラキラさせて指揮官に尋ねた。
「レンジャー部隊なんですか?」
指揮官は若干苦笑しながら答えた。
「いえ、よく誤解されているようですが、自衛隊にレンジャー部隊というような物は存在しません。自衛隊のレンジャーというのは資格の事です。より危険な任務、場合によっては単独行動が出来るだけの技量を持つ隊員が試験で選抜されてレンジャーという資格を授与されるだけです。今回の10人は様々な部隊から臨時で集められたレンジャー資格保持者というに過ぎません」
渡が訊いた。
「弾頭はこちらで用意しましたが、どうやって飛ばすのですか?」
「今お目にかけます。発射機を車から下ろせ」
他の隊員たちが高機動車から長い銃のような物を取り出して各自に手渡した。指揮官が説明した。
「110ミリ個人携帯対戦車弾と言います。今回は通常の弾頭の代わりにそのカプセルを装填して発射します」
宮下が隊員たちが木箱から取り出して腰のバッグに詰め替えているカプセルを見ながら渡に訊いた。
「渡先生、あれ中身は何ですか? 歌舞伎町内にいる未成年者たちに危険はありませんか?」
渡はにやりと笑って答えた。
「人体への毒性は心配ない。水酸化カルシウムの飽和水溶液だよ」
「ええと、それはどういう?」
「平たく言えば石灰水だ。昔学校の理科の実験でやらなかったかね? 石灰水に息を吹き込むと、呼気中の二酸化炭素と反応して炭酸カルシウムに変化して液が白く濁る。あれだよ。その反応を大規模に起こそうというわけだ」
なおも首を傾げている宮下に遠山が説明を追加した。
「あの怪鳥の体内には、大量の液化二酸化炭素があるはずだ。それと石灰水を化学反応させて個体の炭酸カルシウムに変えてやる。うまくいけば、奴の呼吸器を詰まらせて動きを止められる。渡先生のアイディアだよ」
松田がコートを脱ぐと、下はやはり戦闘用迷彩服だった。松田が10人の自衛官を掌で示しながら言った。
「それを奴の口の中に叩きこむのが、このレンジャーの方たちの今回の役目です。自分なんかは足元にも及ばない、野外戦闘行動の上級者ですよ」
自衛官たちは戦闘用ヘルメットを被り、対戦車弾発射装置を肩に背負い、指揮官が松田に言った。
「では出撃する。松田3尉、案内を頼む」
松田はドローン一式が入ったバッグを背中に負って敬礼した。
「承知いたしました。では、渡先生、言って参ります」
松田を先頭に、自衛官たちは歌舞伎町に向かって走り出した。渡はその背中を見送りながら他のメンバーに言った。
「我々は後はここで見守るだけだ。松田君のドローンに付いているカメラの映像はここで受信出来る」
松田と自衛隊部隊は歌舞伎町の西側の西武新宿線の駅側からバリケードの規制線の中に進んだ。
途中で数人ずつ散開し、松田は大通り側に一人で向かった。松田が背中のバッグを地面に下ろし、建物の陰に身を潜めてコントローラーでマルチコプター型のドローンを飛び立たせた。
レンジャーの自衛官たちはバラバラに建物の中に入り、非常階段を駆け上った。途中で建物の中に居座っている少年少女たちとすれ違い、彼らは怯えた顔で自衛官を見つめていた。
やがて全員が耳に装着しているインカムに指揮官の声が響き渡った。
「これより状況開始。各自、おのおのの判断で行動せよ。ドローン、飛ばせ」
松田が操縦するドローンが高く舞い上がり、怪鳥の頭の近くを旋回し始めた。怪鳥は脚を伸ばして立ち上がると、ドローンは素早く上昇し、その鋭いくちばしから逃れた。
周辺のビルの窓や非常口からロープが垂らされ、数人の自衛官がビルの壁伝いに降下した。
うち一人の発射装置から火花を散らしてカプセルが発射され、怪鳥のくちばしの横に命中した。
その口元で水しぶきが四散し、怪鳥はせき込むような奇声を発して一瞬動きを止めた。頭をぶるぶる震わせて態勢を立て直し、ビルの壁に張り付いている自衛官に向かって猛然と突進しながらくちばしを大きく開いた。
だが、その自衛官は既に次弾を発射装置に装着済みだった。大きく開いた怪鳥の口に今度は真正面から、カプセルが飛び込んで破裂した。
怪鳥の体がのけ反り、それでもビルの壁に向かって突進する。その隙にその自衛官はするするとロープを伝って地上に降り、そのまま駆け出して近くのビルの間に消えた。
松田が操るドローンが怪鳥の目の前を飛び回って挑発した。怪鳥が反対方向を向き、くちばしを開いて冷凍液を吐き出そうとした瞬間、向かいのビルの窓からカプセルが発射され、正確にその口の中に飛び込んだ。
