テラーノベル
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中也バージョンです。難しいことは考えちゃダメです。突っ込んだら負けです。本当に。うん。
大変失礼いたしました。今度こそ、中也が「知らないうちに」いなくなってしまう、残された太宰の視点での物語を綴ります。
二十五歳。 かつて「死」を唯一の救済だと信じて疑わなかった太宰治にとって、その年齢は妙に座りの悪いものだった。ドストエフスキーとの死闘を終え、ヨコハマに訪れた凪のような平穏。その中心にいたのは、あろうことか宿敵であり相棒であった中原中也だった。
最近の太宰は、探偵社の寮よりも中也のセーフハウスにいる時間の方が長かった。「中也の家には、私を惹きつけて離さない呪いの重力があるんだよ」と冗談めかして言い、中也の高級なソファを我が物顔で占領していた。
あの日も、太宰は中也の部屋で、彼が帰ってくるのを待っていた。 中也は仕事帰り、太宰がふざけてリクエストした「毛蟹」と、太宰が最近凝っているという「味の素」を買いに寄ると言っていた。
「遅いなあ、中也。蟹が逃げ出してしまうじゃないか」
太宰はリビングのソファに寝そべり、中也が大切にしているワインのラベルを眺めていた。 時刻は、中也が帰宅する予定をとうに過ぎている。 連絡はない。 いつもなら「クソ太宰、今から帰るぞ」と乱暴なメールの一通でも届くはずだった。
一時間が過ぎ、二時間が過ぎた。 太宰はふと、窓の外を眺めた。ヨコハマの夜景はいつも通り美しく、どこにも異常は感じられない。けれど、太宰の心臓の奥で、冷たい澱のような予感が広がっていた。
「……中也?」
太宰は、中也の携帯に電話をかけた。 呼び出し音は空虚に響き続け、やがて無機質なガイダンスに切り替わった。
その夜、中也は帰らなかった。 次の日も、その次の日も。
太宰は探偵社のネットワークを使い、中也の足取りを追った。 ポートマフィア側に問い合わせても、「中原幹部は単独での任務後、行方不明です」という、焦燥に満ちた返答が返ってくるだけだった。
三日が過ぎた頃。 太宰は、中也が寄るはずだったスーパーの防犯カメラの映像をハッキングした。 そこには、確かに毛蟹のパックと味の素の瓶を買い、少しだけ機嫌良さそうに店を出る中也の姿が映っていた。 それが、中原中也という男の、この世界における最後の記録だった。
一週間後。 ヨコハマの路地裏、放棄されたコンテナの影で、中也の帽子と、血に汚れたマフィアの外套が発見された。 けれど、本人の姿はどこにもなかった。 目撃者も、異能の残滓もない。 まるで、最初からこの世界に「中原中也」などという男は存在しなかったかのように、彼はぷっつりと消えてしまったのだ。
「……冗談だろう、中也」
太宰は、誰もいない中也のセーフハウスに戻った。 キッチンには、あの日中也が置いていったはずの……いや、置かれるはずだった「蟹」はない。 玄関に転がっていたのは、中也が最期まで握りしめていたであろう、スーパーの袋だけだった。
中身は、無惨に潰れた蟹のパックと、割れずに残った味の素の瓶。
太宰は膝をつき、その瓶を拾い上げた。 「人生に深みを出す魔法の粉」だなんて、あんなのは適当に吐いた嘘だった。中也がどんな顔をしてこれを買うか、それが見たかっただけの、子供じみた悪戯だった。
太宰は、中也の頬に触れたかった。 帰ってきた彼をからかい、その赤い頬を指でつつき、「遅いよ、中也」と笑うはずだった。 けれど、今太宰の手の中にあるのは、冷たいガラス瓶と、持ち主を失った静寂だけだ。
「……私を殺すのは君じゃなかったのかい?」
太宰の声は、震えていた。 知らないところで、自分の預かり知らない理由で、中也がいなくなる。 それは、太宰治という計算高い男にとって、最も想定外で、最も耐え難い結末だった。
太宰は、味の素の瓶の蓋を開け、その白い粉を少しだけ掌に出した。 それを舐めると、舌を刺すような強烈な旨味が広がる。 それは、中也との「日常」が、いかに安っぽく、それでいて中毒性に満ちたものだったかを思い出させる味だった。
「……しょっぱいよ、中也」
太宰は、中也のベッドに横たわった。 そこにはまだ、中也の匂いが微かに残っている。 けれど、どれほど目を閉じても、あの荒々しい足音も、自分を罵倒する声も聞こえてこない。
中也は消えた。 太宰にさよならも言わず、最期の言葉も遺さず、ただの「行方不明」という不確かな事実だけを置いて。
数ヶ月後。 太宰は今も、そのセーフハウスを引き払わずにいた。 探偵社の仕事の合間に、彼はここへ戻り、中也が買い置きしていたワインを開ける。 そして、一人で蟹を食べ、味の素を振る。
「……ねえ、中也。君は今、どこで重力に逆らっているんだい?」
返事はない。 太宰は、自分の頬を伝う冷たいものを拭いもせず、空になったワイングラスを見つめた。
知らないところで死んでしまった相棒。 その事実を受け入れることもできず、かといって否定することもできないまま、太宰治は永遠に続く「待ちぼうけ」の中に閉じ込められた。
二十五歳。 二人の時間は、あの日、スーパーの袋が地面に落ちた瞬間に止まってしまった。 太宰は、自分だけが歳をとっていく恐怖に耐えながら、今日も主のいない部屋の鍵を開ける。
「……次は、私が奢る番だったのにね」
テーブルの上に置かれた味の素の瓶だけが、かつてそこに「生活」があったことを、静かに証言していた。
コメント
5件
あれ!?太宰さん生き返らせたら次は中也が死んじゃった!?…よしもっかい交渉行ってくるわ
相変わらずお前小説だけは最高だよなおい