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「ーーっは!?」
ルヅキの思考が停止していたのは、ほんの一瞬の事。
その間にユキは、既に次の行動へと移していた。
ルヅキの首筋へ向けて放たれる刃。長巻の刃先を流したユキは、間髪入れずに右手の刀を水平に振るう。
煌めく刃は既に、ルヅキの目前にまで迫っていた。今更、長巻を戻す事による防御は間に合わない。
あとはその首が、ただ無常に飛ぶ事のみ。
“ーーっ!!”
その筈だった。
鈍い音が木霊する。だがそれは肉を切った時に生じる、独特の不快音では無い。
「なっ……馬鹿な!?」
今度はユキの銀色の瞳が、驚愕を以て見開かれる。
首筋を払う筈だった刃は、振り抜かれる事無く直前で停止していた。
ルヅキの左指に阻まれて。
“真剣白羽取りならぬ指取り”ーールヅキはその斬撃を、左指で挟む事によって止めていた。
無論、これは並大抵の技量では成し得ない。
一瞬の判断力と尋常では無い指の力。刀の軌道を読む視神経と洞察力。そして死と向かい合う覚悟を以て初めて可能。
「……まだまだ、詰めが甘いな」
ルヅキはユキの刀を左指で掴んだまま、即座に右手で地に着いた長巻を振り上げた。
殺意と云う意思を以て、ユキへ向かうその巨大な刃先。
「くっ!」
尋常為らざる力で刀を掴まれ微動だに動かせず、この状況ではもはや回避は不可能。
「ちっ!!」
迫り来る巨大な刃にユキは即座に右手を柄から放し、背後へと飛ぶ。
それは咄嗟の判断。交差する生死の瞬間。
「ーーぐっ!」
長巻の刃先が脇腹を抉る。
「何っ!?」
だが長巻の刃先から、ルヅキの手に伝わってきた感触は不充分の手応え。
二人の間に再び距離が出来る。
ルヅキは刃先に媚り付いた血糊を見ながら、怪訝そうに表情をしかめた。
“今ので決まらんとは……”
時間的にも間合い的にも、ユキの胴体は真っ二つに別れる筈だった。
ルヅキは左手に掴んだままの刀身を見据える。
あの一瞬で自分の刀を捨て、回避に移行するその判断力。
“それだけではない”
突如ルヅキの右手の甲から、うっすらと浮き上がる打撲痕。
ユキは背後へ飛ぶ瞬間、それと同時に左手の鞘でルヅキの右手を払っていた。その影響も有って長巻の速度が僅かに鈍り、致命傷を避ける事が出来たと云っても過言ではない。
“なんという奴だ……”
ルヅキはその事実に心底震撼、そして感嘆する。
お互い、まだまだ致命傷には至らないーーが。
「ぐあっ……!」
ユキの脇腹から、突如思い出したかの様に鮮血が吹き上がる。
真っ二つには至らなかったとはいえ、その出血量は致命傷に近い程の。
拮抗が崩れるかの様に、ユキが先にその地に膝を着くのだった。
「やはり……流石ですね。悉く私の予想を上回る……」
相手を賛辞するかの様にそう呟くユキは、左手に持つ鞘を支えにし、右手は左脇腹から流れる血液を止める様に押さえた。
“――結構深い……か?”
だが溢れ出す血液は止まる事を知らず、その雪の様に白い右手は、既に己の血で深紅に染まりつつあった。
「その台詞、そのままお前に返そう。正直これ程までとはな……」
ルヅキは膝を着いたままのユキを追撃する事無く、同じく賛辞の言葉を述べた。
「だが大丈夫か? その脇腹の傷、かなりの深手の筈だ」
とどめを刺す絶好の機会の筈。それ処か何故かルヅキは、彼の身体を気遣ってさえいる様に見える。
それは敵味方の垣根を越えた、尋常の勝負として相対する者同士の、武士(もののふ)としての性(さが)なのか。
「その心配には及びません」
ユキも彼女の意思を汲み取るかの様にそう返し、左手の鞘を支えに立ち上がる。刀はルヅキが持ったままだ。
「何っ!?」
突如ユキの右手から、音を起てて傷口が氷に被われていく。
“――氷で止血……だと?”
ルヅキはその行動に、思わず目を見張った。
「血が止まらぬなら、止めればいいだけの事。まだまだ勝負はこれからです!」
鞘のみをルヅキへと向けて、気丈にもユキはそう吼えた。
確かに血液の流出は止まった。だが深手である事に変わりは無い。
『ハァ……ハァ……』
僅かに聞き取れる、断続的な息遣い。
脇腹の激痛を堪える対価なのか、その表情は蒼白に青ざめ、その傷痕を被う氷は深紅の結晶が如く。
「……その精神力、敵ながら賞賛に値する」
ルヅキは左手に掴んだままの刀を、ユキへ手渡す様に放り投げた。それをがっしりと掴む彼の表情に、怪訝の色が浮かぶ。
「何の……つもりです?」
それもその筈。わざわざ返す必然性が無い。
相手の武具を封じる事は、そのまま勝利への近道となる事を。それはある意味、勝負に於ける鉄則。勝てば官軍、負ければ賊軍。
だがルヅキはユキの疑問に対しーー
「言った筈だ。お前の全てを捩じ伏せた上で勝つ事に意義が有る……と」
当然の事の様に、そう返した。
ただ勝利するだけでは意味を成さない。刀を返したのは情(なさけ)でも、相手を侮っている訳でも無い。
ただ純粋に、武士として尋常の勝負を全うする事。
「ルヅキ……」
正々堂々。威風万端。これぞ真の武士としての在るべき姿。ユキは彼女のその在るべき姿に、何処か尊敬に近い念を感じていた。
「だがその傷では、刀が戻った処で大勢に変化は無い。そして私は決して手加減はしない」
ルヅキは再び長巻を斜に構える。
「私は絶対に負ける訳にはいかないのだ!」
ルヅキの想いに応える様に、ユキも双流葬舞の構えを取る。
「それはこちらとて同じ。貴女がどんなに敬うべき武士で在ったとしても、私は絶対に退く訳にはいかない!」
対峙する二人の武士(もののふ)。
お互いに譲れない想いを胸に、闘いは更なる境地へと。
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