怪鳥の口から冷凍液は飛び出したが、素早く絞められた窓に遮られ、その自衛官には届かなかった。
それでも怪鳥はビルの壁にくちばしを突き立て、壁のガラスが砕け散って地面に散らばった。
怪鳥が頭を下げて後ずさると、下を向いている口の中に1階から飛び出して来た別の自衛官が発射したカプセルが飛び込んだ。
怪鳥は立ち上がって頭を激しく振った。その口の端から、白い粉末を水で溶いたような液体が漏れて来た。
ビルの壁に垂らしたロープを使って、場所を次々と変えながら降下しつつカプセルを口に中に発射する自衛官の一団に怪鳥は完全に翻弄された。
その様子を松田のドローンのカメラ越しにスクリーンで見つめながら、テントの中の渡たちは息を呑んでいた。
宮下がため息をつきながら言った。
「すごい、警察の特殊部隊と比べても見事な動き」
渡も目を丸くして言った。
「これが人間の動きか? 信じられん」
次々にカプセルを口の中に撃ち込まれ、怪鳥のくちばしからはもう明らかに白い粉が漏れ始めていた。
再度一人の自衛官がロープを使ってビルの壁伝いに降下した。怪鳥は怒り狂った様子で彼に向かって突進した。
ビルの壁面のガラスに映った怪鳥の姿を見つめながら、その自衛官は右手に持った発射装置を自分の左脇の下をくぐらせ、怪鳥に背を向けたまま発射した。
カプセルはぴたりと怪鳥の口の中に飛び込んで破裂した。怪鳥がビルの壁に頭を叩きつける一瞬前に、その自衛官はロープ伝いに地面に滑り降り、巧みに怪鳥の両脚の間を抜けて、走り去った。
ビルの壁から頭を離した怪鳥は足をよろけさせ、くちばしからは白い粉末の塊をぼろぼろとこぼしながら、やがて前のめりに地面に倒れた。
「やったか?」
VRゴーグル越しにドローンのカメラでその様子を見ていた松田が叫んだ。ドローンを怪鳥の真上に移動させる。
怪鳥の体はしばらくピクピクと痙攣していた。やがて動かなくなり、体の表面から水蒸気が立ち昇った。
怪鳥の体が中心から変色し始めた。最初は茶色に、そして黄色になり、その表面はガサガサに乾燥していった。
そして突然、ミシミシという音と共に怪鳥の全身が破裂して砕けた。その暗い黄色の破片が数メートル幅で辺りに飛び散った。
対策本部のテントの中のスクリーンでそれを見た渡たちも「やった!」と歓声を上げた。
遠山はすぐに目を細めて怪鳥の死骸を見つめた。
「何だろう、あの体表面の変化は? 生物の普通の死に様じゃないな」
レンジャーの自衛官たちが怪鳥の死骸に近寄り、生命反応が消えている事を確認し、対策本部に伝えた。
その死骸はまるで一瞬でミイラ化したかのうようにボロボロになっていて、暗い黄色の拳大の塊が次々に落ちて来ていた。
安全が確認されたため、バリケードの向こうから警官隊が歌舞伎町の中に殺到して来た。
それに気づいた、歌舞伎町を占拠していた約200人の少年少女たちは青ざめた顔で脱出にかかった。
東西南北全ての方角で、逃げようとする少年少女たちと警官隊のもみ合いになり、一人また一人と警官隊に取り押さえられていく。
その中にメグとリカもいた。区役所通りの端を通って逃げようとしたが、他の少年少女の大群と警官隊のもみ合いに前を阻まれ、身動きが取れなくなった。
近くの建物の陰に入ったところで、背後から数人の人影がメグとリカに忍び寄り、後ろから羽交い絞めにした。
吸入マスクが付いた小さなボンベを口と鼻に押し当てられて、二人はすぐに意識を失った。
黒づくめのぴっちりした服を着たその数人の女たちは、二人を介抱しているふりをしながら警官の包囲をすり抜け、二人を近くに停まっていたバンの車内に運び込み、その車はそのまま走り去った。
スクリーンをテレビの臨時ニュースの放送に切り替え、渡たちはテントの中でそのもみ合いを見ていた。渡がため息をつきながら言った。
「やれやれ、歌舞伎町占拠事件もやっと終わったか」
筒井が心配そうに宮下に訊いた。
「あの子たちってこれからどうなるんですか? やっぱ逮捕されちゃうんですか?」
宮下は腕組みをして答えた。
「まあ、ほとんどは補導で済むと思うけどね。でも家に返されても、家庭環境そのものに問題がある子たちはまたどこかに集まるようになるんでしょうね。そこから先の事に関しては、警察は無力だわ」
渡があごひげをしごきながら遠山に訊いた。
「遠山君、あれは生物の通常の死に際とは思えんな。君はどう思う?」
遠山は額に指を立ててうめくように答えた。
