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階段裏の隙間。ちょうど掃除の時間帯で、教室も廊下もがやがやしていて、誰にも見つからない。
遥は壁にもたれていた。制服の中に、もう“痛くない場所”がほとんど残っていなかった。
脚は腫れていた。
腹に残る痣が、立っているだけで内側から鈍く軋む。
指先に力が入らず、スマホを握るのもやっとだった。
そんなとき、靴音。
階段を軽く降りてきたのは、日下部だった。
「……隠れてるつもり?」
声は冷ややかだったが、感情は読み取れなかった。
「別に」
返す声は、かすれていた。
乾いた喉から、押し出すようにして声を出す。
日下部は数歩近づいてから、立ち止まった。
無言のまま、遥の肩と脚をちらと見て、少しだけ眉をひそめた。
「動けんの、それ?」
その問いに、遥は黙ったまま、わずかに首を振った。
「──無理」
それは、思っていたよりも小さな声だった。
口にした瞬間、自分でも驚くほど情けない響きだった。
日下部は何も言わなかった。
いつもなら、からかうように笑ってくるところなのに、何も言わなかった。
沈黙が少し続いた。
遥は、うつむいたまま、歯を噛んだ。
「休んだら、また……なんか言われる」
「誰に?」
「みんな。……おまえも」
日下部はそれを聞いて、小さく息をついた。
「へえ。オレも“みんな”のうちか」
皮肉のようにも、確認のようにも聞こえた。
遥は口を開こうとしたが、喉の奥が塞がった。
なんて言えばいいのかわからなかった。
「オレさ」
日下部がポケットからスマホを出しながら、ぽつりとこぼした。
「別に、助ける気はないけど──おまえが“潰れる”の、けっこうつまらんな」
「……は?」
「まだ遊びたかったのに」
言葉に棘はなかったが、確かにその奥に冷たさがあった。
遥は、そこでようやく顔を上げる。
視線がぶつかる。
でも、日下部はそのまま目を逸らさずに、笑っていない顔で言った。
「身体、限界なんじゃねーの?」
図星だった。
でも、肯定も否定もできなかった。
ただ、呼吸がうまくできなくなっていた。
「──わかってんなら、黙ってろよ」
小さな声で、遥は吐き捨てた。
それが精一杯だった。
「言ってほしくないことほど、言いたくなるもんだろ?」
日下部の声は、ただの“遊び”のようだった。
でも、それでも──遥の中で、何かが崩れていく音がした。
もう限界だった。
でも限界を悟られたくなくて、今もこうして壁にもたれながら立っている。
「行けよ。見世物、はじまるんだろ」
遥の声は、震えていたが、投げやりではなかった。
ただ、全部を押し込めるような言い方だった。
日下部は、それをしばらく見つめてから、何も言わずに背を向けた。
階段を上っていく足音が遠ざかる。
遥はその場に、ゆっくりと座り込んだ。
痛みで、正直、もう立てなかった。