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第1章 笑顔の裏側
人間は、笑っているときが一番分かりやすい。
岸型圭哉は、昔からそう思っていた。
「ありがとうございましたー!」
明るい声を出しながら、圭哉は店を出た。
夜の街。
仕事帰りの人間たちが行き交い、誰もが誰かに笑顔を向けている。
けれど、その笑顔の裏側に何があるのか。
圭哉は知っていた。
嫉妬。
憎悪。
嘘。
裏切り。
そして、自分だけは傷つきたくないという醜い自己防衛。
幼い頃、圭哉はそれを嫌というほど見てきた。
だから十八歳になった頃には、もう決めていた。
――正常でいることをやめよう。
人間らしく生きることに、意味なんてない。
そう思ってからの圭哉は、いつも笑っていた。
「僕って、結構明るいんですよ」
誰にでもそう言った。
冗談を言い、相手に合わせ、少し馬鹿なふりをする。
道化師。
それが一番楽だった。
誰も道化師の本心なんて覗こうとしない。
……そのはずだった。
「君、面白いね」
その男と出会うまでは。
◆
圭哉がその店を訪れたのは、偶然だった。
街の片隅にある、小さな曲芸店。
派手な看板があるわけでもない。
けれど、店内には奇妙な道具や玩具が並び、奥では小さな舞台まで用意されている。
「へえ……こんな店あったんだ」
圭哉が呟く。
「初めて?」
背後から声がした。
振り返る。
そこにいたのは、三十歳くらいの男だった。
穏やかな顔。
人当たりのいい笑顔。
そして、妙に落ち着いた目。
「僕は菅田賢治。ここで働いてるんだ」
「岸型圭哉です。二十一歳。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
賢治は笑った。
圭哉も笑った。
二人とも、完璧な笑顔だった。
だからこそ。
互いに、ほんの一瞬だけ目を細めた。
――こいつ。
圭哉は思った。
この笑顔。
普通じゃない。
「何か探してる?」
「うーん……特には。面白そうだったから入っただけです」
「そう」
「菅田さんは?」
「僕?」
賢治は少し考えるような仕草をした。
「僕も、面白いものが好きなんだ」
「面白いもの?」
「人とか」
圭哉の笑顔が、ほんのわずかに止まった。
だが賢治は気づかないふりをした。
「人って、面白いよね」
「……そうですね」
「普段は優しい人が、追い詰められると何をするのか。怒った人間がどんな顔をするのか。何かを失った人がどう変わるのか」
賢治は淡々と言った。
まるで世間話でもするように。
「僕、そういうのを見るのが好きなんだ」
圭哉は黙った。
普通なら、気味悪がるところだ。
けれど。
「分かります」
圭哉は笑った。
賢治が初めて、明確に目を細めた。
「……分かる?」
「人って、追い詰められたときが一番本当の顔をするじゃないですか」
「……」
「普段は取り繕ってても、余裕がなくなると全部剥がれる」
圭哉は楽しそうに笑う。
「僕、そういう顔を見るの、嫌いじゃないです」
沈黙。
店内に流れていた音楽だけが、妙に大きく聞こえた。
「君さ」
賢治が口を開く。
「もしかして、僕と似てる?」
「さあ?」
圭哉は首を傾げた。
「菅田さんこそ、どうなんです?」
「どうだろうね」
二人は笑った。
けれど、さっきまでとは違う。
互いの笑顔を見ながら、互いの奥底を覗こうとしていた。
圭哉は賢治を観察する。
三十歳。
落ち着いている。
声が穏やか。
人当たりもいい。
けれど、他人に対する興味の持ち方がおかしい。
そして何より。
人の死を語るときだけ、目が生き生きしていた。
――この人。
僕と同じだ。
一方、賢治も圭哉を見ていた。
二十一歳。
明るい。
よく喋る。
人との距離を縮めるのが上手い。
だが、時々。
笑顔の奥に何もない瞬間がある。
人間に対する興味があるようで、実際には人間そのものを観察しているだけ。
まるで。
――人間を人間として見ていない。
「圭哉くん」
「はい?」
「君、恋人いる?」
「いませんよ」
「好きな人は?」
「男性なら、興味あります」
即答だった。
賢治が少しだけ驚く。
「へえ」
「菅田さんは?」
「僕も女性には興味ないかな」
「男性は?」
「……興味はあるよ」
圭哉が笑う。
「じゃあ、気が合いますね」
「そうだね」
二人はまた笑った。
だが、その言葉には別の意味があった。
圭哉は心の中で考えていた。
――僕を独り占めしてくれる人。
自分がどんな人間なのか知っても、笑っていてくれる人。
自分の手が汚れていることを知っても、離れない人。
そんな人間が、本当に存在するのか。
今まで、そんな相手には出会えなかった。
だから探している。
ずっと。
そして今。
目の前にいる男は、少なくとも普通の人間ではない。
賢治も同じことを考えていた。
圭哉という青年は危険だ。
ただし、自分にとって不快な種類の危険ではない。
むしろ。
興味深い。
「圭哉くん」
「はい」
「また来てよ」
「いいんですか?」
「もちろん」
賢治は笑った。
「君と話すの、楽しいから」
「僕もです」
店を出る直前、圭哉は振り返った。
「菅田さん」
「ん?」
「僕、嘘つくの下手なんですよ」
「……そう?」
「ええ」
圭哉は笑う。
「でも、みんな僕の嘘を信じてくれるんです」
賢治は数秒黙った。
そして。
「僕には、あまり通じないと思うよ」
圭哉の笑顔が止まった。
次の瞬間。
「……面白いですね」
「うん」
「じゃあ、また来ます」
「待ってるよ」
圭哉は店を出た。
夜風が頬を撫でる。
歩きながら、圭哉は笑っていた。
久しぶりだった。
こんな気分になるのは。
怖い。
楽しい。
もっと知りたい。
あの男の本当の顔を。
そして店の中では。
賢治が一人、圭哉の去っていった扉を見つめていた。
「……久しぶりだな」
小さく呟く。
その顔から、先ほどまでの穏やかな笑顔が消える。
「僕のことを見抜こうとする人なんて」
賢治は楽しそうに笑った。
「君は、一体どこまで僕に似てるんだろうね」
その日。
二人はまだ知らなかった。
自分たちが出会ったことによって、これまで別々だった二つの狂気が、ゆっくりと一つの場所へ向かい始めていたことを。
そして――
この出会いが、二人の人生を二度と元には戻せなくすることを。
コメント
1件
読んだよ〜!!😭💕 第1話から、圭哉くんと賢治さんの「笑顔の裏側」を覗き見るような空気感がめっちゃ良かった…!お互いの仮面に気づいて探り合う展開、好きすぎる。特に「僕にはあまり通じないと思うよ」の返し、痺れた〜!続きが気になりすぎる、この二人がどう絡んでいくのか楽しみすぎます!!🌸
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