「残骸を調べてみないと何とも言えませんね。とにかく通常の生物でない事だけは確かですね」
メグとリカが意識を取り戻した時、かすかなエンジンの振動がまず体に伝わって来た。
二人が頭をさすりながら目を開けると、そこは大きなリムジン車の中のようだった。運転席の後ろのスペースに二人掛けの座席が向かい合いて位置している造りになっていた。
並んで前の座席に座らされていたメグとリカは正面を見て同時に体を震わせた。最後部の座席の真ん中に座っているのは、10歳ぐらいの少女だった。
長い黒髪が背で揺らぎ、厚手の高級そうなワンピースを着て、目の辺りは金色の仮装舞踏会にでも使うような仮面で覆っていた。ヒミコだ。
ぶるぶる震えているリカを横抱きに抱きしめてメグが警戒心丸出しの声でヒミコに訊いた。
「あ、あんた、あのおねえさんたちと話してた子だよね? ウチらをどうする気?」
ヒミコは仮面の奥から青い瞳を見せながら答えた。
「それはあなた達次第だね。家に帰りたいのならこのまま送ってあげるけど、どう? 親元に帰りたい?」
メグはすぐさま首を横に何回も振った。リカも肩をすくめて小さく首を横に振った。
「そう、じゃあ、いい所へ連れて行ってあげる。そのまま黙って乗ってなさい。あ、逃げようなんて思わない方がいいよ。さもないと」
運転席と助手席には黒いメイド服の女性が二人乗っていた。運転しているのはいつもヒミコに付き従っている30ぐらいの女性。助手席にはもう少し若そうな女性。
その助手席の女性が後ろを向き、メグとリカの顔の間に拳銃を突きだして見せた。彼女が腕を引っ込めると、リカが一層力を込めてメグに抱きついて来た。
「あたしたち、どこかに連れて行かれるのかな?」
メグはリカの手を握り締めて開き直った口調で言った。
「それならそれでいいじゃん。あんな地獄みたいな家に連れ戻されるぐらいなら、外国にでも売り飛ばされる方がマシだね、ウチは」
車はどこかの郊外を走り、丘の上にポツリと立っている大きな屋敷に向かっていた。
やがて車はどっしりした門構えの日本風の大きな屋敷に着いた。門が開き、車が玄関に横づけされた。
メグとリカは車から降りるよううながされ、地面に降り立ち周りを見渡した。離れらしい建物が二つもある、相当大規模な和風の屋敷だった。
玄関の周りには、いかにもという風体のいかつい男たちが並んで一斉に頭を下げてヒミコを迎えた。
ヒミコは平然とした顔で男たちの間をスタスタと歩き、メグとリカはメイド服の女たちにうながされて後に続いた。
ヒミコが玄関で靴を脱ぐと、大男がすかさず床に両膝を突いて室内用のスリッパをそろえて差し出した。
ヒミコがスリッパに足をいれながら男に訊く。
「組長さんはいる?」
男はぐいっと頭を下げて答えた。
「へい、既にお待ちでございます」
一連のやり取りを聞いていたメグとリカはますます震えあがった。メグが震える声でつぶやいた。
「こ、ここ、ヤクザの家? ど、どうなるのかな、ウチら」
畳敷きの大広間に通された一行は奥の一人掛けのソファが並んでいる場所へ案内された。真ん中にヒミコが悠々と座り、ヒミコの左側にメグとリカが、右側にメイド服の女たちが並んで座った。
やがて横の襖が開き、和服を着た長身の男が現れた。十人のいかつい男たちがその背後に控える。
長身の男はかなり高齢のようだが、その姿勢と動きは凛としていた。彼はヒミコの正面に来ると、畳に正座し両手を床について深々と頭を下げた。
「お久しぶりでございます、ヒミコ様。こんなむさくるしい所へお出ましいただいて、光栄の至りでございます」
彼の後ろにいる男たちも一斉に畳の上にひれ伏した。ヒミコはあからさまに嫌そうな口調で言った。
「ああ、そういう大げさなのいいから。あたし堅苦しいの嫌いなのよね。いいから顔をあげなさいよ」
先頭の長身の男は正座したまま背筋を伸ばし、ヒミコの向けておごそかな口調で言った。
「いえ、ヒミコ様は私らの大恩人でございます。1年前にあなた様から資金援助をしていただかなかったら、ここにいる全員が今頃野垂れ死にしてたかもしれません。私らに役に立ってくれというお話をいただいた時は、そりゃもう一家の全員が躍り上がるほど喜びました。やっとご恩返しをする機会が来たと」
それからヒミコは、メグとリカに関するこれまでの経緯を組長と呼ばれた男に話した。
正座したまま聞いていた組長は、ヒミコの話が一通り終わったところで言った。
「つまり、そちらの二人のお嬢さんが成人するまで、私らで面倒を見る。で、毒親が取り戻しに来たら守れ。そういう事でございますかい?」
ヒミコはうれしそうな声になって答えた。
「そうそう、そういう事。さすが組長さんは理解が速くて助かるよ。分かってると思うけど、カタギの大人にしてやれって事よ。変な道に進ませない事」
組長は頭を深々と下げて言った。
「それはもう承知しております。おい、アケミ、ミユキ、こっちに来い」
廊下に控えていたらしい、30代とおぼしき女二人が組長の横に正座して頭を下げた。組長が言う。
「うちの組員の女房でございます。亭主の5年縛りが解けるまで、私が飲み屋をやらせております。この二人がそのお嬢さんたちの面倒を見させていただきます」
メグが思わず声に出して言った。
「5年縛り?」
組長がそれを聞いて穏やかな声で説明した。
「ヤクザが生きていける時代じゃねえんでね。組はとっくに解散したんだが、ヤクザをやめても5年経たねえうちは、警察が反社会的組織の人間ってレッテルはがしちゃくれねえのよ。その間、家を借りる事も銀行口座を持つ事も出来ねえ。こりゃもう全員そろって首を括るしかねえかと思っていたところに、そこのヒミコ様が莫大な資金援助をしてくださった、そういう経緯なんだよ」
メグもリカもあんぐりと口を開けたままヒミコの横顔を見つめた。
ヒミコがソファから立ち上がり、メイド服の女二人もすぐさま続いて腰を上げた。ヒミコはメグとリカに向かって言う。
「じゃ、これから住む所や生活の便宜はこの人たちが全部面倒見てくれるから。その代わり、歌舞伎町で会ったあのおねえさんたちの事は誰にもしゃべっちゃダメよ。それが交換条件、それでいい?」
メグとリカは目をぱちくりさせながらゆっくりとうなずいた。ヒミコは踵を返して部屋から出て行こうとする。
組長が立ち上がって言った。
「ではお見送りを」
ヒミコは手をぶんぶん振りながら言い返した。
「ああもう、そういうのいいから。あんたたちとあたしたちの組み合わせで人に見られたら、それこそ目立ってしょうがないでしょ、ここでいいから」
「左様でございますか。では、お気をつけて」
ヒミコの方に向いて組長が再び両手を突いて額を畳に擦り付けんばかりに頭を下げた。周りの男たちも同じ様にその場でひれ伏した。
去って行くヒミコの後ろ姿をメグとリカは呆然と見ているしかなかった。さっき組長が呼んだ女二人が横に来てメグとリカに話しかけた。
「さあ、何も心配しなくていいよ。すぐにマンション手配するからね。この近くの学校に転校したけりゃ手続きも引き受けるからね。遠慮しないで何でもあたしたちに相談してちょうだい」
屋敷を去ったリムジンの中で、今度はぐらいのメイド服の女とヒミコが後部座席に向かい合って座っていた。メイド服の女がオレンジジュースのグラスをヒミコに手渡しながら言った。
「会長があの元ヤクザの一家に10憶円もの資金援助をなさった時は、正直戸惑いましたが、こういう使い方を想定なさっていたのですね。会長の先見の明にはいつも驚かされます」
ヒミコはストローでオレンジジュースを飲みながら答えた。
「昭和の時代、ま、あたしにとっちゃ生まれる前の大昔だけどね。その時代にはヤクザがああいう訳アリの子達の受け入れ先になってた事も多かったらしいのよ」
ヒミコは窓の外に広がる住宅地をながめながら言葉を続けた。
「ヤクザをつぶして、不良のたまり場をつぶして、それで世の中ほんとに良くなってるの? 正しい事だらけ、綺麗な物ばかり、どこもかしこも清潔、そんな社会にしたら生きづらさを抱える人間を増やすだけ。水が清すぎれば魚が住めない、そんな話は昔からあるのにね」
車が幹線道路に入ってスピードを上げた。ヒミコは座席の深々と背をもたれかけてため息交じりに言った。
「こんな単純な事も分からないなんて、やっぱり大人はダメね」
コメント
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めっちゃ読みごたえあった…!!😭💕 華さんたち4人の異能バディ、格好良すぎるし、トー横キッズの叫びが胸に刺さったよ。「親ガチャ」の言葉に現実の重さを感じたけど、メグとリカが新しい居場所を見つけられそうなラストは希望が見えた気がする!怪鳥ペンギンvs自衛隊の戦闘シーンも映像が浮かぶようでヤバかった…これからどうなるの?!続きが待ちきれないよ🔥